第十三章 皇帝を護る剣 -5-
スヴェン・クリングヴァルが敗れた。
それは、学院としても想定外の大事件であった。
飛竜の技を継ぐ者として、学院中枢はクリングヴァル先生の武勇に絶大な信頼を寄せていた。
準決勝には先生とぼくが進んでいたが、ぼくはあくまで保険のようなものであり、クリングヴァル先生に期待が寄せられていた。
だが、その先生が黒騎士の前に敗退を余儀なくされた。
大会前に予想していた黒騎士の強さとの、齟齬があったのである。
飛竜を倒すために、黒騎士はかつてないほど技を研ぎ澄ましてきていた。
「──済まんな」
控え室に戻ってきた先生は、ぽんとぼくの背中を叩くと、そのままエスカモトゥール先生と一緒に帰っていった。
いつも強気に嘯いていた先生の悄然とした姿は見たくなかったな。
そして、試合終了後暫くすると、アルフレートとカレルが帰ってきた。
やはり、試合終了まで待たされていたらしい。
首尾よく手紙を渡し、返事を貰ってきていた。
返事を開いたハンスは、やや驚いた表情を見せる。
「何て言ってきたんだ?」
心中の焦燥を押し殺し、尋ねてみた。
ハンスの驚きには、理由があるはずだ。
「ああ──今夜会うと言ってきている。皇帝陛下と黒騎士の宿舎は連合評議院の建物を借りているそうだから、評議院に行けばいいみたいだな」
評議院かよ。
いい思い出のない場所だね。
しかし、そういや普通こういうときって、皇帝は偉い人の邸宅に泊まったりするもんじゃないの。
例えば市長の邸とかさ。
──ああ、そうか。
アレマン貴族に弱いフロリアン・メルダースだ。
当然、自分の邸宅は、ヴァイスブルク家に解放しているよな。
しかし、余り露骨に片方の勢力に肩入れする姿勢を見せるのは、ヘルヴェティアにとってはよくないんじゃないの。
さて、それはそれとして、約束の時間まではまだ時間があるので、サーイェ、もとい、サツキについて聞くことにする。
ちなみに、サツキというのはみな発音しづらいらしく、サツキと呼ぶことにした。
帝国語で、五月のことだ。
どうやら、和国の言葉では、サツキは五月の意味らしい。
「サツキの家系は、代々諜報を任としていたようでな。特殊な体術も身に付けているらしい」
まだ喋るのが苦手なサツキに代わって、ハーフェズが説明する。
「王に命じられ、様々な任務をこなしてきた一族であったが、流石にこの事件は手に負えないと思ったのであろう。形だけ人員を派遣することにして、誤魔化すことにしたんだな。そこで生け贄にされたのが、サツキだ。探しようもないものを、見つけて持ち帰れと命令されたそうだ」
平和の刀の本当の名前は、聖鴉というらしい。
聖鴉というのは王を導く神の眷属だ。
王の刀にそう命名したのは、同様の意味を重ね合わせているのであろう。
だが、その導きの象徴が失われてしまったのだ。
本来なら、国を挙げて取り戻しにきてもおかしくない。
それができなかったのは、国が内乱状態にあって外に出る力がなかったためだという。
それでもさ、サツキ一人に押し付けて外国に放り出すって結構ひどい話だよな。
「刀を取り返せる可能性は低いと思うが、できなかった場合、サツキはどうするの?」
ハーフェズの代理ではなく、サツキの言葉が聞きたかった。
ハーフェズの後ろに隠れていたサツキを引っ張り出す。
内気な印象のある子だし、言葉が喋れないことで余計に引っ込んでしまっている。
彼女を選んだ長は、刀を取り戻すつもりはなかったのだろう。
どんな幸運に恵まれたとしても、彼女一人で刀を探索し、奪回するのは不可能だ。
それは彼女にもわかっていたであろう。
だから、ハーフェズに拾われた後も自分のことを話さなかったんだろうな。
だが、偶然刀は見つかってしまった。
それも、手の届かない場所にあるのだ。
帝国最強の剣士の手にあっては、サツキにどうこうできる問題ではない。
「船が沈み……荷物も失ったので……買い戻すお銭もありません……」
ぼそぼそとサツキが下を向きながら口を開く。
「正直……取り戻すのは難しいと思います……。どのみち故郷に戻るあてもありませんので……そうなったらハーフェズさまのために働いていきたいと思います」
何が何でも取り戻すというほど、サツキも無謀ではないようだ。
ちょっとほっとしたよ。
レナス帝領伯にしてみれば、正当に購入した物品にいちゃもんを付けられる形になるだろうからな。
快く思うはずがない。
「金は、まあわたしが立て替えてやってもいい。どうせ大して使い道もない金だ。今までの給金の替わりと言っちゃなんだけれど、それくらいはしてやるぞ」
ああ。
ハーフェズの言葉を聞いて、何となく状況が飲み込めた。
恐らく、サツキはもう刀を取り戻すのは半ば諦めている。
だが、事情を聞いたハーフェズが、予想外に突っ走ってしまったのだ。
ハーフェズめ、意外と身内に甘いやつなんだな。
サツキも、ハーフェズに遠慮してそこまでしなくていと言い出せなかったのだろう。
何か、ハーフェズの暴走を見張るのが主任務な気がしてきたぞ。
「──とんでもない金額だろうが、ハーフェズは金持ちだから気にしないか。ま、金で済むなら問題は少ない。金で済まなかったときの方が厄介だ。変な条件とか出されても困るしな。ハーフェズ、お前帝国に仕官しろとか言われたらどうするんだ」
「うーん、面白そうではあるが、わたしもヒッサール家の者でね。国許には帰らねばならない。──例え、国から望まれていなくてもだ」
ヒッサール家というのは、イスタフル帝国の皇帝家だったか?
その縁戚に連なるというなら、ヴィッテンブルク帝国に骨を埋めることはできまい。
元々、中等科を卒業したら帰国すると言っていたしな。
ハーフェズがいなくなると、学院も寂しくなるだろうけれど。
「じゃあ──じゃあさ。アラナンが試合に勝てば、刀を下さいってのはどうだ?」
唐突にカレルがとんでもないことを言い出す。
おま、ふざけるな!
さっき目の前で、クリングヴァル先生が負けたのを見てないのか?
黒騎士は強すぎる。
いまのぼくじゃ、相手にならないぞ。
「ふむ。アラナンと刀を賭けるか。それなら、釣り合うかもな」
いやいや、ハーフェズさん?
カレルに乗って変なこと言い出さないで下さよ。
それは何?
負けたらぼくは帝国に売られるとでもいうのか。
慌てて首を振って否定をしておく。
放っておくと、こいつら本当に賭けの計画を立てかねない連中だからな!
全く、折角アルビオン王国との話がついたのに、帝国に身売りされてたまるものか。