第十三章 皇帝を護る剣 -8-
黒騎士との話し合いの後、ぼくはみなと別れ、一人冒険者ギルド本部へと向かった。
時の鐘から一本南のミュンスター通りを東に行くと、本部の壮麗な建物が見えてくる。
何といっても、かつてはベール大聖堂だった建物だからな。
ルウム教会にしてみれば、ヘルヴェティアから逐われるときの混乱に紛れてギルドに強引に接収されたようなもので、当然面白くないだろう。
それでも、ギルドの冒険者を頼るために出資せざるを得ないというのが、教会にとっても頭の痛いところだろうな。
さて、本部に来たのは、大魔導師に会うためだ。
飛竜の治療のために付きっきりなのは承知しているが、こればっかりは直接談判しなければならない。
正直、いまのままじゃ全く勝ち目がないんだ。
業務時間外なので、ギルドに人気はなかった。
だが、それでも受付を一人置いているのは、流石本部だなあ。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルド本部にようこそ──あああ、アラナン・ドゥリスコルさん!」
事務的な笑顔を浮かべていた受付嬢が、勢いよく立ち上がった。
余りの迫力に、思わず一歩下がる。
「やっぱり冒険者だったんですよね! いつか本部に来られると思ってましたが、全然来ないから冒険者登録しているのは同名の別人かと思い始めてましたよ!」
「えっ、はあ、最近冒険者活動あまりしてなくて……。ごめんなさい」
「本当ですよう! フェスト決勝に出る方が青銅級だなんて、ギルドに見る目がないみたいじゃないですか! もっとちゃんと仕事して下さい!」
「はい──って、いや、ぼくも本業は魔法学院生なんで、まずはそっちが優先なんですよ」
「はっ、そ、そうですよね。学院生は卒業までは片手間の方が多くて……。優秀な方が多いだけに歯痒いです」
どうやら、少し落ち着いたようだ。
しかし、初めて会ったのにぼくだとわかるなんて、ベールでは随分顔が売れてしまったようだな。
気軽に出歩けなくなりそうで嫌だね。
「いや、そんなことより、オニール学長がいると思うんで、会いたいんだけど。どうしても話したいことがあるんだ」
「え、大魔導師は現在面会謝絶ですよ。アラナンさんもご存知だと思いますが」
「いいから取り次いでほしい。これは必要なことなんだよ。学長は、ぼくが来たといえば、会うはずだ」
受付嬢は半信半疑であったが、目の前にある金属の管の蓋をひとつ開き、そこに向かって話し出した。
あれは──伝声管か。
ベール競技場にはあれだけの魔導機械を導入していながら、ギルド本部は魔導機械ではないんだな。
もっとも、あんな高価で運用にも金が掛かるものを日常的に使っていたら、ギルドが破産しちゃうか。
「すみません、お待たせしました。大魔導師がお会いになるそうです。ご案内しますね」
オニール学長の予想外の返答に面食らったか、驚きの表情を浮かべながら受付嬢が立ち上がった。
そのまま、前に立って歩き始めるので、後を付いていくことにする。
「それにしても、大魔導師が時間を取って会われたのは、三人だけですよ。アルビオンのグウィネズ大公、帝国の皇帝とエーストライヒ公の御三方。ルウム教会のシルヴェストリ枢機卿やアルマニャック王国のオーレリアン公とすらお会いにならなかったのに」
ふーん、オニール学長の中での優先度の高さがわかるな。
帝国のレツェブエル家とヴァイスブルク家の対立は、かなり重要視しているんだ。
ルウム教については、さして問題にはしていないんだな。
まだまだ教会の権力は強大だと思うけれど、最重要ではないということなんだろう。
でもまあ、学長がぼくと会わないはずがない。
向こうだって、いまぼくと会いたいはずなんだ。
クリングヴァル先生の敗退で、黒騎士が決勝に進んでしまったんだからな。
「失礼します。アラナン・ドゥリスコルさんをお連れしました」
ギルドの本部長室で、大魔導師は待っていた。
傍らの寝台では、以前見た老人が眠っている。
大分痩せてはいるが、頬には血の気があった。
飛竜の快復は、順調のようだ。
「来たか、アラナン」
受付嬢が扉の向こうに消えていくと、学長はゆっくりと椅子をこちらに向けた。
疲労の色が浮かんでいるが、目には強い光が宿っている。
大魔導師の意志は健在だ。
「直接お話しするべきだと思いましてね──明日の決勝のことです」
「黒騎士は、予想外に力を付けていたようじゃな。いまや、飛竜の領域に足を踏み入れておる。スヴェンの手に負えなかったというのは、そういうことじゃ」
「はい。このままでは、ぼくに勝ち目はありません。どんなに工夫しても、策を弄しても、あの抜刀で斬り伏せられて終わりです。──ぼくに、全力を出させて下さい」
神聖術の解禁。
もう、これしか手はなかった。
それでやっと、戦いの場に立てる。
工夫次第で勝機も見えてくるかもしれない。
「よかろう。じゃが、それでも勝率は一割ないと思え。アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーが、真に飛竜に追い付いていたら、おぬしの勝ち目はそんなものじゃ」
「何とかしますよ。学長は、こういうときのためにぼくをエアル島で鍛えさせ、学院に呼び寄せたのでしょう?」
そして、できるだけぼくの能力を制限し、秘匿した。
あれは、ぼくの基本的な力を鍛えるためでもあるが、他国にぼくの情報が漏れることを防いだのだ。
黒騎士は、ぼくの太陽神の翼を見たことはない。
そこに、まずひとつめの勝機がある。
「そうじゃ。ヘルヴェティアの自由を護るためには、この国が強大な力を持っていることを示し続けねばならぬ。さもなくば、アレマン貴族とルウム教会がすぐにも戻ってくるじゃろう」
そのときは、フロリアン・メルダースなどは、喜んで敵に寝返りそうだ。
「持てる力の全てを出して戦え、アラナン。そして、アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーを倒せ」
「ぼくはね、オニール学長」
学長の命に、低い声で答える。
「今まで、与えられた状況の中で最大限勝利を目指して戦ってきました。それで負けたら、仕方ないと。でも、その限定条件を、自分から崩してまで勝ちを目指すことにしたのは、これが初めてです。だからこそ──勝ちますよ」
それは、紛れもなく勝利の予告であった。