第十六章 雷鳴の傭兵団 -1-
「大変な状況になっているようだね」
カリツェの修道院で合流すると、ノートゥーン伯が冷静な口調で言った。
「カトヴィッツにヴィシラン騎士団が七百。ポズナンにポズナン伯が五百。ブロンベルクにプルーセン騎士団が二千。いま動ける兵はこれくらいで、東のルブリン伯、襲撃を受けたシロンスク公が兵を集めているところか」
「シロンスク公の準備が整わず、プルーセン騎士団が来る前に、ヴィシラン騎士団がオペルンまで進出するかもしれませんね」
状況の説明をすると、ノートゥーン伯は腕を組んで小さく唸る。
「オペルンを押さえられると、シロンスク公は長期戦が不可能になる。シロンスク公に援助ができるくらい麦を抱えているのは、マゾフシェ公くらいだろう」
マゾフシェ公は、ポルスカ平原中央部、ヴィスワ川流域の穀倉地帯を押さえているわけだからねえ。
でも、ぼくの見たところ、彼は一番したたかな男だと思う。
自分を安売りはしないんじゃないか?
「でも、クラカウを空けてブレスラウまで進むわけにもいくまい。南から、モラヴィア辺境伯が来る可能性がある」
「その頃には、ルブリン伯がクラカウに到着しそうではありますけれどね」
「いや、寡兵でブレスラウの攻囲もできまい。麦を手に入れたら、一度クラカウに引き、マジャガリー王国の援軍を待つだろう」
マジャガリーの王都ブレダからクラカウまでは、約二百四十マイル(約三百八十キロメートル)くらいか。
だが、マジャガリーの北部は魔物の多いタトラ山脈がほとんどを占める。
此処を越えて軍事作戦を取るのは無謀だ。
遠回りになるが、一度北西に向かってから、谷間を抜けて行くしかない。
そう考えると、マジャガリー軍の到着はかなり遅れそうではあるが……。
ただ、飛竜騎兵隊は別だ。
彼らは空を飛んで四時間程度でクラカウに着いてしまう。
これが動いたら、ヴィシラン騎士団が大きく有利になるだろう。
「うちらも、兵の動きをよう見とき言われてんねん。まずはオペルンに向かえばええねんな?」
「その前に、ブレスラウの状況は確認するように言われたわ」
「そうだね。わたしたちは、一度ブレスラウでシロンスク公の状況を見てからオペルンに向かおうか。スモラレク騎士団長の兵の動かし方も見られるかもしれない」
おお、みんながいるとこれでいいんだろうか、とか次どうしようか、とか色々悩まなくていいな。
まあ、学長があえて一人で考えさせる時間を作っているのはわかるんだ。
でも、ずっとそれじゃつまらないよね。
さて、移動の手段をどうするかだが、当然魔法陣の大きさ的に馬まで持ってこれない。
三人は、徒歩だ。
でも、それじゃ時間が掛かりすぎるよな。
カリツェの商人から、馬を買ってみようか。
馬商人を訪ねてみたが、戦争の気配を察しているせいかとんでもなく高い。
牧畜も盛んなポルスカであるが、牛や羊が多く、確かに馬は貴重なのかもしれない。
でも、ぼったくりもいいところだ。
金貨三千枚とか、どんだけだよ!
「──うん、この馬なら悪くはない。三頭貰おうか」
何でもない買い物のようにノートゥーン伯は言った。
おおう……金持ちだ。
いや、ぼくも買える。
余裕で買えるんだが、こういうところは大貴族には敵わない。
色々考えちゃうよ!
って、そのノートゥーン伯を遮って、ジリオーラ先輩が猛然と価格交渉を始めた。
馬の毛並みにけちを付けたり、鼻の湿り気が足りないなどで値段を下げさせ、最終的に一頭金貨二千六百枚にしてしまった。
それでも、ジリオーラ先輩は不満げだ。
ノートゥーン伯が初めに承諾をしなければ、二千枚まで下げれたとこぼしている。
「坊っちゃんは買い物には向いてへんわ。交渉はうちに任しときや!」
ノートゥーン伯は何とも言えない表情をしている。
大貴族の彼は、買い物で値下げの交渉などしたことはないであろう。
ジュデッカの商人出身のジリオーラ先輩とは、そもそも根本が違う。
「でも、いい馬やんか。ほな、あんたらも乗りいな。農耕馬とは、訳が違うで」
首を振りつつ、ノートゥーン伯は栗毛の馬を選ぶ。
マリーは芦毛、ジリオーラ先輩は黒鹿毛を選んで跨がった。
乗馬の技術が一番巧いのは、やはりノートゥーン伯かな。
マリーも巧みだが、ジリオーラ先輩はやや苦手のようだ。
ジュデッカは海運の街だからねえ。
さて、出発だ。
だが、その前にやっておくことがある。
馬というものは、走らせればすぐにばてる。
常足なら、時速四マイル弱(約六キロメートル)くらいなので、休憩を挟みつつ行けば半日くらいは行軍できる。
速足で進めば、八マイル(約十三キロメートル)くらいの速度は出るが、一時間で走れなくなる。
休憩を挟んでも、もう一回一時間走るのが精々だ。
駈歩なら時速十二マイル(約二十キロメートル)は出るが、三十分と走れない。
全速の襲歩は時速四十マイル(約六十五キロメートル)を超えるが、当然五分と保たないのだ。
だが、アンヴァルの神聖術で群れの指揮下に入れれば、この持久力がアンヴァルに準じるようになる。
速足くらいじゃ、一日走っても大丈夫だ。
問題は、後で馬がアンヴァル並みに大量に食うようになるらしい。
人間の食事じゃなくって、飼料でいいらしいが。
「なんやねん。これなら、うちらも一緒に来れたやんか」
「そうよねえ。もっと早く言ってほしかったわ」
「い、いや、ぼくも出発してから聞いたんだよ」
二人に責め立てられ、思わずアンヴァルをぼくの前に出す。
ほら、お前からも言ってやれ!
「んー、アンヴァルはアラナンが女に付きまとわれていたことを知っているのです」
「ちょっと! 何言ってんの、お前!」
「都合よくアンヴァルを使おうとしても駄目なのです。クラカウでパンしかくれなかった罰なのです!」
とんでもないところで裏切りやがったな、こいつ。
アンヴァルの頬を引っ張って制裁を課していると、ゆらりと影が動いた。
顔を上げると、マリーとジリオーラ先輩が素敵な笑顔で近付いてくる。
「ああら、聞き捨てならないわね、いまの言葉」
「せやなあ、きっちり詰めたらなあかんのとちゃいますか」
ひいっとアンヴァルが悲鳴を上げた。
いや、お前が言い出したことだから!
何でぼくの後ろに隠れるんだよ!
「誤解、誤解だよ。マゾフシェで小男と女の二人組に尾行されただけだよ! マゾフシェ公の密偵だよ、相手は!」
必死に説明をすること五分。
何とかマリーもジリオーラ先輩も納得したようだ。
危ない。
マゾフシェで正体がばれたときより緊張したぞ?
おい、アンヴァル!
関係なさそうな顔で馬に変わっているなよ!
「黙りやがれです、アラナン。いま、アンヴァルはこののろまの三頭に術をかけているところなのです」
アンヴァルの背を叩くと、済ました顔で反論してきやがった。
この大食らいめ、いつもああ言えばこう言うんだからな!