第十章 春宵に響く鐘 -3-
控室に戻ると、ダンバーさんが拍手で迎えてくれた。
「お見事でございます、アラナン様。一年前とは、見違えましたな」
「有難うございます。先生がよかったですからね」
「聞いてはおりましたが、本当にあのスヴェン様が生徒をお引き受けになられたんですなあ。今まで一人も教え子を持たれたことはなかった御方が」
ダンバーさんは、テーブルの上に魔法の袋からティーポットとティーカップを取り出した。
ティーカップには、すでに牛乳が少し入っている。
そこに茶漉しで茶殻を濾しながら、回すように紅茶を注ぎ入れる。
ティースプーンを添え、別な皿にスコーンとジャムを載せると、ダンバーさんはぼくに座るように勧めてきた。
「一息入れられたら如何でございましょう。次の試合は、そこの魔導画面からでも見られますよ」
「有難うございます。ご馳走になります」
みんなのところに行ってもよかったが、次はハーフェズの試合だ。
ダンバーさんと観るのも悪くなかった。
お勧めに従って、ダンバーさんの向かいに座ると、軽くスプーンでかき混ぜてから紅茶を口に含む。
うん、温度といい、柔らかな口当たりといい、相変わらずダンバーさんのアングル式紅茶は絶品だな。
「ハーフェズのやつは、今日もいつものように自信満々だったんですか?」
ティーカップを抱えながら尋ねると、ダンバーさんは優しげな微笑みを浮かべた。
「ハーフェズ様は、コンスタンツェ様を舐めてかかってはございません。ルウムの退魔師の頂点に立つ者が相手なのです。恐らく、全霊を上げて勝ちに行かれるでしょう」
「コンスタンツェ・オルシーニは、それほど強いですか」
あのハーフェズが、そこまで警戒するのか。
そんな相手は、聞いたことがない。
「聖騎士は、ルウム教の神に選ばれし者でございます。神聖術を使用致します。──名を、聖光」
神聖術を使うだって?
学院で中等科を修めただけにしては強いと思ったんだ。
それならば、納得がいく。
「アラナン様の勇敢な戦士と似ておりますが、世界の魔力の代わりに虚空の神聖力を纏って戦うのでございます。エリオット卿の加速ほど速度に特化はしておりませんが、攻防自在で隙がございません」
おお、思ったより強敵そうだ。
勇敢な戦士さえ存分に使えれば、どんな相手でも互角以上に戦えるつもりでいたが、神聖術が相手となるとそうもいかない。
「少なくとも、わたくしより彼女の方が強いでしょう。黄金級冒険者でも、聖騎士に勝てるのは飛竜だけでございます」
「──それほどですか……!」
ぼくは今でも、ダンバーさんに勝てる自信はない。
神聖術を使えば別だが、魔術だけだとどうだろう。
経験豊富なダンバーさん相手だと、予測不可能な対処をされてやられそうな気もする。
「さあ、始まります。無論、ハーフェズ様も負けるつもりはございません。あの方の挑戦を見守りましょう」
魔導画面には、西の出入り口から出てくるハーフェズが映っていた。
常に自信に満ち溢れ、黄金の髪を輝かせている彼が、やや緊張しているように見える。
ダンバーさんの言ったことは間違っていないのか。
聖騎士の強さはそれほどか。
目に止まったのは、ハーフェズが持っている槍だ。
今まで彼が使っていたのは剣が主だったはずだ。
今回に限って、何で槍を持ち出してきたのか。
「漆黒の槍。イスタフルに伝わるものらしいですが、彼の奉じる太陽神の武器ではございません。ですが、今回はその力を使うつもりのようでございます。エルの使徒にだけは負けるわけにはいかないと」
確かに、あの槍からは余り神聖な力は感じられない。
もっと、禍々しいまでの暴力的な力を感じる。
あんなのを使って、ハーフェズは大丈夫なのか?
「東から現れたるは、ルウムの白き花、魔を根絶せしむる者、神の聖光、アドリアーノ・オルシーニ枢機卿の娘、聖騎士、コンスタンツェ・オルシーニ!」
対するコンスタンツェさんは、いつものように柔和な笑顔を振りまきながら登場する。
肩を出した純白のワンピースは体にフィットしており、聖職者の雰囲気は感じさせない。
というより、金の飾り帯や十字のネックレス、肘から下がる飾り布なんか戦いの邪魔にしかならないんじゃないか?
「コンスタンツェ様は、ハーフェズ様を侮っておられますね。唯一、勝機があるとしたら、そこでございましょうか」
聖騎士は、右手に細身の剣、左手に短剣を持って佇んでいる。
短剣は、攻撃を受けるためのものであろうが、あの小さな刃で槍は防げまい。
それでも、観衆はコンスタンツェさんに喝采を送る。
色香に骨抜きにされている男が多そうだな。
ラティルス人は新しい服装をよく発信するからねえ。
ああいう上半身は体型に合わせ、下半身は膨らみを持たせるドレスも流行るのかな。
ハーフェズは、今日は黒のシャツの上から左が白、右が水色の袖無しのチュニックを着込んでいる。
チュニックには金の鷲獅子の刺繍が施され、ヒッサール家の者だということを主張している。
パールサ人なら大抵頭に布を巻いているのだが、ハーフェズはいつもその黄金の髪を晒していた。
審判が右手を挙げる。
同時に聖騎士の背中から光背が溢れだし、ハーフェズの漆黒の槍に魔法陣が収束する。
「試合開始!」
「聖光!」
「アーオル・アーザーディ!」
光背から光が広がった淡い光が、コンスタンツェさんの全身を包み込む。
あれが聖光か。
エリオット卿のように、使用に制限が掛かっている様子もない。
どうやら、神聖術の習熟度がかなり違うようだ。
対して、ハーフェズの持つ漆黒の槍からも、黒い光が漏れ出てきている。
だが、形も力も歪で、うまく制御できているとは言いがたい。
「何やの、そん槍は。かなんわあ、魔の気配がえらいしてはりますえ。あての仕事増やさんといてなあ」
コンスタンツェさんが、左手の短剣を突き出す。
刃の先から発した聖光が、一直線に走ってハーフェズを襲った。
ハーフェズは慌てず、漆黒の槍を体の正面に持ってくる。
聖なる光線は槍の黒い光に衝突すると、弾かれて斜め上方に飛び去った。
光線は競技場を覆う結界に到達すると、激烈な閃光と轟音を生じさせる。
「魔などではない。これは神だ。かつてのアフラの力の欠片なのだ。神がより純粋に激しく力の象徴だった頃のな」