第十四章 ユトリベルクの中級迷宮 -8-
「破魔の刃か。あれは、ふたつの魔法陣の複合だから、難しくて当然だな。わたしも、構築には十秒は掛かる」
一人で練習していても上手くいかないので、ハーフェズが迷宮から帰ってきていると聞いて訪ねてみる。
ダンバーさんは、まだベールから帰ってきていない。
ぼくが五層に入るときだけ、ベールから転移してきているのか。
何だか、申し訳ない気分だ。
頑張らなきゃな。
「要するに、破魔陣と刃化陣だな。難しくて構築できないなら、破魔陣だけにすればいい」
おお──流石ダンバーさんの弟子。
魔法陣に関する知識は、ぼくより数段上だな。
「破魔陣だけなら、こうだ。──どうだ、大分簡略化されるだろう」
ハーフェズは、二秒くらいで魔法陣を構築してみせた。
うん、確かに大分簡略化されてる。
でも、それでも結構難しいぞこれ。
ハーフェズのお手本を見ながら、何とか描き上げる。
三十秒は過ぎてるけれどね!
これは、実戦で使うにはちょっと練習が必要だぞ。
「ふふ、わたしほどではないが、やはりアラナン、お前も天才なのだな。見ただけでこれを複製できる魔法師は、ほとんどいない。キアラン・ダンバーが、技を教えようと思うはずだ」
「魔法陣の才能はそれほどでもないと思うけれどね。でも、知っておいて損はなさそうだ。ダンバーさんやハーフェズみたいに、あれこれ使いこなせる気はしないけれど」
「当然だ。わたしこそ本当の天才だからな」
サツキの運んできた紅茶を飲む。
十分に旨いのだが、やはりどこかダンバーさんの淹れたアングル式紅茶には及ばない。
彼が不在だと、この屋敷も何処か精彩を欠いている気がするな。
いや、無論頑張っているサツキを貶したいわけじゃないけれど。
「ところで、アラナン。地下三層を隈無く探したつもりなんだが、どうしてもボス部屋が見つからなくてな……」
「ああ、隠し扉を見つけられてないんだね。地図はある?」
ハーフェズが魔法の袋から地図を取り出す。
む、この地図やけに綺麗だな。
ぼくの描いた地図とは、見やすさがかなり違う。
ファリニシュが描いたのかな。
まさか、ハーフェズってことはあるまい。
「此処。この部屋のモンスタートラップは発動させた?」
「いや? 明らかな魔物寄せの魔法陣だったから、避けていったんだが」
「そこで魔物寄せの魔法陣を発動させ、魔物を全滅させないと、転移の魔法陣が出てこないんだ。転移した先の小部屋で、隠し扉を探せば、ボス部屋へ行けるよ」
ハーフェズが呻き声を発した。
まさか、魔法陣の知識が豊富で、罠を巧く避けていたからこそ順路が見つからなかったとは思いもしなかったのだろう。
「発想の転換だね。正しい選択が常に正解とは限らない。性格悪いよ、この迷宮はさ」
「──わたしと同様、魔物寄せだとわかっていたはずなのに、それを発動させたお前の物好きに呆れるよ」
失敬だな!
研究熱心と言ってくれたまえ。
これでも、魔法陣の紋様と効果を検証するために必死なんだよ。
「ま、とりあえずぼくは破魔陣の練習だ。一ヶ月くらい掛かるかもしれないし、今回はハーフェズに先を越されそうだ」
「そうか。わたしのときは、五層のボスは変わるんだな。お前の受けている試験は、わたしなら簡単に突破できるから意味はないが──ダンバーと本気の勝負もしてみたかったな」
あのダンバーさんと勝負をしたいと言えるハーフェズは、やはり大した男だよ。
攻撃の予備動作のなさ、無駄のない動き、立体的に機動できる自在性、魔力障壁を貫く攻撃、こちらの攻撃を跳ね返す反射、数々の魔法陣によるトラップ。
こんなにやりにくい相手もなかなかいないよ。
黄金級冒険者の名に相応しい強さだね。
フェストではコンスタンツェさんが勝ったけれど、手の内は晒したから、次やったらダンバーさんが勝つ気がする。
最後にサツキを励ましてから、ハーフェズの屋敷を出た。
元々訪ねた時間帯も遅く、夜空には月が浮かんでいる。
魔導灯のあるフラテルニアは、夜でも明るくて人通りも多い。
日が暮れるとみんな寝てしまう農村とはえらい違いだ。
宿に戻ると、三人組がぼくを待っていた。
すでに結構食べていて、盛り上がっていたようだ。
「よう、アラナン。ハンスが、明日オーギュスト・ベルナール先輩とやるんだよ。中級迷宮挑戦資格を賭けてさ」
一人でやるのか?
よく許可が下りたな。
普通は班ごとにやるもんだろう。
「ハンスだって、フェスト予選でいいところまで行ったんだもんな。中等科卒業の資格ありって学院が判断したんだろうぜ」
「そうか。ま、メディオラ公といい勝負ができる生徒なんて、高等科だってそういないもんな。頑張れよ、ハンス。明日応援に行くよ」
オーギュスト・ベルナール先輩は、選抜戦でマリーに負けた人だ。
高等科でも有数の魔法師だが、剣技ではハンスのが上だろう。
接近できれば、勝機はある。
「アルフレートやカレルには悪いけれどね。わたしも、目標がはっきり見えたんだ。いつまでも足踏みはしていられない。一刻も早く、レツェブエルに行きたい気分なんだよ」
「ぼくたちのことは、気にしないで下さい。まだ、実力が足りてないのは、重々承知しています」
「おれなんて、錬金術科の財政背負っちゃってるもんだから、卒業したら困るって言われているしなあ。当分、学院にいるしかなさそうなんだよな」
アルフレートはともかく、カレルはどっちの方向に行こうとしているんだ。
フェストの決勝の賭けは払い戻しになったが、それまででも十分に儲けていたはずだ。
ぼくの財布も、当分金の心配はしなくていいくらい膨らんだからな。
アルビオンの援助がなくても、余裕で生活できる金はある。
でも、フェスト優勝の効果か、アルビオンからの援助は大幅に増額されるみたいだけれどね。
金で繋ぎ止めようというつもりかな。
「それより、フランデルン伯の次男を一撃でのしたって? あいつ、あれで初等科では敵なしで肩で風切っていたからな。凄い噂になっているぜ」
「やだなあ。先生に頼まれて、ちょっと模擬戦をしただけだよ。軽く撫でただけさ」
「いやー、アラナンさんは、フェスト優勝の英雄ですよ。その戦いを生で見られて、初等科の女の子たちは失神者続出だったとか。カレルさんが売っているアラナンさんの姿絵、飛ぶように売れているらしいですよ」
あれ、あんまり騒がれないと思っていたのに、密かに人気はまだあったのね。
よかった、何か嫌われるようなことをしたかと思っていたよ。
というか、カレル、そういうのって、モデルにもちょっと分け前を寄越すのが筋ってもんじゃないのか?




