第十三章 皇帝を護る剣 -1-
ハンス・アルベルト・フォン・ザルツギッターは、帝国でも屈指の名家の嫡子だ。
父親はザッセン人の領袖たるザッセン辺境伯であり、七人いる選帝侯の一員でもある。
帝国北部でも有数の実力者であり、どちらかというと親皇帝派と見られている。
親皇帝派、すなわち、皇帝を擁するレツェブエル家、ボーメン王たるリンブルク家などを筆頭とする一派だ。
これに対するのが、エーストライヒ公爵位を有するヴァイスブルク家である。
一族にはスパーニア王やフランデルン伯もおり、マジャガリー王とも婚姻を結ぶなどその影響力は皇帝をも上回るほどだ。
つまり、普通に考えれば、ハンスが皇帝や黒騎士を訪ねるのは不思議なことではない。
むしろ、ご機嫌伺いに行かない方がおかしいとも言える。
とはいえ、未だ爵位を継いでおらず、学生の身分であれば、そこまで堅苦しいことは要求されないのが通例だ。
それだけに、ハンスの申し入れがどうなるか、ぼくには全くわからなかった。
黒騎士への面会を要請する書状を書き上げたハンスは、それをアルフレートとカレルに託す。
本人が使者として持っていっては軽く見られてしまうからな。
ハンスもフラテルニアには従者がいるらしいが、流石にベールには連れてきていないのだ。
その間に、ぼくらは昼食を済ませた。
控え室にいるんじゃ、屋台で買ってきたものくらいしかないけれどね。
全ての屋台を制覇したアンヴァルが、自ら厳選した軽食を買ってくるんで、外れはない。
「なんだ、お前ら大挙して何やってんだ」
呆れた口調の声が、控え室に響いた。
麻のチュニックを着た背の低い中年の男と、白衣を羽織り、煙草を咥えた背の高い赤毛の女性の二人連れだ。
男は当然クリングヴァル先生だが、女性はジリオーラ先輩の先生のマノン・エスカモトゥールさんだな。
「ちょっとコンスタンツェさんにやられまして、暫く安静にしてようかと思いましてね」
「だらしねえなあ。あの女狐はそれなりに強いが、武の鍛練がなってねえ。嵌められないように気を付けてりゃ、そんな傷を負うことはねえだろ」
「はあ──それが、嵌められたんですよ。まあ、噛み破って逆に食らいついてやりましたけれどね」
おっと、先生が視線を移したな。
ちょうど魔導画面に何か再生されている。
門の破壊者で、コンスタンツェさんの飛光衝をカウンターに斬って落とした場面か。
「魔力の回転が甘えなあ。もっと回転の速度を上げないと、本物の門の破壊者は撃てないぜ。圧縮の度合いが弱いんじゃないのか」
見た瞬間、お説教だった。
まあ、実際ぼくは魔元素強化の出力に頼っているだけだからなあ。
基本の魔力圧縮が大切なのは、よくわかってはいるんだ。
まだまだ魔力の制御が甘いんだよね。
「あんたは要求の基準が高すぎるんだよ、スヴェン。学院の中等科生が、フェストの準決勝で聖騎士を破ったんだぞ。少しは褒めてやりな」
エスカモトゥール先生が、斜め上からクリングヴァル先生を見下ろした。
煙草を咥えたまま白衣のポケットに手を突っ込んでいる姿は決して行儀のいいものではないが、エスカモトゥール先生がやると何故か格好いい。
「あれ、エスカモトゥール先生じゃないですか。何でクリングヴァル先生と一緒に来たんですか」
不思議そうにハンスが尋ねた。
マリーがハンスの足を蹴飛ばしているが、きょとんとしている。
この真面目人間は、機微を読む能力には恵まれていないようだな。
「この莫迦一人で行かせたら、何があるかわからないだろ。学長に見張りを頼まれてるんだよ」
目に掛かるくらい長い前髪を掻き上げると、エスカモトゥール先生は乱暴にクリングヴァル先生を小突いた。
「こいつが笑われる分にはどうでもいいが、学院の恥だからね、恥!」
「うるせえなあ、お前みたいな男女だって、誇れたもんじゃないだろうが」
「あたしは、学院の代表じゃないからね。全く、ビヨルンが勝ち残ってくれれば、世話はなかったのに。おい、アラナン・ドゥリスコル。お前、こいつから、戦闘技術以外参考にしちゃ駄目だぞ。学ぶなら、レオンにしときな」
うへ、矛先がこっちに来た。
このエスカモトゥール先生は、さばさばした性格で、女子生徒には絶大な人気がある先生だ。
男子生徒の人気はドゥカキス先生のが高いが、ジリオーラ先輩なんか、この先生に教わりたいという理由で科目を選んだくらいだからな。
「ほら、今日は髭も剃って、髪くらいとかしていきなよ」
「あー、うっせえな。一々指図すんな。おれは、これが好きなんだよ」
「駄目だね。世間の大半は好きじゃないんだ。自分でやらないなら、あたしがやったげるよ」
エスカモトゥール先生に手を伸ばされると、他人に触れられるのを嫌ったクリングヴァル先生は、不承不承自分で髭を剃り始めた。
成る程、妙に先生の身なりが整っていたのは、エスカモトゥール先生のお陰だったのか。
あのクリングヴァル先生を従わせるとは、女性は強いよ。
「それで先生、黒騎士相手に勝算はあるんですか?」
クリングヴァル先生は、無精髭を剃り、髪を整えると、意外と若々しくて凛々しい顔付きになった。
マリーがちょっと見直した視線で見ているな。
「──ふん。おれは、アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーに勝つために飛竜に弟子入りしたんだぜ。当然、勝つに決まっているだろ」
いつも何処か茶化しているような先生が、ひどく真面目な口調で言った。
やはり、竜騎士の末裔という血筋が、黒騎士への対抗心を抱かせるのだろうか。
「おれの先祖は、白銀の竜ズィルバーンを駆る竜騎士だった。最後の竜騎士ヴァルデマー・クリングヴァルは、今から二百七十年ほど前、レグニーツァでポルスカ王国とプルーセン騎士団連合軍の援軍として、タルタル人の侵攻軍と戦った。その戦いで、飛竜騎兵二百余騎を討ち取る手柄を立てたが、ヴァルデマーと白銀竜もまた還らぬ者となった。竜を失ったクリングヴァル家は、その後帝国騎士の爵位も失い、零落の一途を辿ってな。おれの代には、しがない一介の教師にまで落ちぶれたわけだ」
レグニーツァの戦い。
大陸西部が震憾した史上に残る合戦である。
ペレヤスラヴリ公国、マジャガリー王国をその蹄の下に蹂躙したタルタル騎兵が、ポルスカ王国に雪崩れ込んだのだ。
ボーメン王国やプルーセン騎士団の援軍を得て、ポルスカ王国は乾坤一擲の大勝負に撃って出たが、結果は惨敗。
レグニーツァは、名だたる騎士の屍で埋め尽くされた。
幸いにも、その後タルタル人の魔王が亡くなったため、侵略軍は引き上げた。
もし魔王が後十年生きていたら、ヴィッテンベルク帝国は今頃地上からなかったであろうと言われている。
「今更帝国に仕官するわけでもねえし、黒騎士に勝ったって何がどうというわけでもねえ。だがな、クリングヴァル家の末裔として、武門の家を背負った者として、黒騎士には負けられないんだよ」