第十五章 クラカウの政変 -7-
決行は夜半である。
幸い、その日は月も雲に隠れており、クラカウの街路に人影はなかった。
夜遅くまで人が外を出歩いているベールやフラテルニアが異常であり、クラカウの方が普通である。
陽が沈めば、多くの人は寝てしまうのだ。
静かな街並みを駆け抜け、王の居館であるヴァヴェル城に向かう。
レオンさんとルイーゼさんとは、此処で別れる。
二人は、別の場所で騒動を起こし、衛兵の目を惹き付ける役割だ。
ぼくとシピとダンバーさんは、居館の壁が見える路地裏に潜んだ。
別段、正直に城門から入る必要はない。
城壁の高さは十五フィート(約四メートル五十センチ)程度のものだ。
ぼくたちは、その程度の高さは越えることができる。
暫く待っていると、遠くの方で騒ぎが起こった。
逆側の城壁の内にシピが置いておいた油の瓶を、レオンさんが火属性を付与した弾丸で撃ち抜いたのだ。
物置小屋が火に包まれ、衛兵が集まっていっている。
いまのうちだ。
太陽神の翼を発動し、一気に壁を乗り越える。
夜間だから、光を放つとまずいので、魔力隠蔽は最大でかける。
隣では、黒猫の姿のシピが楽々と壁を駆け上がり、ダンバーさんも魔法陣で浮き上がっていた。
みな、この程度は障害にもならないんだな。
シピの調査では、国王がいるのは三階の端の部屋である。
だが、そこは窓が塗り潰されており、外からの侵入はできない。
そこで、ぼくらは三階の別な部屋から侵入することにした。
王妃の部屋が使われていないとのことで、壁を登ってバルコニーにたどり着く。
窓は錠が下りていたが、これくらい魔法の糸で解錠できる。
迷宮で鍛えたぼくの技を甘く見るなよ。
部屋の中に入ると、廊下の気配を伺いつつ、まずシピが外に出る。
黒猫の姿のシピなら、見咎められる心配も薄い。
巡回の衛兵の姿がないことを念話で伝えられ、ぼくとダンバーさんも廊下に出た。
頭の中で間取りを思い出す。
王妃の居室から、国王一家が閉じ込められている部屋までは、そこの角を左に曲がればすぐだ。
部屋の前には、二人の見張りがいる。
その気配は、此処まで感じ取れた。
角まで進み、右手でシピとダンバーさんを止める。
ま、此処は任せてもらおう。
魔法の糸を気付かれぬように伸ばすと、瞬時に手足を拘束し、声を出されないように口を塞ぐ。
二人を転がすのに、一秒と掛からなかった。
合図を出し、先に進む。
国王一家が閉じ込められている部屋には鍵が掛かっていたが、当然、魔法の糸で解錠する。
もうこれも手慣れたものだ。
重い扉を引き開けると、薄暗い室内には五人の男女がいた。
ポルスカ国王夫妻と三人の子供だ。
警戒した表情を向ける国王たちに、ダンバーさんがポルスカ語で手短に救出に来たことを説明する。
その間に、ぼくは扉を閉め、ソファーを引きずって簡易的なバリケードを作った。
シピは魔道具を取り出し、部屋に防音結界を張っている。
錬金術科の作った魔道具らしい。
ダンバーさんが、転移魔法陣の作成に入った。
流石に複雑な紋様で、ダンバーさんでも構築に五分は掛かるらしい。
気付かれないうちに、早くと心で願う。
三階の気配を探るに、気を付けなくてはならない手練れは二人である。
ヴィシラン騎士団団長のヴァツワフ・スモラレクと、女王に祭り上げられたヤドヴィカ・シドウォだ。
このうち、ヴァツワフ・スモラレクは、階下に移動していっている。
レオンさんたちの陽動に釣られたか。
だが、ヤドヴィカは自分の部屋から移動していない。
これが動き出せば、厄介な存在だ。
火の精霊オギェインの魔力を宿した一撃の威力は、フェストでも見させてもらった。
この扉は、金属が中に入っているようだが、ヤドヴィカの斧の前では紙のようなものだろう。
ふと気が付くと、子供たちが怯えた目でぼくたちを見ていた。
まあ、顔を隠すために、ぼくもダンバーさんも仮面をかぶっている。
不気味に映っても仕方がない。
しょうがないから、小さな光を兎に模して出現させ、のっそりぴょんぴょん動かしてやる。
子供たちは、初め不審そうな表情だったが、そのうちその動きに魅了されて歓声を上げ始めた。
流石に大声はまずいので、王妃が子供たちを静かにさせる。
それでも、目を輝かせながら子供たちは兎の動きを追っていた。
「──来ました」
懸念していた事態が起こった。
ヤドヴィカが部屋から出て、四人の衛兵とともにこちらに向かってくる。
騒ぎが起きていることで、念のため国王の安否を確認する気になったのか。
「あと一分支えて」
シピから指示が飛ぶ。
ええい、仕方がない。
扉を、魔力障壁を広げて防護する。
魔術で周囲から魔力をかき集めて強化するが、ヤドヴィカ相手にどこまで保つか。
扉の向こうが騒がしくなった。
魔力の糸で縛り上げた衛兵が見つかったか。
魔力の糸が斬られた感覚があり、一層騒ぎが大きくなる。
笛の音が響き渡り、居館の外も騒がしくなった。
子供たちだけでなく、国王夫妻も怯えて抱き合っている。
くそ、もう少しなんだ。
扉の外で、強烈な打撃音が響き渡った。
それとともに、ぼくの障壁が一気に削られる。
慌てて魔力を集めて補修するが、これは長くは保たない。
四発も食らえば、破壊されそうだ。
「あと三十秒!」
シピの声と同時に、ずしんと障壁に振動が来る。
きつい二擊目。
本当にこれが少女の攻撃かよ。
扉の外では、苛立ったヤドヴィカが呪詛の声を上げている。
オギェインの火が通じない障壁の存在で、相当の手練れが中にいることはばれているだろう。
三擊目を食らい、ぼくの障壁はほぼ半壊状態になる。
必死に魔力を補充しても、もう障壁の土台自体が崩されている。
間違いなく、次の一撃で壊されるだろう。
「急いで!」
シピの声が飛ぶ。
ちらりと目を走らせると、ダンバーさんの魔法陣が完成していた。
ダンバーさんが先に移動し、次に王妃を移動させようとしている。
怖々と足を踏み入れようとしている王妃を、シピが急かしたのか。
複数の足音が近付いてくる。
ヴァツワフ・スモラレクが、衛兵を率いて戻ってきたのだ。
状況を問い質す声がこっちまで聞こえてくる。
声のでかい人だ。
だが、それで多少時間が稼げた。
王妃、子供たちも転移し、国王も魔法陣に足を踏み入れる。
そのとき、轟音とともにぼくの障壁が木っ端微塵に砕かれた。
ヤドヴィカめ、強引なやつだ。
いきり立って突入しようとソファをどかしにかかる衛兵を、魔法の糸で拘束し、更に足止めをする。
「貴方も行きなさい」
そこで、シピがぼくを呼んだ。
もうみんな行ったのか。
急いで後退し、魔法陣の中に飛び込む。
視界が歪み、浮遊する感覚があった。
転移したのだ。