第十五章 クラカウの政変 -8-
移動した先は、何処か知らない部屋の中であった。
簡素な調度と清潔な室内は、清貧な人物が生活していることを伺わせる。
「此処は──」
恐らく、カリツェの聖修道会の修道院か。
国王一家も、いきなり転移したことに動揺して狼狽している。
その間に、最後に残っていたシピがぼくの影の中から現れた。
影渡りで来たということは、向こうの転移魔法陣は消去してきたのだろう。
「よくやったわ」
シピが短くぼくを褒めた。
ヤドヴィカの斧は、破壊力だけ見ればフェスト出場者でもトップクラスだからな。
あれを耐えるのは正直きついよ。
聖修道会のカリツェ主教に国王一家を引き渡すと、ぼくらの仕事は終わりだった。
修道院からカリツェ公に使いが走り、国王を迎えに馬車が来るという。
後は、カリツェ公がグニエズノまで連れていってくれるだろう。
そこから、国王派とヤドヴィカ派がどう決着を付けるかまでは、ぼくたちの任務ではなかった。
ダンバーさんの魔法陣でクラカウに戻ると、深夜だというのにクラカウ全体が騒然としていた。
通りを兵士が行き交い、宿にも踏み込んで何かを探し回っているという。
そりゃ、国王一家を探しているとは言えないわな。
「此処にも来ますかね」
「問題ないさ。旅券を確認する程度だろう。衛兵も、証拠もなしに冒険者には手を出せない。ギルドを怒らせたくないからな」
レオンさんは豪気にもさっさと寝てしまった。
ダンバーさんは身じろぎもせず、通りの様子を伺っている。
ともに修羅場を潜り抜けている二人だが、こういうときの対応の違いが面白いな。
性格の差なのか。
明け方に、ぼくたちの宿にも衛兵が踏み込んできた。
国王一家がいないことを確認すると、旅券だけチェックしていく。
ぼくとダンバーさんは別名義のものだが、レオンさんのは本人名義だ。
衛兵もレオン・ファン・ロイスダールの名を知っていたのか、口笛を吹いていた。
やや丁寧な物腰になって、夜更けに申し訳ないと謝罪しながら去っていったくらいだ。
「な、大丈夫だろ」
レオンさんは欠伸をすると、再び寝てしまった。
そこに、シピが黒猫の姿で影から現れる。
何でいつも、ぼくの影からなのか。
「ヴィシラン騎士団はかなり慌てているわね。ヴァツワフ・スモラレクにとって、国王を奪還される事態は想定外だったのでしょう。ヤドヴィカと、かなり長く口論していたわね。スモラレク騎士団長は、国王奪還が知れ渡る前に、カトヴィッツを攻め落としてヤドヴィカ派の武威を示すべきだと主張していたわ。ヤドヴィカは、マジャガリー王国の援軍が来るまで、兵は出さないと言い張っていたけれど」
「スモラレク騎士団長は、かなり強硬なお方でございますな」
ダンバーさんが嘆息する。
自分が不利になれば妥協を図るタイプと、不利になるほど突っ走ってしまうタイプがいる。
ヴァツワフ・スモラレクは、後者の可能性が高い。
「ギルドとしては、戦争にまでは干渉しないという方針で変わりはございませんね?」
「変更はしないわ。ヘルヴェティアが直接攻められるなら別だけれど、あくまでこれは他国の問題。解決は、その国の人間が図るべきね」
ぼく個人としては、介入してでもヴァイスブルク家の伸長は止めておくべきだと思わなくもない。
いや、全く根拠はないんだけれど、フェストでユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクを見たときの直感だ。
大陸をあいつの手に渡したら、どんなことになるか想像もつかない。
そう思わせるだけの雰囲気があった。
ダンバーさんは、翌朝フラテルニアに帰還していった。
シピも、ギルドの業務があるので戻るという。
レオンさんとルイーゼさんは、もう暫くクラカウに残るようだ。
不穏な気配の残るクラカウに残るのは危険な気もするけれど、それがレオンさんたちの仕事だもんな。
ぼくがとやかく言う筋合いではない。
オニール学長に任務の終了の報告をしたところ、マゾフシェからグニエズノの動静を見てから戻ってくるように指示があった。
ルブリン伯は、すでにヴィシラン騎士団に付く表明をしているが、マゾフシェ公は未だ立場をはっきりしていない。
その状況の確認だろうか。
シピなら簡単に探ってくると思うけれど、あえてぼくに言ったのは何か考えがあってのことだろうか。
クラカウから、マゾフシェまでは約百八十マイル(約二百八十キロメートル)。
アンヴァルが駈歩で行けば、二日で行けるかな。
襲歩で飛ばすのは、今回は封印だ。
ポルスカで目立つのは避けたい。
レオンさんとルイーゼさんに別れを告げ、北に向かって出発する。
クラカウの城門では、外に出る人間に対して厳しいチェックをしていた。
だが、冒険者や商人や修道士を留めることはできない。
理由なくその流れを止めては、ギルドと敵対することになるからだ。
それは、為政者にとっては致命的であり、証拠もなく迂闊な真似はできないのだろう。
北へと街道を進むが、とにかくポルスカはだだっ広い平野がどこまでも続いていく印象だった。
なだらかな起伏がある程度で、山や森は余りない。
平原、そして時々畑と農村って感じだ。
遠くを見ると、牛や羊も放牧されているように見える。
南部のヴィシラン部族の居住地とは、若干趣が違う気がするな。
ヴィシラン部族はどちらかというと、職人や兵士、鉄と関係のある匂いがする人たちだ。
漂う空気も血生臭い。
だが此処、ゴプラン部族の領域に入ると、途端にのんびりとした空気が流れ出している。
それが、マゾフシェ公の日和見に繋がっているのか。
二日をかけてたどり着いたマゾフシェは、それほど大きな都市ではなかった。
ヴィスワ川の流域に小さな漁船が係留されており、市街はその両岸にあった。
一見して、漁村に毛が生えた程度のさびれた街に見える。
だが、街は冴えなくともマゾフシェ公の支配する土地は広大で、部の民の人数も多く抱えている。
文化程度でその力の全てを測ることはできない。
「今日は魚がいいですねー」
クラカウで馬のままだったため、食生活に不満を抱いていたアンヴァルがここぞとばかりに主張してくる。
仕方がない、マゾフシェでは人間になることを許可するか。
こいつの食への欲求が暴走すると、何を仕出かすかわからないしな。
全体として、のんびりとした空気だったので、どこか油断していたのかもしれない。
気が付くと、尾行が付いていた。
後ろから二人、銀髪の小男と亜麻色の髪の女が付かず離れず追ってきている。
しかも、かなり腕が立つな。
暫くは、ぼくに気取らせずに尾行していたはずだ。
マゾフシェ公の手の者かな。
考えてみれば、この漁村がちょっと大きくなった街に余所者が来ること自体、珍しいのかもしれない。
そりゃ、商人は来るだろうが、定期の商人というのは大抵は既知の顔だ。
そこに、アンヴァルみたいな小さい女の子を連れた冒険者が来たら、奇異の目で見られるよな。
さて、どうしたものか。
此処でマゾフシェ公に害のある行動をするつもりもないし、放っておいてもいいんだけれども。