第十五章 クラカウの政変 -9-
宿に入って食事をしていても、二人組はぼくらに張り付いていた。
あれだけの手練れだ。
こっちが気付いたことは、もうわかっているだろう。
とりあえず、気にしないことにして食事を続ける。
宿には他にも商人たちが泊まっていたが、彼らもひそひそと小声で話し合っていて閉鎖的な雰囲気を感じる。
ま、感覚を鋭くするのは身体強化の応用だから、聴力だって上げられる。
耳に入ってくるのは、魚の不漁の話と、クラカウの国王幽閉の話が多かった。
農村でも、今年の麦の収穫は余りよくなく、マゾフシェでは価格が上がり気味だという。
略奪したい連中が、マゾフシェ公に戦争をけしかけているという話もあるようだ。
ゴプラン部族は平和的なのかと思ったら、随分物騒だな。
村社会というのは、こういうものなのか?
食事が終わり、商人たちが引き上げると、二人組が動きを見せた。
大胆にも、ぼくとアンヴァルの卓の横に立ち、同席を求めてくる。
ちなみに、アンヴァルはまだ食い続けており、卓の上は料理で一杯だ。
「隣の卓でいいかな」
相手が帝国語を使ってきたので、こちらも帝国語で返す。
お互い母国語ではないので、若干怪しさが混ざる。
ぼくが帝国の人間ではないこともわかるか?
「わたしは、マゾフシェ公にお仕えする者で、トマシュという。貴君の氏名と職業とこの街に来た目的をお聞かせ願えるかな」
隣の卓に向かい合うように座ると、銀髪の小男が口を開いた。
穏やかな口調であるが、油断はできない。
この二人からは、普通の衛兵とは違う匂いを感じる。
しかし、まさかこんな正面から斬り込んでくるとはね。
これも、マゾフシェのお国柄なのか?
「ギルバート・マクドゥーガル。アルビオン出身の冒険者ですよ。冒険者ってのは、仕事をしながらあちこちふらつくもんでね。マゾフシェに来たのも、旅の途中に寄っただけで別に目的地ではありませんよ」
「ギルバート・マクドゥーガル。確かに、城門での認証では、そう出ていたな。だが、わたしはフェストで貴君の試合を見た者なんだよ、アラナン・ドゥリスコル。その顔、見間違えたりはしない」
おっと、ぼくの顔を知るやつか。
今回のフェストは、各国の重要人物が軒並み参加していたからなあ。
彼のような仕事の人間が、視察に来ていても不思議はない。
「噂では聞きましたね、その名前。わたしに似ているとは知りませんでしたよ」
無論、そんなことくらいで自白したりはしない。
動揺を表に出しても駄目だ。
「記録を見れば、二日前にクラカウを出たことになっている。僅か二日で、早馬と同じ速度でマゾフシェまで駆け通したのかね。その少女を連れて」
「駆け通しできたので、馬が潰れましてね。可哀想なことをしました」
「単なる冒険者の旅で、何故馬を潰すほど急いだのかね。馬といえば、決して安くはない買い物だ。青銅級が軽々しく乗り捨てられるものでもなかろう」
ちえっ、結構鋭いことを突いてくるな、このおっさん。
「ギルドのクエストでね。口外はできないんですよ、トマシュさん」
「マゾフシェは通り過ぎるだけと言っていたが、出立はいつかな。それと、次に向かう先を教えて頂けるだろうか」
「そうですね。明日には出ていきますよ。この後は、グニエズノに向かいます」
ぼくの答えに満足したのか、小男はちらりと横の女性を見た。
女性が頷くのを見て、ちょっと安堵の表情を浮かべる。
「マゾフシェでは、騒動を起こさないでくれよ、ギルバートさん。貴君には、街を出るまで監視を付けさせて頂く。監視を撒くような行為は慎んで頂きたいものだ」
そう言うと、トマシュと名乗った小男は立ち去っていった。
後には、亜麻色の髪の女性が残っている。
え、監視ってこの人?
こんなあからさまに張り付くの?
まだ食べ足りなさそうにしているアンヴァルを卓から引き剥がすと、二階の部屋に向かった。
女性は後ろを付いて階段を昇ってくる。
彼女の鼻先で扉を閉め、部屋の中に入る。
扉の外で、腰を下ろす音が聞こえた。
廊下で夜明かしする気かよ。
まあ、公爵の密偵に手を出す住民もいないだろうが。
しかし、マゾフシェには都市っぽさがないな。
農村なら大抵こんな風に排他的なもんだが、色んな人間を受け入れる都市だと、もう少し受容性があるものだ。
だが、此処だと余所者は監視対象になりかねない。
いや、ぼくがアラナン・ドゥリスコルだとばれていたこともあるだろうけれど。
少なくとも、クラカウでは気にもされなかったことが、マゾフシェだと命取りになることもあるってことか。
ダンバーさんが、あんな変装するはずだよ。
勉強になるな。
学長に報告はしたが、特に相手にする必要はないと言われた。
マゾフシェで、何かをする予定はないからだ。
迂闊な行動をせず、ギルドにだけ寄ってグニエズノに向かえと言われる。
そういや、冒険者ギルドに寄っていなかった。
冒険者がギルドに寄らないってのもおかしな話だ。
まだまだ、ぼくには抜けていることが多いな。
「外の女は何ですか。また新しい女を引っかけたですか。マリーに報告するですよ」
「この状況で冗談やめてくれる!」
アンヴァルが本気とも冗談とも取れぬ発言をしてくるのを後目に、とっとと寝ることにする。
これだけ警戒されていては、こっそり動き回るのは愚策だろう。
それだけ、マゾフシェ公は神経を尖らせているのだ。
ヴィシラン騎士団に付くのか、グニエズノ大司教に味方するのか、いまでも悩んでいるのかもしれない。
翌朝、早くに起きて体をほぐしているところに、扉を叩く音があった。
気配から、昨日のトマシュという小男であることはわかっている。
何の用であろうか。
扉を開けると、やけに媚びた笑いを浮かべてトマシュが入ってきた。
後ろには、亜麻色の髪の女も続いている。
何だ?
美人局に引っ掛かるようなことはしていないぞ。
「実はだね、ギルバートさん。ちょっとばかり協力してほしいんだが──貴君は三日前にはクラカウにいたわけだね」
「──いたが、それが何か?」
「いや、その日の夜に、衛兵が何かを探してなかったかね?」
「衛兵が──」
ほう。
国王救出の一報が入ったのかな?
当日そこにいたぼくに確認を取りにきたわけだ。
「明け方に衛兵は来ましたよ。誰かを探しているようでしたね。旅券だけチェックして帰っていきましたが」
「ふむ、誰かをね。誰を探しているか、言っていなかったかね?」
「さあ、そこまでは──かなり慌てているかの様子でしたが……ああ、何かクルルがどうとか言っていたような気もしましたが」
「ふむ、クルルとね」
トマシュの目が光る。
当然か。
クルルとは、ポルスカ語で国王のことだ。
見過ごせない情報だろうな。
「いや、有難う、ギルバートさん。参考になったよ。そのうち、礼でもしたいね」
トマシュと女が出ていく。
しかし、小男の癖に、彼の纏う迫力は大したものがあるね。
もしあれがマゾフシェ公だと言われても、ぼくは驚かないよ。
冴えない男に見えるが、時折見せる風格は大したものがあったからね。