第十五章 クラカウの政変 -1-
十月に入ると、肌寒さが増してくる。
フラテルニアの十月は、エアル島の内陸部とそれほど変わらない気温だ。
沿岸部は海流の影響で暖かいエアル島だが、内陸部はそれほど気温は高くない。
熱波の国から来たティナリウェン先輩などは頻りに寒がるが、ぼくらにとってはジャケットを着れば快適な温度である。
夏の間に、ジャンがフラテルニアを去っていった。
正式に高等科に進級し、ヘルヴェティアの国民となったマリーを見届けると、ほどなく彼女の許を辞したのである。
旅立つ前の夜、菩提樹亭にやってきて、散々ぼくに絡みながらマリーのことを頼んでいった。
最後までマリーを護りたかったようだが、それは自分の仕事じゃないと、飲み潰れながら語っていた。
「アラナン・ドゥリスコル。マルグリット様を、宜しく頼むぞ」
強い力で腕を握られ、繰り返しジャンはそれを語ってきた。
わかってるよ、と何度も返す。
だが、それでも三十分もするとまたジャンは同じことを言うのだ。
どうしようもない酔っ払いだが、考えてみればジャンが酔うところは初めて見た。
マリーの護衛のために、酔うまで飲むことはしていなかったのだ。
翌朝、ひっそりとジャンは旅立っていった。
マリーはファリニシュと聖女修道院の一隅を間借りして生活しており、外見上それほど変わったようには見えない。
だが、食事のときなど、舌の合うジャンがいなくなってちょっと寂しそうにしているときはあった。
あの二人は、よく料理を寸評しながら食事していたしな。
ハーフェズの出立は、冬まで延ばされていた。
イスタフルでのハーフェズを迎える地ならしが、若干時間が掛かるようだ。
学院に来ない分暇をもて余したか、ハーフェズは精力的に冒険者の仕事をこなし、短期間で白銀級に昇格していた。
怠け者が、どういう心境の変化だろうか。
ぼくが高等科に進級したことで、大魔導師の弟子は四人に増えた。
オニール学長は、弟子の増加に助手を付けることにしたようで、何故かクリングヴァル先生も指導に入ることになったようだ。
ノートゥーン伯、ジリオーラ先輩、マリーの三人は、クリングヴァル先生から基礎魔法をもう一度叩き込まれている。
流石に拳は教えてないようだけれどね。
一方、ぼくは神聖術の研究を着々と進めていた。
真っ先に開発したのは、地図化である。
もう、迷宮で手書きで地図を描くのはうんざりしていたんだ。
虚空の記録にはぼくの記憶も保存されている。
それを引き出して映像化して再現する。
映像化は、魔力で魔法陣を描くやり方を応用するとはいえ、細部まで表現しようとすると膨大な情報量となり、展開の時間と魔力が洒落にならなくなるので、簡略化に苦労した。
しかし、苦労の甲斐もあって、ぼくが一度行ったところは全て地図化することに成功していた。
望んだときに、空中にその地図を映し出すことができる優れものだ。
虚空を利用した念話も教わったので、ファリニシュを頼らなくても自分で大魔導師と何処でも会話できるようにもなった。
夏の間に修得したのはそのふたつだけだが、満足行く成果だと思っている。
中等科では、ハンスがランキングトップを走っている。
中級迷宮はようやく地下三層まで来たようだ。
一人だから、時間が掛かるのは仕方がない。
だが、その経験がハンスの実力をかなり底上げしているようだ。
二番手に上がってきたアルフレートも、ハンスには一回も勝てないようだ。
三番手は、あの陰気なアドリアーノ・ヴィドー。
四番手には、ビアンカが上がってきたらしい。
初等科の頃は、いつも殴られていたっけ、あの乱暴女に。
初等科のランキングトップは、ヘルマンが不動である。
生意気なやつだが、一応初等科では図抜けた実力のようだ。
だが、初級迷宮挑戦試験は、何度か失敗している。
どうも、チームワークが取れないようなんだよな。
ハンスやアルフレートとぶつけられるせいもあるが、連携が悪くいつも瞬殺されている。
あれでは、なかなか中等科への進級者は出ないな。
初等科といえば、退学したサルバトーレ・スフォルツァが再入学してきたらしい。
父親のメディオラ公に、大分絞られたらしいな。
あのプライドの高い男が、そんな境遇をよく受け入れたものだ。
行かなければ勘当とでも言われたかな?
それなりに実力はあるけれど、ヘルマンにはまだ勝てないようだな。
高等科になって一番変わったことは、魔術と神聖術が解禁されたことだ。
これで、ぼくは学内ランキング戦で負けることはまずなくなった。
何度かノートゥーン伯とやりあったが、いずれも秒殺している。
名実ともに、魔法学院生最強となったわけだ。
二番手にノートゥーン伯エリオット・モウブレー。
三番手はフェストに出たイシュマール・アグ・ティナリウェン。
四番手が実力を伸ばしてきたジリオーラ・ブラマンテ。
このあたりの成長は著しく、他の高等科生を一歩引き離した感があるね。
ハーフェズが進級していたら、それもひっくり返っていただろうけれど。
クリングヴァル先生は、基礎魔法をみなに教える傍ら、神聖術の開眼に向けて自らを鍛えている。
神聖術の大家オニール学長がいるとはいえ、そう簡単に修得できるものではない。
だが、基礎魔法を極めたクリングヴァル先生は、他の人より可能性が高いらしい。
基礎魔法と神聖術には、大きな関連性があるようだ。
これもいつか研究してみたいな。
ベールに行っていた人たちは、飛竜の復活とともに大体フラテルニアに帰還してきていた。
聖典教はベールから一掃され、拠点としていたニーデ教会も聖修道会に引き渡された。
シルヴェストリ枢機卿は、ニーデ教会の放棄を飲む換わりに、コンスタンツェさんのクウェラ大司教の兼任と、連合評議会の参加だけは取り付けていったそうだ。
グレゴーリオ・キエーザなんかより、よほど手強い人物が送り込まれてきたことになる。
ヘルヴェティアにとっては、痛し痒しだろう。
オニール学長は、神聖術の講義の傍ら、大陸の情勢についても話される。
ぼくら四人に対する、英才教育なのだろうか。
将来ヘルヴェティアを動かすに足る知識も必要だということなのだろう。
政治経済から社会軍事に至るまで話題は多岐にわたり、付いていくのが結構大変だったりする。
ノートゥーン伯やジリオーラ先輩は、平気そうなんだけれどな。
ぼくやマリーもある程度の教育は受けているんだが、この二人ほど高度なものではない。
急に詰め込みすぎると、頭ががんがんしてくるよ。




