第二章 氷雪の魔狼 -5-
「ここにいたのか、ハーフェズ君。ドゥカキス先生が戻ってきたぞ」
坂の上から真面目そうな口調で呼び掛けてきたのは、前にぼくを案内してくれたハンス・ギルベルトだ。
優等生なんだろうな。
服装もヴィッテンベルク帝国の騎士の正装をきっちり着込んでいて隙がない。
それに比べると、このハーフェズという男はこのあたりでは見ない恰好をしている。
セイレイス帝国とか、あっちの方の衣装なのか?
余り体を締め付けないゆったりした服を着ている。
「おや、君は確かアラナン君? 今日試験だと聞いていたが、もう終わったのか」
「ああ、終わったよ。ただ、登校は二週間後くらいからなんだ」
ハンス・ギルベルトは、あれだけの邂逅でぼくを覚えていたようだ。
しかし、そう言えばハンスは初等科のはず。
と言うことは、この昼寝を決め込んでいる金髪の少年も、やはり初等科の同級生なのか?
「で、こいつは誰?」
ハーフェズを指差してやると、ハンスはちょっと困った顔をした。
「ぼくたちの同級生だよ。イスタフル帝国のハーフェズ君。ハーフェズ・テペ・ヒッサールだったかな。イスタフルのことはよく知らないけれど、偉い人の子供らしい」
執事と侍女がいつも迎えに来るんだよ、とハンスが肩を竦める。
しかし、イスタフル帝国か。
セイレイス帝国より更に東じゃないか。
そんな遠くから、よく来るものだな。
黒石教のセイレイス帝国は、トゥルキュト人が近辺を征服して打ち立てた国家だ。
砂漠の民バーディヤの諸族や、ミクラジア半島の諸部族を征服して勢力下に置いている。
対して、その東方に位置するイスタフル帝国は、太陽神を奉じるパールサ人の国だ。
どちらも遊牧民が力を持っており、軍は精強だと言う話だ。
実際、セイレイス帝国は西進し、ヴィッテンベルク帝国の東方辺境伯領で衝突もあると聞くしね。
「おや、さぼっていたのがばれたかな、新入生君。ああ、そううるさく騒ぎなさんな、ハンス。わかった、行くよ。ほら、余り大声を出されるとわたしは倒れてしまう。病弱なんだよ」
ハーフェズは立ち上がると、長い睫毛を瞬かせる。
素なのか計算しているのか。初等科のカリキュラムは決まっているのに、さぼっていていいのかこいつは。
落ちこぼれか。
何でこんなのをイスタフル帝国は推薦してきたんだ。
ドゥカキス先生が怒って待っていると言うので、ハンス・ギルベルトは強引にハーフェズを引っ張っていった。
正義感が強く、真面目なタイプだ。
ハーフェズとは正反対に見える。
気勢を削がれたので、学院の見学を切り上げよう。
ぶらぶら歩きながら宿へ向かう。
武器はともかく、防具は少し考えた方がいいのだろうか。
でも、動きの邪魔になるしなあ。
それでも冷やかしながら歩くと、目を惹く革製品があった。 魔灰色熊のなめし革を使った胸甲、手甲、足甲の三点セットだ。
これくらいなら、動きにも支障はないだろう。
防御力はそこそこだが、魔力を通せば硬度は上がる特性がある。
金貨三十枚は痛いが、それくらいの価値はありそうだ。
この仕事終わったら少し稼がないとなあ。
昨日新調した黒い外套を羽織り、これで準備は万端。
後は明日を待つだけ。
菩提樹亭に戻ると、ゆっくり過ごすことにする。
早めに夕食を摂り、さっさと寝台に入る。
ごろりと横になると、すぐに睡魔が押し寄せてくる。
寝ようと思ったときに寝れるのがぼくの長所だ。
魔狼と戦うからと言って不眠になったりはしない。
翌朝早くに目覚めると、軽く汗を流してから朝食を摂る。
小型のパンにハムとチーズ、それにコーヒーとヨーグルトを付ける。
アロイスの食事は大体が帝国風だ。
アルビオンの甘いマフィンも悪くはないが、ヴィッテンベルクの塩味のブレーツェルも捨てがたい。
そんな風に考えていると、宿にレオンさんが入ってきた。
相変わらず隙のない足取りで、真っ直ぐぼくの方に向かってくる。
ぼくは右手を上げると立ち上がった。
「おはようございます、レオンさん」
「おはよう、アラナン。準備はできているようだな」
相変わらず片時も火縄銃を離さないようだ。
戦士としての心得なのだろう。
いかなるときでも戦えるようにしているのだ。
白銀級冒険者は伊達じゃないな。
マリーも強かったが、纏う雰囲気がレオンさんとは違う。
ジャン・アベラールなら互角に戦えるだろうか。
レオンさんが用意してきた馬車に乗り込む。
御者はレオンさんが自ら勤めるようだ。
「今日中にルツェーアンまでいくぞ」
フラテルニアを出ると、街道を一路南西に向け走り始める。
ルツェーアンは、フィーアヴァルト湖の湖畔にある都市だ。
ヘルヴェティア自由都市連合でも古株で、帝国からの独立戦争では中核となって戦った都市の一つだ。
ルツェーアン軍を率いたリヒャルト・マティス将軍は、元々は帝国からフラテルニア魔法学院に留学した人物であったが、自由と友情のためにヘルヴェティアに味方すると言って帝国を裏切った逸話を持つ。
そんなルツェーアンであったが、ヘルヴェティアの中央に位置する交通の要衝であることから、交易都市としても栄えていた。
宿を取るには申し分のない場所と言えよう。
フラテルニアの南西にそびえるユトリベルク山を越えると、街道を順調に南下する。
時折レオンさんが火縄銃を構えると、六百フィート(約百八十メートル)はあるかという距離をうろついてる魔物を撃ち抜いてる。
あれには驚愕するしかない。
ぼくの風刃は射程が長い魔術だが、それでも三百フィート(約九十メートル)も飛べばいい方だ。
レオンさんは、その倍の射程はある上に、命中精度が高く、一発で魔物を仕留める威力もある。
よく見てみると、レオンさんは二つ魔法を使っていた。
鷹の目と魔弾だ。
鷹の目で視力を上げて遠くの獲物を視認し、魔弾で弾丸に魔力を乗せて威力を高めている。
ぼくも楢の木の棒に魔力を纏わせることはできるが、手から離れたらすぐに霧散してしまう。
流石に白銀級冒険者だけあって、レオンさんは魔力のコントロールが巧いし、自分に合った魔法を使っていた。
「強い魔法を使う冒険者が強いわけじゃない」
近付かれる前に剣鹿の眉間を撃ち抜いたレオンさんが、煙草に火を付けながら言った。
「如何に魔法を使いこなすか、だ。頭を使え。そうすれば強くなれる」
そう言えば、レオンさんは煙草を吸っているのに臭いがしない。
聞いてみると、消臭の魔法を使っているらしい。
狩人には必須の呪文だ、と何でもないように言うが、本当に狙撃手として特化したような人だな。
レオンさんは魔物を撃ち殺しても、肉や毛皮を手に入れようとはしなかった。
「目的が違うから、時間が掛かることはしないさ」
いまは確実にルツェーアンに着くのが優先だと、淡々とレオンさんは語った。
くっ、プロの格好よさを見せつけてくれるぜ。
ぼくもこういう渋い冒険者になりたいものだ。