第十一章 闇黒の聖典 -3-
別に、難しいことをするわけじゃない。
元々、やったことがあることを転用するだけだ。
魔術の要領で、大気と大地の魔力を集め、そしてそれを体内に取り込む。
これを循環させて神の眼を開けば、虚空の記録に接続して神聖術が使える。
だが、神の眼を開いても虚空の記録に接続せず、身体強化だけ高めるようにしたらどうだ?
神聖術を使わずに戦うときに、いい方法じゃないか。
そして、ただ魔力を多く取り入れても、身体強化の効果は高くならない。
これは、クリングヴァル先生にも、言われていたことだ。
身体強化の効果は、流す魔力の量ではなく、速度が重要なのだ。
だから、すでに圧縮しておいた魔力を使って、丹田から取り入れた魔力を一気に圧縮する。
更に、重要なのは魔力の制御だ。
選抜戦では、切り札にした強化圧縮魔力が巧く扱えなかった。
同じ間違いは、もうできない。
だから、すでに循環させている魔力を、強化から制御に切り替える。
一緒に流すことで、暴れ馬を巧く道筋に乗せてやるのだ。
これが、ぼくの新しい力。
「魔元素強化!」
発動と同時に、体が力で溢れ返る。
額の神の眼が、周囲の状況を手に取るように感じさせる。
黒装束がゆっくりと右拳を突き出してくるのを右手で絡めとり、左足を敵の足の後ろまで踏み込んで左肘を入れる。
倒れる黒装束に、魔法の袋から出した剣を突き刺した。
喉を貫かれ、絶命する黒装束。
すると、興奮して棍棒を振り回していた丘巨人が、何かに醒めたかのように手を止めた。
ま、魔元素強化の慣らしもできたし、こいつも早めに始末するか。
神の眼を開いているから、そのまま虚空の記録に接続する。
両足が輝き始め、太陽神の翼が発動。
周囲が止まっているように感じる中、フラガラッハを抜いて飛び上がり、丘巨人を頭から両断する。
赤級魔物の硬い皮膚も、神剣の前ではバターのように柔らかいものだ。
「おま……それを初めからやれよ!」
息も絶え絶えなイグナーツは、随分余裕がなかった。
結構、必死で耐えていたみたいだな。
「ごめんよ、ちょっと試したいことがあってさ」
「後でやれ!」
ごもっとも。
でも、あの黒装束レベルにどの程度通用するか確認したいじゃないか。
イグナーツに謝りつつ、上空に上がる。
神の眼なら、陽が沈んでも十分見通すことができる。
眼下を見下ろすと、第三集団は、すでにハーフェズたちに駆逐されようとしていた。
大鬼も討ったようで、四、五体残った小鬼をティナリウェン先輩とサーイェさんが掃討している。
第一集団に目を転じると、こっちはもう存在してなかった。
ショスハルデンフリートの丘から攻め下ったエリオット卿たちが、第一集団を殲滅した余勢を駆って第二集団に襲い掛かっている。
魔物はムンディゲン村に追い詰められており、大規模な魔法ではなく接近戦に移行したようであった。
建物を破壊してもまずいからな。
「アラナン! おれはもう行くぞ! 市内でも作戦遂行中のはずだからな」
イグナーツが下から怒鳴ってくる。
そういや、それで警備隊や冒険者を動かさなかったんだっけ。
「わかった! 有難う、助かったよ!」
礼を言うと、イグナーツは照れたように頭を掻きながら走っていった。
何だかんだいって、よく働いているなあ。
第二集団の大鬼は、丘巨人の統制を失って混乱しているようであった。
さぼっているアンヴァルと、サポートに回っているファリニシュ以外のみなは、駆け回りながら小鬼を始末している。
学院の上位が揃っているだけに、小鬼程度に遅れを取る者はいなかった。
特にぼくが手出しをしなくても終わりそうだったが、逃げ出しそうな小鬼を見て、タスラムを抜く。
こいつを実戦で使ったことなかったしな。
試し撃ちにちょうどいい。
狙いをつけ、神銃の引き金を絞る。
反動も音もなく、弾丸が発射される。
そして、小鬼の頭に命中した瞬間、頭ごと爆発したかのように吹き飛んだ。
障壁を持たない小鬼相手とはいえ、威力は相当なものだ。
射程は百五十フィート(約四十五メートル)くらいが限界かな。
銃身が短いせいか、あまり長距離は得意じゃないみたいだ。
エリオット卿が引き上げ始めていたので、そこまで飛んで地上に降りる。
いきなり降下したので、ちょっと驚いているみたいだ。
「アラナン・ドゥリスコル──神聖術を使えるんじゃないか。何故、今まで使わなかった」
「え、ああ、そっちですか。オニール学長に禁止されているんですよ。学院に関係することで使用しちゃいけないって。まずは、魔法の基本を鍛えろってことだと思いますが」
エリオット卿は、かなり興味を惹かれたようだったが、指揮官としての使命を思い出したか、状況の把握を優先した。
それで、ぼくはイグナーツの助力を得ながら、闇黒の聖典と名乗る黒装束と丘巨人を倒したことを報告する。
「闇黒の聖典か」
エリオット卿は、心当たりがあるようであった。
ノートゥーン公の後継として、ノートゥーン伯の爵位を仮にでも名乗っていただけのことはある。
「元々エルは、ミズラヒ王国の神だった。だが、ミズラヒ王国がパールサ人のアールヤーン王国に滅ぼされたとき、エルは聖典の民を見捨ててラティルス人のルウム帝国に加護を与えた。ルウム教の始まりだな。ルウム教は帝国の隆盛とともに大陸西方を席巻したが、神に見捨てられた聖典の民は大陸を放浪しながら未だに神への信仰を捨てていない。そして、何故かその聖典の民の教えを、ハザール海の北で勢威を振るったサビル人が受け入れた。ということになっているが、必ずしも正確ではない」
へえ、聖典教団は、聖典の民とサビル人から成るって聞いていたけれど、そうでもないのか。
「かつて東方のステップを支配したカラーグの王家アセナ。カラーグがトクズ・オグズに滅亡させられたときに西方に逃げ、ハザール海の北でサビル人を支配した。彼らがサビル人にエルへの改宗を行ったことになっているが、実のところ、アセナ氏が信仰していたのは別な神だ。その名も、戦いと豊穣の女神アシュタルテー」
んん、聞いたことのない神だな。
「ルウム教会では大悪魔として扱っている神だ。かつては、セイレイスやイスタフルの辺りで大きな信仰を集めていたらしい。その女神を奉じている者たちこそ、闇黒の聖典だ。ルウム教会にエルの加護がほとんどなくなっているいま、闇黒の聖典だけ力を失っていない理由は此処にある」