第十四章 ユトリベルクの中級迷宮 -9-
オーギュスト・ベルナール先輩の属性魔法は、学院でも屈指のものである。
だが、中等科にハーフェズという規格外の属性魔法の使い手が現れてしまったため、その印象が薄れてしまった感は否めない。
炎の芸術家の異名の通り、多種多様な火炎魔法を操る。
実力的には、フェストに出場したティナリウェン先輩とも互角の猛者だ。
ベールに来ていなかったのは、マリーに敗北した後、狂ったように研究に打ち込んでいたためだという話だ。
確かに、瀟洒な色男が若干やつれているように見える。
でも、瞳にはぎらつくような渇望が見えるな。
これは、ハンスにとって結構強敵かもしれない。
試合開始と同時に、ハンスが剣を構えて突っ込む。
だが、その前方にいきなり大きな炎の壁が出現し、足止めを余儀なくされる。
ベルナール先輩は、魔法陣魔法も修得している手練れだ。
魔法の威力は、決してハーフェズにひけをとるものではない。
出鼻を挫かれたところに、ベルナール先輩の頭上に独自呪文である火の鳥が現れる。
その偉容は、ハーフェズの竜炎魔法にも負けないくらいだ。
マリーは奇策でかわしたが、強化系統の魔法しか使えないハンスに、あれをかわす方法はあるのか。
ぎりっと音が此処まで聞こえてくるくらい歯を食いしばると、ハンスは剣に魔力を集める。
ハンスは元々熟練の身体強化が持ち味だが、付与魔法を使った魔力剣がいまの決め技だ。
剣に集った魔力が、冴え冴えとした冷気を放ち始める。
その刃を、ハンスは一気に炎の壁に叩き付けた。
だが、魔力の強度では、魔法陣を使ったベルナール先輩の方が上であった。
ハンスの氷結剣は、紅蓮の炎の前に脆くも溶け落ちる。
だが、一時的に火勢は衰えた。
その僅かな隙を突き、ハンスは炎の中に飛び込んだ。
魔力障壁に負担をかけつつ炎の壁を飛び越えたハンスの目の前に、巨大な火の鳥が放たれる。
追撃の炎を食らえば、ハンスの魔力障壁は保たない。
だが、そこでハンスは怯まなかった。
両足に魔力を集め、思いきって前に突き進む。
火の鳥の猛火が着弾。
ハンスが踏み込んだことにより、ベルナール先輩の狙いは逸れ、火焔は地面に激突する。
だが、大地を焦がすほどの熱量はハンスをも焙り、背中に熱気を受けてその顔は苦痛に歪んだ。
それでもハンスの足は止まらず、更にベルナール先輩との距離を詰める。
もう少しで間合いに入ろうとするところで、地面を這うように何本もの炎の線が走った。
炎の蛇。
ベルナール先輩の得意とする火炎系縛鎖呪文だ。
あれに捕まったら、行動を制限されるだけじゃなく、火傷などのダメージも負うことになる。
その時点で、ほぼ終わりだ。
だが、焦ったか時間がなかったのか、ベルナール先輩は炎の蛇に魔法陣を使わなかった。
だから、炎の量はそれほど大きくはない。
ハンスの剣に再び冷気が宿ると、氷結剣が次々と炎の蛇を斬り裂く。
慌てたベルナール先輩が、次の魔法を放とうとしたところで、ついにハンスが剣の間合いに踏み込んだ。
その時点で、勝負があった。
ハンスの豪剣を、ベルナール先輩は炎の障壁で防ごうとするが、委細構わず放たれた斬擊が障壁を割って先輩の体に叩き込まれ、致死判定に追い込まれた。
全身から白い煙を噴き上げながら、ハンスが高々と右手の剣を掲げる。
彼らしい真っ直ぐな勝負だったよ。
あの火の鳥を見て、なお臆さず前に出られる剣士はそうはいない。
そして、結果としてそれが勝負を決めた。
火炎魔法に習熟したベルナール先輩が、着弾位置を誤るなどありえない。
それだけ、ハンスの行動が予想外だったのだ。
「ハンスらしい考えなしの剣だよな。真っ直ぐ突っ込むだけかよ」
「いやー、あれがハンスさんの持ち味ですよね」
「そうだなあ。途中で躊躇ったら負けていた。魔法の技倆では、数段ベルナール先輩のが上だったからね。ハンスが勝ったのは──覚悟の差だ」
カレルとアルフレートが賑やかに論評するのに乗ってみる。
実際、ハンスがあの一歩を踏み込めたのは、ベールでの実戦経験のお陰だろう。
ベルナール先輩もフラテルニアで戦法の開発に勤しんでいたようだが、今回のベールでの体験はハンスを大きく変えた。
漠然となりたいと思っていた目標が、具体的なものに変わったのだ。
それが、ハンスの実力を大きく押し上げているのは間違いない。
「アルフレートだったら、ベルナール先輩に勝てたかい?」
「まだ、無理ですね。いま開発中の技が上手くいけば或いはですが──いまは勝てません」
アルフレートの感覚は、割りと当たっていることが多い。
理論でなく、肌で感じる動物的なアルフレートならではの判断だ。
ぼくらが中等科を卒業すれば、中等科トップを争う立場になるんだから頑張ってほしいね。
「アラナン君、わたしもユトリベルクに行くぞ。そして、レツェブエルだ」
高揚した表情のまま、ハンスが戻ってくる。
その肩を軽く叩くと、ぼくもにやりと笑った。
「まあ、頑張れよ。このタイミングだと一緒に行く仲間がいないから、一人で行くことになるぞ。ぼくのような特殊なボスは出ないだろうから多少は安心だが──ハンスはすぐ罠に引っ掛かりそうだからなあ」
「アラナン君だって、一人でやっているじゃないか。わたしだってやれるさ」
うん、まあ初めは大変だと思うよ。
ぼくだって、一人で何もかもやるのは決して楽なことじゃない。
汎用性の高い魔法を持っていないと、すぐに詰むと思うんだよね。
ま、ひとつずつ堅実に進んでいけばいいと思うんだけれどさ。
いまのハンスは、結構気が急いているからねえ。
「──ん? そういや、あそこでハンスを睨んでいるやつ、誰だっけ」
「どれだい──ああ、あれはサヴォギア伯の三男、アドリアーノ・ヴィドー君だね。ブラマンテ嬢が高等科に行ってからは中等科ランキングトップだったけれど、すぐにハーフェズ君に抜かれて、なかなか中等科卒業できないでいるみたいだ」
アドリアーノ・ヴィドーね。
恨みがましい目で見つめてきて、気分が悪いな。
中等科二位といえば、選抜戦にも出ていたはずなのに、全く記憶にないや。
自分が卒業できないのに、後からやってきた後輩が次々と中級迷宮に挑戦していくのを見て、妬ましく思っているのかね。
そういう逆恨みは、勘弁してほしいものだよな。




