第十一章 闇黒の聖典 -9-
聖光。
聖騎士コンスタンツェ・オルシーニの攻防の要となっている神聖術だ。
学院在籍当時は、中等科でトップを走っていたコンスタンツェさんでも、高等科トップに昇り詰めたエリオット卿には勝てなかったという。
加速は、学生には対処が難しい神聖術だしね。
だが、故郷に帰って聖騎士に選ばれたとき、コンスタンツェさんにはこの無敵の神聖術が備わっていた。
ルウムでどんなことがあったかはわからないが、退魔師を育成するノウハウを失い、神霊的戦闘力が壊滅した教会にとって、この美しい少女は得難い存在だったに違いない。
聖騎士として祭り上げ、旧フルヴェート王国に駐屯して圧力を加えてくるセイレイスの砂漠の鷹に対する抑止として、大々的に打ち出したのだ。
無論、教皇の一族シルヴェストリ家とそれを擁立するフロレンティアのアルメ家にとっては、反抗的な北部ラティルスのメディオラ公国やジュデッカ共和国などの勢力への牽制の意味合いもある。
次期皇帝を狙うヴァイスブルク家推薦のシュヴァルツェンベルク伯が敗退し、目の上のたんこぶのメディオラ公も脱落、東の脅威たるターヒル・ジャリール・ルーカーンも消え去った。
シルヴェストリ家としては上々の流れである。
後は、生意気な冒険者ギルドと皇帝を黙らせたい。
その教皇一派の思いを乗せて、今日もコンスタンツェさんの体を聖なる光が覆い尽くす。
だが、お互い見合ったまま、動かなかった。
間合いは未だ遠い。
ダンバーさんの距離ではないが、聖騎士には聖光刃がある。
コンスタンツェさんから仕掛ける展開を予想していたが、反射陣を警戒しているのか動こうとしない。
「仕方ありませんね」
恐らく、ダンバーさんも反射陣で聖光刃を弾き、その隙に接近する図を描いていたのであろう。
だが、予想外にコンスタンツェさんが警戒していたので、その方法は諦めざるを得ないようだ。
戦法を変えたダンバーさんが動き出す。
優雅に立ったまま、まるで滑るように前進を開始する。
いや、実際滑っている!
靴の裏に何か仕掛けでもしているのか、およそ武術家にはありえない動きですーっとコンスタンツェさんとの距離を詰める。
「堪忍しとくれやす」
その動きの気持ち悪さを嫌ったコンスタンツェさんが、細身の剣を一振りし、聖光刃を飛ばす。
すると、ダンバーさんはそのままひょいと空中に歩を進めると、階段を昇るように駆け上がった。
流石に目が丸くなる。
あれは何だ、靴の下に魔法陣を忍ばせているのか?
ダンバーさんのトリッキーな動きに、コンスタンツェさんも絶句して攻撃の手が止まった。
そこに、上空から襲いかかる執事。
繰り出される手刀を、聖騎士は左手の短剣で受け流す。
聖光の防御を頼らないのは、破魔の刃を警戒しているのだろう。
こうして見ると、ダンバーさんの魔法は聖騎士と相性がいいんじゃないかと思わせるな。
ダンバーさんは、地上から空中から立体的に動き回り、コンスタンツェさんを苦しめる。
手技だけかと思いきや、多彩な蹴り技も使ってくる。
その全てに破魔の刃が付与されており、聖光を切り裂いて聖騎士を襲った。
コンスタンツェさんは、細身の剣と短剣を巧みに駆使して受けに回るが、激しい執事の攻めに余裕はない。
それはそうだろうな。
中等科でトップを張っていたとはいえ、単純な武術なら老練なダンバーさんに勝てるはずがない。
聖光で身体能力を引き上げていなければ、勝負にもならないだろう。
ダンバーさんは技も魔法も多彩だし、戦術も幅がある。
これは、明日の準決勝は、ダンバーさんとやることになるかもしれないな。
息つく暇もない連撃が続き、処理しきれなかった右の上段蹴りがコンスタンツェさんの側頭部に入った。
吹き飛ばされる聖騎士に、ダンバーさんは上空から追撃を掛けようとする。
だが、駆け上ったところでぴたりと止まった。
「──恐ろしいお嬢様ですね。わたくしに駆け引きを仕掛けてこられるとは」
宙に浮いたまま、ダンバーさんは眼下の女性を見下ろす。
すると、聖騎士は、やれやれと首を振って起き上がった。
「あての演技、そないわざとらしゅう映りはりましたか」
「いえ、職業柄、女性の演技には一家言がございまして」
コンスタンツェさんは、ちょっと落ち込んだようであった。
とどめを刺しに突っ込んでくるところに、何か仕掛けて一気に勝負を決めるつもりだったのだろう。
手の内を晒さずに、楽に勝つつもりだったのだ。
相変わらずしたたかな人だ。
「キアランはんにはかなんなあ。手の内隠して勝とうなんて、あてが甘うおした」
「お若いからこその傲慢でございますね」
「そやな。そやから、此処からは本気で行きますえ」
聖騎士の雰囲気が変わる。
ダンバーさんは、十フィート(約三メートル)ほどの高さで立ったまま警戒を怠らない。
そのダンバーさんに向け、コンスタンツェさんの右手の細身の剣が踊る。
聖光刃が飛ぶかと思いきや、その軌跡が見えない。
おかしいなと思ったとき、上空のダンバーさんの左肩から右脇腹に掛けてが斬り裂かれ、血飛沫が舞った。
「次元刃」
ぞっとするほど冷徹な笑みを浮かべつつ、更に細身の剣が舞い踊る。
それを超人的な勘でダンバーさんは回避したが、全部はしきれず、あちこちに擦過傷を作る。
「飛ぶ刃だけでなく、跳ぶ刃でございますか。流石にそれを予測して回避するのは骨でございますな」
「これで仕留めきれへん魔力障壁にも、剣を見ただけで軌道を読む勘にも、ほんまびっくりやわあ」
愉しげに笑いながら、聖騎士は細身の剣を振るう。
だが、その攻撃にも慣れてきたか、ダンバーさんは次第に回避の精度が上がっていく。
流石は黄金級冒険者。
武術の錬度も半端ない。
何度目かの細身の剣の斬撃に合わせて、ダンバーさんが飛び込もうとしていた。
だが、その直前、聖騎士が左手の短剣を突き出す。
跳躍してくる刃を予測して後退する執事。
コンスタンツェさんの口の端が吊り上がった。