第十三章 皇帝を護る剣 -10-
決勝の観客の喧騒は、準決勝の比ではなかった。
立ち見の客が指定席にまで溢れ、視界を妨害して揉め事が起きている。
が、そんなのは自由席の身動きもできない密集状態に比べたら、些細な出来事だ。
フロリアン・メルダースめ、強欲にも程がある。
定員ってものがあるだろう。
一体、何人入れたんだよ。
応援の声を聞くと、男性や年配の女性は大体黒騎士の名を叫んでいた。
一方、若い女性はぼくの味方のようだ。
黄色い声援は、こっちに飛んでくる。
うん、別に野太い声はいらないな。
「逃げずによく来たな、アラナン・ドゥリスコル」
今日のレナス帝領伯は、黒の絹のシャツに黒の綿のトラウザーズと、黒一色の装いである。
シャツは襟がレースの飾り襟になっており、首には金のペンダントを付けている。
老人の癖にスタイルがいいせいで、すっきりとしてよく似合っている。
そして、聖鴉の鞘と柄まで、黒く塗ってきていた。
「どうもぼくはアルビオンとヘルヴェティアの看板を背負っているらしいんでね。帝国には負けるなと言われるんですよ」
一方、ぼくは大体いつもの格好である。
洒落た飾りなどないシンプルな白い麻のシャツに、焦げ茶の膝丈の脚衣にブーツといった簡素な装いだ。
無論、タータンチェックのタイだけは身に付けているよ。
「何だ、足許の定まらぬやつだな。そんなんで、儂に勝てると思うたか」
「確かに定まってないのかもしれない。でもね──」
黒騎士のように、皇帝だけを護る生き方もあるかもしれない。
だが、どうやらそれはぼくの生きる道ではないようだ。
「定めないことを決意したってことなんですよ。レナス帝領伯、ぼくは貴方とは違う。一人だけなんてことは言わない。ぼくの剣は、ぼくの翼の下に来る人のために振るう」
「──不遜な科白だ。その言に相応しいかどうか、儂が確かめてくれよう」
アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーが、聖鴉の黒柄に手を掛ける。
ぼくも、いつでも門を開く準備だけはしておく。
抜き打ちの神速の断罪だけで終わったら、洒落にならない。
「──しかし、こう言っては何ですが、黒騎士の決勝進出は順当ですが、ドゥリスコル選手の決勝進出は予想外でしたね」
「あても、アラナンはんに負けたんはいまでも信じられへんよ。でも、ほんまにあの子は強かったよって、まぐれじゃおへんよ。何より、心が強うてなあ」
何だ、決勝の解説は聖騎士か。
結構、暇しているんだな、コンスタンツェさんも。
それにしても、超満員の会場は声援と悲鳴が入り交じり、とんでもない状況になっている。
だが、ぼくは自然体で構えると、息を吐きつつその騒音を意識から消していく。
集中を高めつつ、一点に囚われない。
そんな精神状態が理想だ。
見るべきは、審判の合図と黒騎士のみ。
何処から来るかわからない聖騎士の次元刀に備えていたよりは、気が楽じゃないか。
審判が出てきた。
右手がゆっくりと挙げられる。
うん、神経の先まで感覚が行き渡っているように研ぎ澄まされているのを感じるな。
準備は万端だ。
さあ、来い!
「試合開始!」
審判の合図とともに、神の眼と太陽神の翼を発動させる。
黒騎士の踏み込みが、はっきりと捉えられる。
運足の速度は、こっちが上だ。
地を蹴って飛び込み、距離を詰める。
こちらの速度に、黒騎士は出鼻を挫かれた。
僅かに刀を抜くタイミングが遅い。
これなら、掻い潜れる。
神速の断罪。
軌道は右下からの斬り上げ。
左足を踏み込んで、体を斜めにずらしてかわしながら左手の雷衝を入れる。
だが、黒騎士も、体を後ろに反らして打点をずらした。
効いてない!
そのまま尖火に繋げようとして、斬撃が上から降ってくることに気付く。
弧月だ、くそっ。
回避は間に合わないので、右手にフラガラッハを喚び出す。
聖鴉の一撃を、神剣は澄んだ音色で弾いた。
黒騎士が、驚きの表情で後退した。
初手から奥の手を使って決めに来てたな。
それを凌がれたんだ。
驚愕くらいするだろう。
「その若さで神聖術の使い手であったか。しかも、第二段階に到っているとは」
「奥の手は、隠しておくものさ!」
大地を蹴って飛び上がる。
そのまま黒騎士の頭上を飛び越え、左手に神銃を出して背後から撃ち込む。
神銃の弾丸は、神の眼でも高速に見える彈速だ。
その光彈を、黒騎士は、僅かな頭の動きでかわした。
「儂の動きが、抜き打ちの速度に比べれば遅いと思っているようだな」
低い声で黒騎士は嗤った。
「必要がないから、使っていなかっただけのこと。本当の神速の断罪は、踏み込みの瞬動から始まるのだ」
虚喝を、と思いたかった。
だが、いまの動きを見れば、偽りとは思えない。
明らかに、黒騎士は、運足での神聖術を持っている。
だが、もしそうだとしたら、唯一ぼくが上回っていた点が、消え去ることになる。
死角がない。
「ドゥリスコル、貴様は何らかの感覚強化の神聖術を持っているようだが──」
黒騎士が聖鴉をゆっくりと鞘に納める。
「儂の本気の動きを捉えられるか?」
「無論。ぼくの神の眼で捉えきれない動きはない!」
今度は、連続で五発神銃を撃ってみる。
聖鴉を鞘走らせた黒騎士は、弧月でその五発全てを斬り落とし、再び刀を鞘に戻した。
ただ速いだけでできる業ではない。
撃ち込む先を予測しているのか?
「どうした。そんなおもちゃで儂は倒せぬ。怖れて近付けぬか?」
「ああ、怖いさ。こんなに怖い相手は初めてだ。だが、いまのはただの探りだ。決着は──これで付ける」
神銃をしまうと、ぼくは神剣の刃を突き出した。




