第十一章 闇黒の聖典 -1-
ファリニシュが大魔導師から受け取った指示は、魔物の群れはお前たちに任せる、だった。
現状、大規模な聖典教団の拠点潰しを遂行中で、シピにもメルダース市長にも動かせる余剰人員がいないらしい。
それで、クリングヴァル先生やストリンドベリ先生がなかなか来なかったのか。
黄金級冒険者としてダンバーさんもその作戦に加わっているらしく、大人の増援は望めない。
だが、替わりにハーフェズとサーイェさん、エリオット卿とティナリウェン先輩が合流してきた。
この面子が揃うと壮観だな。
学長は、学院の生徒にこの状況を任せるつもりのようだし、ここは何とか頑張ってみますか。
「指揮はわたしが執ろう」
エリオット卿の言葉に、反対する者はいなかった。
高等科の首席なんだし、大貴族として采配の勉強も積んでいるだろう。
彼以上に相応しい者がいるとも思えない。
「状況はわたしが報告しよう」
ハーフェズが剣の鞘で大雑把に付近の地理を説明する。
「アーレ川がこう南から北に流れていて、ベールの市街は川の西にある。一方、わたしたちのいるベール競技場は、川の東側だ。そして、此処ベールより北東三マイル超(約五キロメートル)に位置するバンティガー山方面から、魔物が溢れ出てきている。魔物は小鬼が多いが、大鬼や丘巨人も混じっているそうだ。数はざっと二百以上はいるだろう。サーイェが、目撃してきた」
ハーフェズのやつ、サーイェさんを偵察に行かせていたのか。
抜け目のないやつだ。
しかし、そういうことなら、サーイェさんは少しは喋るようになったのかな。
「まずは、足を止めないといけない。連中は無秩序に見えて明らかにベールに向かっているという。ベール競技場から東に千ヤード(約九百メートル)ほど行ったところに、ショスハルデンフリートの丘がある。わたしとジリオーラ、イリヤ、ハンス、アルフレート、カレル、マルグリットとジャン卿、あとその小さいのは此処に詰める。魔物の足を止めるから、ハーフェズとサーイェは魔物の左翼から、イシュマールは右翼から突っ込んで撹乱しろ。奴らの陣形が乱れたら、アラナン、貴様が魔物を操る術者を探し出して──」
エリオット卿は、片刃刀をバンティガー山に模した辺りに突き刺した。
「始末しろ」
「わかりました」
作戦は確認した。
ならば、もう一刻の猶予もない。
魔物の群れは、こうしている間も接近してきているのだ。
ハーフェズとサーイェ、ティナリウェン先輩がさっと立ち上がって先行していく。
ぼくも遅れてはいけない。
例え、アンヴァルが小さいのとは何ですか、などと叫んでいても無視していかなければならないのだ。
「アラナン、これ」
──と、行こうとしたときに、マリーが何か差し出してくる。
何だ?
って、飴か。
「ん、有難う、マリー」
ぽいと口に入れて舐める。
甘い、蜂蜜入りか。
「もう、疲れたら舐めるのよ」
右手にもう三個蜂蜜飴を押し付けてくる。
有り難くいただくと、マリーに手を振ってぼくも出発した。
ベール競技場の外は、群衆でごった返していた。
いきなり鳴らされた鐘に、不安を感じている者が多い。
我先に城壁のあるアーレ川の西へと向かおうとしているが、ニーデック橋で渋滞しているようだ。
ま、そっちの避難は警備隊に任せよう。
少しはフロリアン・メルダースと部下諸君にも働いてもらわないとな。
あ、剣に細工されたから怒っているんじゃないよ?
──いや、ちょっとは怒っているかな。
ぼくが向かうのは、反対側だ。
ベール街道は、ベールから東北東に進む幹線だ。
そこを走りながら突き進む。
もう、この辺りには人影はない。
鐘を聞いて逃げ出したんだろう。
街道の右手にショスハルデンフリートの丘が見えてくる。
なだらかな小高い丘だが、陣取るには格好の場所だ。
流石はエリオット卿。
目の付け所はいいな。
丘から更に街道を行くと、ムンディゲン村の家が見えてくる。
村の人たちも、慌てて逃げ出しているようだ。
一人を捕まえて聞くと、魔物はバンティガー山の麓のフェレンベルク村を襲っていたらしい。
フェレンベルク村の村人の生き残りが、ムンディゲン村に逃げてきたことでわかったようだ。
五十人くらいいた村人も、半分以上魔物に殺されたという。
十戸ちょいの小さな村なのか。
ベールに来る途中で通っているはずだが、記憶にない。
だが、人を襲った魔物は許せんな。
人間の怖さを、骨身に刻んでやる。
ムンディゲン村の北東には、ベール街道の左右に盛り上がった起伏がある。
ハーフェズとサーイェ、ティナリウェン先輩は、その左右の起伏の茂みに、二手に分かれて潜むようだ。
ぼくを見つけて、ハーフェズが手を振っている。
相変わらず、余裕だな。
そこを抜けると、フェレンベルク村まではもうそれほど離れていない。
と、街道で何か物音がする。
五人くらいの警備隊の一隊が、突出した十体ほどの小鬼と戦っているんだ。
村人を逃がすために踏みとどまったのか。
ベールに連絡したのも彼らの仲間かな。
見殺しにもできないので、風刃で援護をする。
五体を一瞬で仕留めると、残りの小鬼は警備隊が片付けた。
彼らはぼくがいることに気が付くと、駆け寄ってきて叫んだ。
「すぐに逃げろ! もうこの先には魔物しかいない。ベールの城壁の中に逃げ込むんだ!」
「ああ、大丈夫ですよ、隊長さん。ぼくは大魔導師の命令で魔物の処理に来た者なんで。警備隊の方たちも退いて下さい。逃げ遅れると危険ですよ」
「莫迦言ってるんじゃない、君のような子供が──あ、お前、いや、貴方はアラナン・ドゥリスコル!」
若干、発言が不穏当だったが、よしとしよう。
「此処からショスハルデンフリートの丘にかけては、学院生と魔物の戦場になります。ムンディゲン村の人たちの避難をお願いします」
「魔法学院の……。わ、わかった」
周囲は段々と暗くなってくる。
薄暮に紛れて、警備隊の生き残りも撤退していく。
ぼくも闇に紛れやすいが、術者を探すにはこの暗がりは痛手だな。
ま、大量の魔力を保持しているのが術者だろうし、看破眼で魔力を見るようにしよう。
とりあえず、血の臭いで後続の魔物がやってくる前にこの場を離れる。
街道よりちょっと南にある崖に登り、その頂上に身を潜めて街道を観察する。
暫くすると小鬼の一隊がやってきて、仲間の死体を発見して騒ぎ始めた。
次第に小鬼が集まり始め、そのうち大鬼までやってくる。
危険度黄色の魔物。
それでも、高等科は白銀級冒険者並みの力は持っているんだ。
見逃してみなに任せても大丈夫だろう。
大鬼が咆哮を上げ、五十体くらいの小鬼の集団が前進を始める。
先遣隊か。
あれは放置するしかない。
だが、次の集団がすぐにやってくる。
同規模の小鬼を、やはり大鬼が率いている。
その集団は、三つ目、四つ目と続き、四つ目には危険度赤色の魔物、丘巨人まで混ざっていた。
普通、こんなところに出てくるはずがない魔物だ。
違和感が甚だしいな。