第十三章 皇帝を護る剣 -2-
クリングヴァル先生の気合いが入っているのはわかった。
人を食ったような性格の先生が、人が変わったかのように真摯な表情になっている。
だが、黒騎士の神速の断罪の対策はあるのだろうか。
攻略できるか否かは、全てあの抜刀術をどうにかできるかに掛かっている。
「先生、黒騎士の速度に対抗する方策はあるんですか?」
試合前の集中に入った先生に、あえて聞いてみる。
「──確かに、やつの抜刀は速い。だがな、アラナン。それ以外の速度は、神速じゃねえ。神聖術は、刀を抜くことだけだ。抜かせてしまえば、こっちのもんさ」
抜刀術は、抜かせてしまえば勝ち。
確かにその通りだが、それが一番難しいのではなかろうか。
それとも、クリングヴァル先生には秘策でもあるのかな。
「まあ、見てな。こっちは何度もやつと頭の中で戦ってきてるんだ。対策はばっちりだよ」
先生の身体強化は円熟の境地にあり、人としての極みに立っている。
神聖術を使う相手じゃなければ、敵はいないだろう。
その先生が、敵の実力を把握した上で見ていろと言っているんだ。
弟子としては、黙って見ているしかないな。
「スヴェン、あんたは自分でボタンも掛けられないくらいどうしようもないやつで、放っておいたらそこら辺で野垂れ死にしていそうな生活無能力者だと思っているけれど」
エスカモトゥール先生は、ポケットに手を突っ込みながら腰を屈めた。
身も蓋もないことを言っているよ。
「強さだけは本物なんだ。生徒に迷惑掛けないように、しっかりやってきな!」
「はん、言われなくたって、やるに決まってんだろ!」
口では悪態を吐いていたが、クリングヴァル先生に気合は入ったようであった。
この一年、ろくにフラテルニアに帰らず、ヘルヴェティア各地を放浪しながら鍛えていたから気付かなかったが、この二人意外と仲がいいんだな。
「スヴェン・クリングヴァル選手、入場のお時間です」
係員が呼びに来た。
いよいよか。
先生は、戦意を漲らせて立ち上がった。
小さい体躯が、何倍にも大きく見える。
普段魔力隠蔽は完璧な先生が、こんなに人を圧する気配を発しているのは珍しいな。
ちょっと不安に思うところもあったが、先生の真剣な表情を見るともう声は掛けられなかった。
扉の向こうに、先生の小さな姿が消えていく。
後はもう、先生を信用するしかない。
「大丈夫さ、アラナン。あいつはね、今までこと戦いに関してだけは、期待を裏切ったことはないんだよ」
エスカモトゥール先生の手が、優しくぼくの頭の上に置かれた。
温かいな。
乱暴な物言いの割りに、この先生に人気がある理由がわかる気がする。
魔導画面に目を転じると、すでに先生と黒騎士が揃っていた。
そういや、アルフレートとカレルが帰ってこないが、試合前だからまだ会えてないのかもしれない。
ちょっと気になるが、同じ会場の中だし、ファリニシュも気を張っているので大丈夫だとは思う。
「黒騎士と竜騎士の戦いか」
震える声でハンスが呟く。
その想いは、会場の観客みなが共有しているのだろう。
ぼくと聖騎士の試合より、明らかに熱狂度が高い。
立ち見の観客はじりじりと前に押し出ようとしており、そのうち先頭は潰されてしまいそうだ。
警備隊が必死に押し止めようとしているが、大歓声でろくに聞こえもしない。
「──スヴェン・クリングヴァルは、かの飛竜の唯一の弟子でもありますからね。飛竜本人が欠場している以上、負けられないと思っているんじゃないですか?」
「しかし、弟子は弟子ですからね。師匠を超えてはいないだろうし、竜騎士も騎竜がいてこその存在。圧倒的に黒騎士が有利だと見ますよ」
魔導画面からは、実況員に答えるように解説が流れてくる。
かちんときたので、解説者が誰か見てみる。
何だ、ボーメンの赤い悪魔じゃないか。
ヴァイスブルク家の手先の癖に、黒騎士を持ち上げていいのか?
レナス帝領伯アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーは、平和の刀に手を掛け、黙然としている。
あれは、和国の刀だから、そんな名前だったんだな。
「今大会では、飛竜を倒しに来たのだがな。相手が弟子では、些か興醒めだ」
さほど大きな声ではないはずなのに、やけに鮮明に黒騎士の声を拾ってくる。
集音器が優秀なのか。
「おれも師匠を超えるつもりで出てきたからなあ。相手が飛竜じゃないなんて、物足りないぜ」
よかった、いつもの先生らしい減らず口だ。
右手の小指で耳垢をほじりながら、へらへらと笑っている。
「──あの莫迦!」
エスカモトゥール先生はお気に召さないようであるが、ぼくには見慣れた先生で、安心感があった。
あれなら、やってくれるはずだ。
「──若造、武神の境地に到ってない者に、この儂が討てるか」
「神と逢えば此れを撃ち、魔と遇すれば此れを滅ぼす。おれの槍の前に立ち塞がる者は、相手が何であろうとみな同じ運命だぜ。老いぼれは、そろそろ孫の遊び相手でもしてな!」
はは、先生に黒騎士との間を繋いでもらおうなんて、やっぱり無理があったな。
やらなくてよかったよ。
お、審判が出てきたな。
いよいよ始まるか。
皇帝を護る剣と、神魔を撃ち滅ぼす槍。
かつて、黒騎士と竜騎士を評して言われた言葉だという。
レナス帝領伯アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーは、まさにその言葉に相応しい人物だ。
だが、クリングヴァル先生だって、決して引けを取るものではない。
審判の右手が上がる。
「試合開始!」
同時に、魔導画面がスロー再生に切り替わる。
普通の速度じゃ、観戦にならないのがわかっているようだな。
動いたのは、両者同時にであった。
ともに前進し、接近戦での勝負を選ぶ。
卓越した武を持つ者同士だ。
当然の展開か。
まだ間合いに入る前から、先生の右足が強く踏み込まれる。
雷光か?
だが、まだ届かないはずだ。
突き出された先生の右手に、槍が現れる。
──長い!
通常、八フィート(約二百四十センチメートル)ほどの槍を使っているのに、これは十二フィート(約三百六十センチメートル)はある。
完全な奇襲用だ。
流石の黒騎士も、この間合いの差は読めていない。
これは、一撃で決まったか?




