第十三章 皇帝を護る剣 -9-
試合前に、ファリニシュが念のため再度再生を使ってくれた。
痛みはもうそれほど気にならないが、若干の違和感はある。
できれば完調で戦いたかったが、贅沢は言えない。
黒騎士も、クリングヴァル先生の攻撃を結構食らっていたんだ。
無傷ということはない。
「太陽神の翼を使いなんすか」
オニール学長との話し合いを、ファリニシュはすでに知っているようであった。
二人はいつも念話で情報交換しているもんな。
高等科に進んだら、ぼくも学長の許でもう少し神聖術を教えてもらおう。
「使う。最初から、全力で行くよ。そうしないと、一撃で負けるからね」
「黒騎士は、神聖術の扱いで主様より一段上におりんす。主様は、門が表に顕れておりんす。黒騎士は、内に収めていなんす。扱いの巧みさでは、相手が上手でござんすよ」
内に収めている、か。
確かに、黒騎士の虚空との門は肚の中にあった。
ぼくのように、額ではない。
「門の位置を気にしたことはなかったけれど、上級者は肚の内に構築するものなのか?」
「主様も、魔術を使うときには丹田から魔力を集めなんしょう。それが自然な流れでござんす。額では澱みが出て、それが外に漏れなんす」
ふーん、効率が悪いってことか。
それが、黒騎士のあの寒気がするほどの滑らかさに繋がっているのかな。
「枷を全部取り払って戦いに臨む気分はどうだ?」
ハーフェズが、からかうように声を掛けてきた。
呑気なことを。
こっちは、お前のお陰で大変なんだよ!
ま、自業自得なんだけどな。
「悪くはない。すっきりした気分だよ。自分が何処までできるのか、試したくてうずうずしている」
強がりだ。
本当は、黒騎士の積み重ねてきた力が怖かった。
あれだけ毎日鍛練していたクリングヴァル先生の技を破ったのだ。
ぼくとは、技の完成度が違いすぎる。
しかも、あの年齢になってなお進化しているのだ。
だが、戦いの前に不安を言うわけにもいかない。
みなを心配させることに意味はないのだ。
ぼくが勝つと思って応援してもらった方が、よほどいい。
「瞬電と、弧月。黒騎士の攻めは、このふたつの技で完成されている。対応はできそうかい?」
黒騎士を崇拝するハンスであるが、この試合は親身になってぼくの応援をしてくれている。
彼の友情は本物だ。
そのことは、一度たりとも疑ったことはない。
「太陽神の翼で、あの速度には対応できる。後は技倆の問題だ。足りない分は──」
右拳を握り、軽くハンスの鳩尾に撃ち込んだ。
「勇気で補うさ」
「そうだ。攻めの気持ちを忘れてはいけない。だが、虚空がある。反撃には気を付けるんだね」
虚空があるから、迂闊に攻められない。
だが、それで後手に回っては、黒騎士に攻め倒されて終わってしまう。
攻めるにしても、見ていくにしても、気持ちで負けるなということなのだ。
メディオラ公に果敢に挑んだハンスらしい助言である。
「とりあえず、アラナン、貴方飛べるんだから、上からばんばん魔法撃っていたら負けないんじゃないの?」
割りと大雑把な作戦をマリーが提案してくる。
ま、遠距離戦も得意なぼくとしてはそれもありなんだが、恐らく全て斬り裂かれてしまうというのが問題だ。
「黒騎士には、属性魔法が通用しないからな。爆炎も斬り裂かれるだけだし」
「でも、通常攻撃も虚空で通用しないんでしょう?」
「だが、虚空を使っている間は、神速の断罪は使えない」
そうだ。
虚空に驚いて手を止めるから、反撃されるのだ。
気にせず攻撃を続ければ、向こうも反撃はできない。
後は、我慢比べになるのか。
「有難う、参考になったよ」
軽くマリーの肩を叩くと、当然よというように胸を反らしていた。
目を輝かして実に嬉しそうなので、ちょっと悪いことをした気分になる。
いや、逆よりよかったんだ。
試合前に深く考えるのはよそう。
「アラナン、お前の全財産、お前の勝ちに賭けているからな」
爆弾発言きた!
あ、そういやカレルに賭けさせたままだったっけ。
「賭け率は、黒騎士が一・一倍、アラナンが二十・四倍でぼろ儲けできそうだぞ」
二十倍かよ!
まあ、クリングヴァル先生が負けたんだ。
生徒のぼくが勝つと考えるやつはいないわな。
「おれも全財産突っ込んだ。これでアラナンが勝てば、ちょっとした富豪になれる。おれの未来のためにも、頼むぜ、友達」
「ちえっ、カレルと一蓮托生なんてぞっとしないけれど、ま、任せとけよ、友達」
カレルが右手を挙げてくるので、ハイタッチでその隣を通り過ぎる。
「アラナンさん、弧月はぐいいいいって来るので、さっすぱーっでいけますよ」
「うん、有難う、アルフレート」
残念だけど、アルフレートは教師には向いてない。
あれでわかるやつはいないよ!
いや、恐ろしいことにマリーも感覚派なので、二人の間では通じるらしい。
ハンスやぼくにはさっぱりである。
「──あのう」
部屋の隅にいたサツキが、おずおずと声を掛けてくる。
「わたし……せいで迷惑……アラナン……申し訳……無理しない……」
「ああ、気にしないでいいよ、サツキ。こっちが好きでやっているんだ。何、心配しなくてもいい。ぼくはそんなに弱くはない。ちゃんと、黒騎士から、聖鴉を取り戻してやるさ」
元気付けようと言ったのだが、サツキの表情は晴れなかった。
逆に、憂いが濃くなったように思える。
確かに彼女はもう刀にはこだわってなさそうな気配は感じていたが──何だ?
「アラナン・ドゥリスコル選手、入場のお時間です」
だが、そこで係員が呼びに来てしまった。
僅かに引っ掛かりを感じながら、みなに手を振って控え室を出る。
薄暗い廊下を係員の先導に従って歩く。
魔導灯を点けようと思えば点けられるはずなのに、何でこう薄暗いのか。
選手の気持ちを不安で煽りたいのだろうか。
扉が近付くにつれ、ぐららららと地面が揺れているように感じる。
いや、実際揺れているのだ。
観客の熱狂と興奮が、此処まで伝わってきている。
ちょっと、恐ろしいくらいだ。
「──小竜、アラナン・ドゥリスコルー!」
ぼくの名前が呼ばれている。
さあ、行くか。