第十四章 ユトリベルクの中級迷宮 -7-
ヘルマンが意外としつこく食い下がってきたので、身体強化もろくに使えないうちは舎弟にはできないとはっきり言っておいた。
それなりに自信はあったようだが、今年の初等科のレベルが低かっただけだろう。
あれでは、初級迷宮への挑戦権を得られる生徒は、当分出まい。
中等科との実力差が大きすぎる。
そういや、ジリオーラ先輩も大きな壁として立ちはだかっていたっけ。
いまの中等科は粒揃いだし、よほど力を付けないと相当ひどいことになるはずだ。
ヘルマンは不満そうであった。
だが、マリーの動きが見えるか試させたところ、まるで目で追えなかったことでようやく納得し、大人しく練習する決意を固めたようである。
中等科を卒業しようとしているマリーとは、身体強化の練度が違うんだよ。
そんなこんなもあり、何とか迷宮探索の続きを行うこと二週間。
何とかぼくは地下四層を突破するのに成功した。
ハーフェズたちはまだ三層を探索中である。
決して遅いとは言えないだろう。
下に行くにつれて魔法陣の罠は嫌らしさを増すし、魔物も考えて行動するようになってくる。
初級迷宮と違って、頭を使えと言ってくるかのようであった。
ま、こういうのはむしろ得意なんで、問題はなかったけれどね。
初級迷宮と同じなら、地下五層はボス部屋しかないはずだ。
そして、そこにいる人物にも心当たりはある。
初級迷宮にいたのは、シピ・シャノワール。
そうすると、中級迷宮にいるのは──。
「ようこそいらっしゃいました、アラナン様」
オールバックの白髪に一分の隙もない黒の燕尾服。
柔らかな物腰の執事、キアラン・ダンバーさんだ。
「予想はしていましたけれど、今度は魔法陣魔法の講習なんですか?」
「飲み込みが早い御方でございますね。講習は、そう難しい魔法陣魔法までは扱いません。戦闘時の罠の回避、魔法陣による攻撃の増幅の修得、反射陣への対応、アラナン様への課題はこのあたりでしょうか」
聖騎士とダンバーさんとの戦いを思い出す。
コンスタンツェさんは、意識外からの次元刃で反射陣を破った。
あんな離れ業は、ちょっとぼくにはできない。
神聖術が使えれば、速度で押しきるという力業が使えるんだけれどね。
残念ながら、今回は使えない。
そうなると、速度ではほぼ互角、武術ではダンバーさんが上、魔法陣魔法を使われたら圧倒されてしまう。
結構厳しい課題だなあ。
「準備は宜しいですか、アラナン様」
とはいえ、これは想定していた事態だ。
対策も、全くないわけではない。
「構いませんよ、ダンバーさん。一年前は相手にもならなかったけれど、今日は挑戦させてもらいますよ」
「ほっほ。フェストの優勝者がご謙遜を。手加減をしていただくのはこちらの方です。わたくしは、遠慮なく参りますぞ」
ダンバーさんの動き出しは、恐ろしく静かだった。
神経を張りつめている人間の、一瞬の虚を突くかのようにすっと間に入り込んでくる。
まっすぐ手刀が突き出されてくる。
これは、ダンバーさんの破魔の刃だ。
魔力障壁を無効化してくる厄介な技。
流麗だが鋭利な突きを、前に出した左手で弾く。
クリングヴァル先生の直伝、左螺旋の捌きだ。
腕を外側に弾き出せば、ダンバーさんの胴がぼくの目の前にさらけ出される。
そのまま左足を一歩踏み出せば、左手の竜爪掌を繰り出せる。
そこに、更に増幅の魔法陣を乗せようとするが──。
魔法陣の展開に時間が掛かりすぎて、全然掌打の速度に間に合っていない。
ありゃ、練習ではもう少しまともだったのに、これは使い物になっていない。
逆に、ダンバーさんの反射陣を乗せた腕に弾かれ、後方に吹き飛ばされる。
「──やれやれ、思ったより難しいですね」
「魔法陣の展開速度も、身体強化と同じでございますからな。日頃の練習のみが、上達への道を開くのでございます」
「ハーフェズがちゃんと修得しているのを思えば、あいつがやっぱり天才なんだと再確認しましたよ」
ダンバーさんの魔力隠蔽の技術は高いが、ぼくも看破眼を使えば見破れる。
だが、それでもダンバーさんの魔法陣の罠を察知するのは難しかった。
意識の手薄なところを狙って設置するそのテクニックは、絶対エスカモトゥール先生から習っているはずだ。
何度となく罠に引っ掛かり、これが実戦だったら確実に敗北していたであろう。
くそっ、単純な迷宮の罠と違って、心理的な隙を突いてきてくれるね。
それでも、二時間は組手を続けていたであろうか。
流石に、ぼくは汗だくになって息も荒くなっている。
ダンバーさんは汗もかいてないし、呼吸も静かだ。
あの人の動きは、無駄が少ないんだよな。
それが、この差になって現れているんだろうか。
とりあえず、増幅の魔法陣を拳に乗せることだけは、形になりつつあった。
撃つ瞬間に付与する高等技術は、まだぼくには無理だ。
だから、その分時間を掛けて編み上げ、事前に付与しただけである。
それだけだが、拳打の威力と速度は少し上がった気がするな。
増幅の度合いも、慣れないと上がらないようだ。
「百点満点中五点といったところでございますが、とりあえず増幅についてはそんなところでございましょうか」
五点!
まあ、そんなところだよね。
いきなり使いこなせるものではないのは、身体強化のときと同じだ。
「反射陣への対策は今のところ落第点でございますね」
そうなんだ。
実は、何度も試しているんだ。
ダンバーさんの破魔の刃の魔法陣。
でも、増幅に比べて陣の紋様が複雑すぎなんだよ。
一回も発動しないんだな、これが。
「息も乱れてきているようですし、今日のところはこれまででございます。もう少し練度を上げてから、またお出で下さいませ」
そう言うと、ダンバーさんは恭しく一礼し、部屋の隅にある魔法陣から、何処かに転移していった。
ちえっ、一回目の挑戦は落第か。
これは難しい。
罠にも気を配りながら、あの複雑な紋様を短時間で描き上げろとか、脳に相当負担が掛かるよ。
ダンバーさんが去った後、暫くその場に座って動けなかったからね。
ま、こうしていても仕方がない。
戻るかな。
どうやら、暫く魔法陣の鍛練をしないと、とてもダンバーさんのあの試験に合格できそうにないみたいだ。




