第二章 氷雪の魔狼 -2-
流石に十万マルクは出せそうにない。
幾らぼくが国から留学費用を支給されているからって、そんな無茶な買い物はできないよ。
しかし、白銀級冒険者ってそんなに儲かるのか。
ちょっと驚いた。
十万マルクあれば、庶民は五百年は生活できるな。
仕方がないので、今回の荷物はレオンさんの魔法の背嚢に入れてもらうことにする。
防寒具に登山用具、登山靴、調理用具や簡易テント、携帯用食糧など必要とされるものを買い込んでいく。
「こんなに重装備が必要なものなんですか?」
高山に登ったことなどないので聞いてみる。
レオンさんは肩をすくめ、雪山では簡単に人が死ぬ。どんなに鍛えた者であってもな、と真顔で言った。
そう言われては返す言葉もない。
こちらは雪山については何も知らないのだ。
明日は学院に行かねばならないので、出発は明後日にする。
学院に入学していきなり講義を休むことになるが、学長命令だ。
ぼくのせいではない。
「メートヒェン山に一番近い村がラウターヴァッサーファルだ。フラテルニアからそこまでが五日、登下山に二日、帰りで五日、予備で二日で、ま、二週間は見とけばいいだろう」
「そんなに掛かるんですね。ドゥカキス先生から睨まれそう」
「先生に睨まれるってことは無事に帰ってきたってことだ。命が助かったことに感謝して睨まれろ」
滅茶苦茶言ってくれるが、案外それが真理かもな。
とにかく、生き残るために全力を尽くそう。
明後日の早朝に、菩提樹亭までレオンさんが馬車で迎えに来てくれるそうなので、礼を言って別れる。
忙しい一日だったので、もう街をうろうろする気もおきない。
大人しく菩提樹亭に帰ろう。
菩提樹亭に戻ると、若い男が出迎えに出てきた。
菩提樹亭は、夫婦でやっている宿で、初日に見たのが奥さんのヴァレリーで、今日ホールに出てきたのが旦那のアロイスだ。
基本旦那が厨房で、奥さんがホールを担当しているらしいのだが、今日は逆らしい。
「今日はキッシュをつくるんだと」
アロイスは帝国のパユヴァール公爵領の出身で、ヴァレリーは同じ帝国でもアルス伯爵領の出である。
微妙に得意とする料理が違うのだ。
今日はヴァレリーがアルス伯爵領の料理を作るつもりらしい。
とりあえずソーセージとチーズのサラダが出てくる。
トマトやレタスも入っているが、アルス特産のマンステールチーズをわざわざ取り寄せているらしい。
強烈な匂いだが、味わいはクリーミーではまるやつはいるかもしれない。
次に出てきたのがキャベツの漬物、豚肉のハム、ソーセージ、タマネギ、ニンジン、ニンニクなどを鶏のブイヨンと白ワイン、オリーブオイルなどで煮込んだものだ。
出汁の旨味の中に酸味が効いていてこれは旨い。
シュークルート・アルシアンと言う料理だそうだ。
最後に出てきたのがロタール風キッシュだ。
牛乳、塩、卵、ベーコン、タマネギと小麦粉を混ぜたものをパイ生地の上に流し込んで焼いたものだ。
シンプルだが素朴な味わいでホッとさせる。
ヴァレリーはたまにこれが作りたくなるらしい。
アロイスが教えてくれた話だと、故郷のアルスで暮らしていたときにヴァレリーは弟と死別しており、ぼくくらいの年の男の子を見ると弟の好物を作りたくなるそうだ。
アルス・ミュスカと言う白ワインと一緒に戴いた。
これもアルスの特産ワインらしく、わざわざ取り寄せているらしい。
フルーティーな味わいだが甘ったるくなく肉にも合わせやすい。
キレがあると言えばいいか。
ヴァレリーは厨房でばたばたしていそうだったので、アロイスに旨かったと伝えてくれと言い残し、部屋に上がる。
しかし、老舗の宿でも子供が引き継ぐわけでもないんだな。
アロイスは、先代に料理人として雇われていたらしいが、先代に子供がいなかったので跡を継いだらしい。
後継者ってのは大事なんだねえ。
部屋に戻ってふと考える。火と風の魔術で暖かい空気を身に纏う呪文を開発できないだろうか。
正直吹雪の中凍りつきながらとか戦いにもならない。
大魔導師ならできそうな気もするんだが。
明日聞いてみよう。
翌朝、また棒を振って汗を流し、体を拭いて朝食を摂る。
その後学院に登校すると、ドゥカキス先生と一緒に大魔導師と知らない男がいた。
どうやら、高等科の教師の一人らしい。
ビヨルン・ストリンドベリと名乗った赤毛の大男は、魔法師より海賊に向いていそうであった。
帝国北方に住むスヴェーア人だと言う。
海賊に向いていそうだと思ったが、若い頃は本当に海賊もやっていたそうだ。
アルマニャック王国の沿岸部を荒らしていたらしいが、船を沈められて海賊を廃業し、フラテルニアに逃げ込んだところを大魔導師に拾われたと言う。
それで高等科の教師まで来るんだから、大したものだ。
「オニール先生が後継者にしたいと言う逸材らしいからな!」
獰猛な目でぼくを睨みつけてくる。
「先生の直弟子としては実力を確かめねばなるまい!」
ヴィッテンベルク語で話してくれているが、たまにスヴェーア語が混ざる。
流石にスヴェーア語は全然わからない。
しかし、大男の隣にいるとドゥカキス先生はますます小さく見えるな。
ストリンドベリ先生に圧迫されて涙目になっている気もしなくはない。
まずは、場所を移動する。
一階にある大きな魔法の訓練場だ。
大魔導師の作った結界があるらしく、衝撃は吸収されるらしい。
とは言え、初めにやらされたのは魔力の測定だ。
測定器を渡され、魔力を全力で通せと言われる。
「他所から集めてきては駄目じゃぞ」
大魔導師に釘を刺される。
基本ぼくは魔術師である。
魔術を使う場合、他から集めてきた魔力を使っている。
自分だけの魔力を使うのはそれほど得意ではない。
とりあえず全力で魔力を込める。
魔力の収束の速度、コントロール、放出力、持続力などが調べられているらしい。
魔力が空になるまでやって、総じて評価はまあまあだった。
「この年齢ならいい方じゃな。中等科のトップクラスの魔力量はあるか」
「魔力のコントロールは学生とは思えないですぞ」
「でも強引な感じで丁寧さには欠ける気はするのです」
三人の試験官がぶつぶつと呟いている。
その間にぼくは魔力を回復しろとマジックポーションを渡された。
これも結構高価な薬だと思うんだけれどな。
「じゃあ、次は魔術の要領で魔力を込めてみろ。全力でな」
「え、大丈夫ですか?」
思わず聞き返してしまう。
ぼくが全力で魔力をかき集めたら、割と洒落にならない威力になる。
だが、大魔導師はそんなことはわかっていると軽く手を振った。
「呪文を発動するわけじゃないから、大丈夫じゃ。その測定器はわしでも壊れんから安心してやれ」
なるほど。
じゃあ、やってみるか。
ぼくは測定器に魔力の焦点を合わせると、大気中から膨大な魔力を集め始めた。