第十章 春宵に響く鐘 -6-
ターヒル・ジャリール・ルーカーンの左手に、もう一挺の戦斧が出現する。
一挺でも重い戦斧を、左右の手にそれぞれ持って水車のように振り回す。
颶風のように吹き荒れるその攻撃に、ダンバーさんは再び距離を取った。
流石に、大幅に速度の上がった鷹の攻撃に、迂闊に飛び込むことはできない。
「イーダ・クント・ラ・タティ、フーダ・ナドハーブ」
右頬の傷を歪ませ、鷹が嗤う。
同時に、地を蹴ってダンバーさんに躍りかかった。
だが、ターヒル将軍が間合いに踏み込んだとき、その足許が円形に光輝く。
すると、将軍の前進がその場で貼り付いたかのように止まってしまった。
「見はったやろ。魔法陣に罠を仕掛けてはったんや。しかも、あれは麻痺の状態異常付きおすえ」
ぐんとダンバーさんが踏み込む。
鷹は歯軋りするが、動けない。
角度を決めた執事の左拳が、ターヒル将軍の右脇腹を撃ち抜く。
上体が折れる砂漠の鷹。
目の前に降りてきた顎に、突き上げるようにダンバーさんは拳を振り抜いた。
吹き飛ぶターヒル・ジャリール・ルーカーン。
そして、いつの間に仕掛けたのか、倒れた先に更に新たな魔法陣。
地面から紅蓮の柱が立ち上ぼり、鷹が炎に包まれる。
「キアランはんもえげつないひとやわ」
コンスタンツェさんがにこやかに笑う。
「でも、向こうも十分化けもんどすな」
炎の柱が収まる。
煙の中から、ターヒル将軍の巨躯が現れた。
あれだけの爆炎を浴びてなお、この男は健在だった。
「──セイレイスの四大将軍。噂以上でございますね」
「アント・ワフシュ」
魔力障壁をかなり消耗したか、心なしか鷹の表情に精彩がない。
「ハーダ・アルワフシュ・アルダハビーユ」
ダンバーさんは暫く拳を握って構えていたが、小さく息を吐くと右手の拳を開き、指を真っ直ぐ伸ばした。
「あれどす。執事の切り札。破魔の刃。あれを隠したはったんや」
黄金に輝く魔法陣が、ダンバーさんの右手に宿る。
砂漠の鷹は二挺の斧を投げ捨てると、右拳を祈るように額の前に出した。
魔力を握り潰すように圧縮し、右拳に収束する。
鷹も最後の切り札を切る気になったか。
「ダエナ・ナドハブ、クァブダット・ムタファジラ!」
ターヒル将軍が最後に選んだのは接近戦だ。
執事の速度に負けないために、小回りの効く素手を選択したのだろう。
七フィート弱(約二メートル)の身長を誇る鷹は、当然リーチでもバトラーさんを上回る。
素手でも先に当てる自信があるに違いない。
砂漠の鷹が前傾した。
重心を前に倒し、待ちの姿勢から攻めの姿勢に切り替わる。
右足の爪先に魔力を込め、抉るように大地を蹴った。
爆発的なダッシュで一気にダンバーさんに迫る。
ダンバーさんは、両手を柔らかく前に出し、左半身で待ち受けていた。
単純な膂力では、巨漢のターヒル将軍の方が上のはずだ。
だが、執事は恐れる様子もなく、平然と構えを取っている。
常に冷静沈着。
護衛のプロフェッショナルとはこういうものか。
鷹の選択は、右の直突き。
唸りを上げてダンバーさんの顔面に肉薄する。
だが、左半身の姿勢からでは、右の拳は些か距離がある。
大砲を当てるには、相手が悪かった。
ダンバーさんの左腕のガードが、鷹の右拳とぶつかる。
その瞬間、圧縮した魔力が弾け、強烈な衝撃がダンバーさんを襲う。
ターヒル将軍は、ガードごと捩じ伏せるつもりだったであろう。
だが、その強力な右拳は、予想外に強烈な反発を以て弾かれる。
反射陣。
そして、流れるように懐に入り込んだダンバーさんの貫手が、態勢を崩した鷹の心臓に突き刺さった。
「強い……」
思わず、感嘆の声を漏らしてしまう。
本気を出した黄金級というのは、此処まで強いものか。
ハーフェズの魔法陣と比べると、やはり使いこなし方が全然違うね。
極めていると言われるのもわかるよ。
鷹が地面に崩れ落ちると同時に、審判がダンバーさんの勝利を告げる。
キアラン・ダンバーは、恭しく四方の観客に一礼し、静かな足取りで会場を後にする。
恐ろしいことに、彼の息は全く乱れていない。
「見して貰やはったで、破魔の刃」
ターヒル将軍の分厚い魔力障壁を、物ともせずに貫いたダンバーさんの貫手。
聖騎士の目的は、それを見ることだったのだろうか。
「ほな、あては行きますえ。アラナンはんも、あてと当たる前にしくじったりしいひんようになあ」
満足したのか、コンスタンツェさんは控え室を出ていった。
ぼくも、一度みんなのところに行くかな。
次の試合は昼飯の後だし、少し時間の余裕はある。
それにしても、午前の部は全て推薦枠が勝利を収めている。
一回戦であれだけ強いと思った予選組ではあるが、推薦者の強さは更に頭抜けているね。
午後の部が楽しみだよ。
ぼくたちの指定席に行くと、ハンスとアルフレートしかいなかった。
どうも、ぼくが行くのが遅かったせいか、みんな先に昼食に向かったらしい。
二人は、一応ぼくのために残ってくれていたようだ。
「試合が終わったのに戻ってこないから、ダルブレ嬢の機嫌が悪くてね」
ハンスが困ったようにぼくを見る。
「何かあったんじゃないかって心配していたよ」
「ああ──ごめん。ハーフェズの試合をダンバーさんと見ていたら、腰を落ち着けちゃったね」
連絡もしないで戻ってこないんじゃ、この間のハンスの例もあるし、心配されても仕方ないな。
「ぼくたちの分も買ってきてくれるそうなんで、此処で待ってましょう。それより、グウィネズ大公はどうでしたか?」
アルフレートは、細かいことより試合の内容に興味があるようだ。
最近伸びてきているし、色んなことを吸収したいいんだろうんな。
「油断しすぎだったね。大公は、無敵の城塞を絶対視しすぎた。ゆえに敗れた。普通に戦っていれば、もう少し手こずっただろうにね」
「本来の力を出したら、どれくらいの強さなんですか」
「相手にもよるから比較は難しいけれど、ハーフェズや砂漠の鷹とはいい戦いをするだろうね。聖騎士やダンバーさん相手なら、苦戦は免れないだろうけれど」
「聖騎士と、執事の強さは全然判断つきませんよ。差がありすぎて別世界ですよね」
雑談をしながら、みなが帰ってくるのを待つ。
アンヴァルが屋台から離れず、動かなくならなければいいが……。