第十四章 ユトリベルクの中級迷宮 -1-
空が高い。
気が付けば春も過ぎ、心地よい初夏の風がフラテルニアの空を駆け抜けていく。
六月のフラテルニアの最高気温は大体二十度くらい。
やっと過ごしやすい季節になってきたと思う。
三日に一回は雨が降る湿気の多いこの街でも、特に六月は雨が多い印象がある。
五日に二回くらいは降っている印象だ。
それでも、今日は晴れ渡った空であった。
ぼくの気分を映し出しているかのようだ。
フェストも終了し、日常の学院生活が戻ってきている。
あの後のニーデ教会での捕物は、かなりの激戦になったようだ。
教会には、潜入していた聖典教の信徒たちが潜んでいて、警備隊と大立ち回りをしたそうだ。
闇黒の聖典の手練れもいたらしいけれど、シピ、ダンバーさん、クリングヴァル先生が先頭に立って蹴散らし、問題はなかったという。
捕縛した信徒の半分くらいは自殺したが、残る半分は戒律から自殺を禁じられていると捕縛を受け入れた。
大体下っ端で、大したことは知っちゃいない。
グレゴーリオ・キエーザも自殺するかと思ったが、醜く足掻いてクリングヴァル先生に捕まえられた。
最後まで見苦しい男だったな。
訊問はされたが、記憶は消されていた。
何故自分が捕らえられたかも理解せず、ひたすら居丈高に振る舞ったという。
毒酒での死刑は、むしろ優しい判決だったのではあるまいか。
アセナ・イリグの容態は快復したが、シピとダンバーさんは後始末でまだベールに残ったまま帰ってこない。
大魔導師も、ルウム教会のシルヴェストリ枢機卿との会談が長引いて戻ってきていない。
クウェラ大司教の後任を、シルヴェストリ枢機卿は聖騎士コンスタンツェ・オルシーニに兼任させると言ってきているのだ。
そして、ヘルヴェティアの連合評議員の地位も引き継がせるように要求してきている。
あんな油断のならない人にそんな要職を占められては、ヘルヴェティアにしてみればたまったものではない。
だから、オニール学長は当然反対しているが、シルヴェストリ枢機卿はなかなかしたたかで譲らない。
ま、聖典教の禁止だけは、かなり早く公布されていた。
ヘルヴェティアの連合評議会で決議、公布されたが、帝国もすぐに同じ内容を勅命で発布している。
見かけたら問答無用で逮捕されるので、聖典教の信徒はポルスカ王国へと移住を開始したとか。
ポルスカ王国は、帝国の勢力範囲外だからな。
あそこは、ヴィッテンベルク皇帝の力より、ルウム教会の力のが強い地域だ。
ルウム教も聖典教とは仲が悪いが、まだ表だって排斥するところまでいってないからね。
学院の方はといえば、すでにハーフェズとマリーは、ユトリベルクの中級迷宮に入っている。
学院は、今回はハーフェズに単独行を許さず、マリーとファリニシュとの班を組ませている。
ハーフェズというより、マリーの安全に気を使った編成だな。
ぼくは当然一人で行けという指示だったが、ベールに少し滞在していたので、ハーフェズたちに先行されている。
あいつに先行させたら、追い付けないじゃないか!
焦りはあったが、学長の命令だから仕方がない。
包帯も取れないうちに、学長に連れ回されて色んな人に会った。
ちょうど各国のお偉いさんがベールに来ていたからな。
今回の優勝者の片割れであり、皇帝を救った男として片っ端から紹介されまくった。
何を話したかもよく覚えていないが、一番印象に残ったのはやはりユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクだ。
蒼い双眸が、苛烈なあまり炎のような赤い色彩に見えてしまうほどの勁さを持っている。
得体の知れないボーメンの赤い悪魔を重用していることからでも、能力次第で人材を抜擢する柔軟さを持ち合わせているのはわかる。
だが、彼の印象というのは、将来有望な若手貴族というより、大陸に血と剣戟を撒き散らす覇王の雛なのだ。
味方になれば頼もしいが、敵に回せば苦労しそうな予感しかしない。
そして、紹介されたときの視線で判断する限り、ぼくは彼に敵として判断されているとしか思えないんだよな。
まあ──確かにヴァイスブルク家の邪魔はしている気はするけれどね。
あと変わったことはといえば、ジリオーラ先輩の指導がオニール学長に変わっていた。
エスカモトゥール先生が好きなジリオーラ先輩だが、学長の指導ってことは所謂特待生ってことだからな。
流石に断るようなことはない。
ノートゥーン伯と一緒に神聖術の講義を受けているのだろう。
そのノートゥーン伯だが、クリングヴァル先生の試験を突破して基礎魔法の鍛練を始めている。
学長が今までも基礎魔法を学ぶように勧めていたのだが、ノートゥーン伯は莫迦にして神聖術しかやらなかったらしい。
だが、ぼくのフェストでの活躍を見て、考えを変えたそうだ。
高等科のトップが基礎魔法を学んでいるのを見て、学院の生徒の間では急に基礎魔法ブームが起きているらしい。
無論、クリングヴァル先生の試験を突破できる生徒はノートゥーン伯の他にはいなかった。
エリオット・モウブレーが、魔法の天才であることは確かなようだね。
さて、そうこうしている間に、ユトリベルク山に着いた。
ユトリベルク山は、フラテルニアの西にある標高二千八百フィート(約八百七十メートル)程度のなだらかな山だ。
麓から歩いても、一時間半ほどで山頂に着く。
ぼくの足なら、一時間もあれば十分だ。
メートヒェン山の厳しさから比べれば、欠伸が出るような高さの山であるが、それでも此処に学院が管理する地下迷宮があるとすれば行かざるを得ない。
まあ、山頂まで行く必要はなく、中級迷宮はユトリベルク山の中腹にあった。
三十分も歩かなくても着けるくらいだ。
山頂へ続く道とは別に、中級迷宮の看板に従って脇道に入ると、すぐに切り立った崖が現れる。
崖には大きな扉が設置されており、扉の手前には小屋がひとつ建てられていた。
近付くと、ユトリベルク中級迷宮管理事務所と書かれた看板が掛けられている。
どうやら、此処で手続きをするようだ。
「すみません、中等科生のアラナン・ドゥリスコルですが」
窓口で船を漕いでいたおっちゃんに話し掛ける。
頭に白いものが混じり始めたおっちゃんは、慌てて目を醒ますと、覗き込むぼくに咳払いをした。
「おほん。ようこそ、ユトリベルクの中級迷宮へ。カードを持っているかね、ドゥリスコル中等科生」
今更威厳を出そうとしても遅いよ、おっちゃん。
ま、とりあえず旅券を渡す。
手続きをしてもらわないといけないからな。
でも、こんな居眠りしているおっちゃんが管理人で大丈夫なのか、この迷宮。
「確かに、本物だ。ベールでの活躍は聞いているよ、ドゥリスコル中等科生。あのコンスタンツェ・オルシーニに勝ったそうじゃないか。学院にいた頃は、自分に勝てる男はいないってつんつんしていて、雰囲気悪かったんだぜ、あのお嬢ちゃん」
「大丈夫、いまでもそんなに変わりませんよ」
旅券を返してもらうと、おっちゃんに適当な返事をして入り口に向かう。
さて、攻略の開始だぞ。




