第十四章 ユトリベルクの中級迷宮 -10-
破魔陣をある程度使えるようになるのに、やはり一ヶ月近く掛かった。
ハーフェズとマリーはすでに中級迷宮を突破し、ハーフェズは学院からの卒業を、マリーは高等科への進級を決めている。
マリーが高等科への進級を決定したということは、マリーとアルトワ伯爵家との縁が切れるということだ。
すなわち、それはダルブレ家の騎士であるジャン・アベラール・ブロンダンの帰還を意味していた。
流石に、今日明日で出立することはないが、恐らく二週間もすればアルトワ伯の許に戻ることになるだろう。
ジャンには余り好かれていなかった気はするが、一緒にフラテルニアにやってきた仲だ。
いなくなるのは、寂しいものがあるな。
ハーフェズとサツキも、イスタフル帝国へ旅立つ準備を進めている。
にわかに慌ただしくなってきた感じだ。
マリーもオニール学長の指導を受けることになっており、滅多に弟子を取らない大魔導師の生徒が三人に増えていた。
これは、極めて異例のことらしい。
ノートゥーン伯やジリオーラ先輩は納得の人選であるが、マリーを選んだことには誰もが驚いたようだ。
まあ、彼らは彼女がセルトの女王たる才能を持っていることを知らないわけだからな。
さて、ハンスは一ヶ月過ぎても地下一層を突破できていない。
これは、ハンスには極めて不利な試練である。
だが、本人が強く望んで、学院が認めたのだから仕方がないことだ。
魔物に囲まれさえしなければ、いまのハンスなら心配ないとは思う。
モンスタートラップにだけは、気を付けろよ。
そんな感じで色々と先を越されてしまったわけだが、いよいよダンバーさんへの再挑戦の日がやってきた。
頭の中で、もう段取りはできている。
満を持して用意してきたのだ。
絶対、今日で決めてやる。
「大分時間をかけられたようですね」
何処で察知しているのか、地下五層ではやはりダンバーさんが待ち構えている。
あれか?
入場するときに認証機に旅券をかざしているが、その情報が飛ぶようにでもなっているのか?
「実戦に耐えられるくらいの仕上がりになったので、挑戦に来ました。今度こそ合格を頂きますよ」
「拝見致しましょう。どうぞ、始めて下さい」
ダンバーさんに促され、いつもの構えを取る。
右足を前に出して半身になり、右手は掌を上にして正面に出し、左手は補うようにその下に添える。
更に、魔法の糸を結界のように張り巡らし、意識外の魔法陣にも対応することにする。
守りを固めたぼくの構えに、ダンバーさんは僅かに微笑んだ。
「その数の魔法の糸を、全て自在に操れるとしたらアラナン様に敵はございませんな。宜しい。試して差し上げましょう」
ダンバーさんが前進を開始する。
宙を滑るように進んでくる歩法は、独特のものだ。
足の裏に魔法陣を仕込んでいるようだが、その効果や紋様は確認できない。
間合いにはまだ遠いと思った地点で、ダンバーさんの上体が左に捻られた。
拳打じゃない。
これは、側頭を狙った上段蹴りだ。
まともに受けたら、こっちの腕がやられる。
こちらも踏み込んで、力の乗らない打点でその蹴りをガードする。
した、と思った瞬間、逆側から左足の膝蹴りが飛んできた。
うお、この技はフェストでも見ていない。
右足の蹴りから左足の蹴りに、こうまで連続して繋げるものか。
右肘を下げて、胴体への膝蹴りを防御する。
くっ、強烈な蹴りだな。
右手が一瞬痺れたわ。
だが、接近した以上、離れる手はない。
飛竜の拳は、超接近戦にこそ真価を発揮するのだ。
左手をダンバーさんの腹に押し当てる。
接近戦の秘法は、手で殴るのではない。
踏み込み、体軸を移動する力を手で発射するだけだ。
イメージとしては、掌を使った体当たり。
飛竜の絶技の一、竜焰だ。
だが、そのまま撃ったのでは、反射陣に弾かれる。
そこで、更に掌に破魔陣を乗せた。
激しい衝撃とともに、ダンバーさんが吹き飛んだ。
本当は、衝撃を全て体内に伝えると吹き飛ばない。
だが、ダンバーさんを殺したいわけじゃないからな。
押す力に重点を置いた。
「ぐっ……素晴らしい一撃」
地面に横たわったまま、ダンバーさんが呟いた。
「破魔陣に絞って修練されたのでございますね。ハーフェズ様の入れ知恵でございましょうか。しかし、それでも、わたしの反射陣をこれだけ無効化するとは大した上達ぶりです。──若干、殺しきれなかったようでございますが」
ダンバーさんの言う通り、ぼくの左手にもダメージが返ってきていた。
掌にひびでも入ったかもしれない。
でも、ダンバーさんも肋骨くらい折れているだろう。
押し出す力に変えたとはいえ、それくらいの威力はある。
「久しぶりに味わいました。この竜焰の味。飛竜とは何度もやりあいましたが、懐に入られたら打つ手はなかったものです」
「──今回は、誘い込まれた気がしましたよ。ぼくが反射陣で態勢を崩したら、逆に仕留められていましたよね」
「ふふふ、それがおわかりになるのは、流石にスヴェン様の弟子でございますね」
体を起こしたダンバーさんは、口許の血をハンカチで拭うと立ち上がった。
その姿は毅然としており、ダメージがあるようには見えない。
凄いな、かなりの痛みがあるはずなんだが。
こっちも、左手が熱を持ったように熱くなってきているよ。
「反射陣の破り方は、八十点といったところでしょうか。罠の回避については、若干反則気味な気も致しますが、よしと致しましょう。余人に真似のできる方法ではございませんが」
そして、ダンバーさんは微笑むと、深々と頭を下げた。
「おめでとうございます。これにて、アラナン様の高等科進級を合格と致します。以後、ますますのご研鑽を」
「──有難うございます」
やった!
これで、ぼくも大魔導師の教えを受けられる。
神聖術について、色々と勉強したかったんだよね。
でも、その前に──この手の治療しなきゃな。
結構腫れてきたんですよ。
「じゃあ、ぼくは帰還します。イリヤに再生使ってもらわないと。ダンバーさんも、早めに治療した方がいいですよ。手加減はしましたが、魔法障壁なしの打撃は洒落にならないんで」
「誠にその通りでございます。やせ我慢で立っておりますが、肋を三本持っていかれました。アラナン様のお相手は、命懸けでございますな」
口ひげを撫で付けながら、ダンバーさんが微笑んだ。