第十章 春宵に響く鐘 -2-
歓声が津波のようだ。
西からグウィネズ大公が登場すると、八方から観客の声が降ってくる。
アルビオンの貴公子は、知名度の人気も高いな。
ルウェリン・グリフィズは自信に満ち溢れ、堂々とした姿で立っている。
一回戦のときのような仮装はしていない。
黒いシャツとトラウザーズの上から、べルベットの丈の長いジャケットを羽織っている。
細かいお洒落で、袖に止めた銀のカフリンクスに、獅子の意匠が凝らしてあった。
「東から現れたるはアルビオンの新鋭、魔法学院からの推薦者、昨年度中等科進級第一号、学院選抜戦で並みいる強豪を打ち倒した驚異の少年、アラナン・ドゥリスコル!」
む、呼ばれたな。
今回は、棍も持たず手ぶらで出る。
今日のぼくは、白のシャツに緑と赤のチェックの短いタイだけ締め、上着は着ていない。
体は十分暖まっているんで、寒くはないぞ。
外に出ると同時に、喚声が大地を揺らして轟く。
いや、本当に揺れているんだ。
ヘルヴェティアの観衆たちが、自分たちの学院の代表に、一斉に足を踏み鳴らして応援してくれていた。
ちょっと照れるが、手を振って観衆に応えよう。
「エアル・グリーンのタータンチェック・タイか。今日のお前は、アルビオンではなく、エアルを背負って戦うと言いたいのか?」
「そんな烏滸がましい意図はありませんよ。ただ、こうすると、故郷の祭司たちが付いていてくれる気がしましてね。緊張しないためのおまじないですよ」
エアル島のシンボルカラーは緑であり、タータンチェックはぼくたちの民族衣装によく使われる柄だ。
母親がセルト系のグウィネズ人だけあって、よく知っているじゃないか、グウィネズ大公。
「わたしの無敵の城塞を破った者はおらん。噂の飛竜を倒して土産話にしようと思っていたのだが、欠場で興醒めしていたとことだ。少しは楽しませてくれるのかね」
「そうですね」
慎重に隠蔽を掛けながら、大気と大地から魔力を吸い上げる。
この魔力の流れを見破れるのは、オニール学長と飛竜くらいだろう。
「そんなに長い時間は無理だと思います」
「ははは! なかなか素直ではないか。そういう態度ならば、わたしも今後色々と考えてやってもよいのだ」
うん、勘違いさせたかな。
まあ、いい。すぐにわかることだ。
ルウェリン・グリフィズは、片刃刀をだらりと下げている。
自然体とも言えるが、これは無敵の城塞の絶対を信じたがゆえの無防備だな。
まあ、ぼくのやることは決まっている。
グウィネズ大公までの距離は二十フィート(約六メートル)ほど。
間合いは遠いが、遠すぎるというほどではない。
審判が現れ、右手を挙げる。
始まるぞ。
準備はいいな。
「試合開始!」
開始とともに疾跳歩で一足で跳び、ルウェリン・グリフィズとの間合いを一気に詰める。
同時に、集めていた魔力を纏って勇敢な戦士を発動する。
間合いの感覚を誤り、グウィネズ大公はこの飛び込みに反応できていない。
長く伸ばした右拳が、ルウェリンの無敵の城塞に激突する。
濃密な障壁が拳を妨害するが、拳を覆った勇敢な戦士はその魔力ごと食い破る。
長撃の右が、ルウェリンの顎にぶち当たった。
よろめく隙に右足を股の間に踏み入れると、追撃の右掌打を腹に突き入れる。
激しい打撃音とともに、グウィネズ大公が宙を舞った。
そして、背中から地面に叩き付けられた瞬間、審判が終了の宣言を出す。
致死判定が出たようだ。
観客席は、不思議なほど静寂に包まれていた。
ちょっと気味が悪い。
思わず周囲を見回すが、みんな固まっているようだ。
おいおい、どうしたんだ。
「──ド、竜爪破邪……」
「飛竜だ……」
ぼそぼそと、囁きが漏れてくる。
飛竜の絶技、竜爪破邪。
竜爪を模した掌打の一撃。
そして、そこからの肘撃への連打。
初めの掌打だけで終わることが多いから、竜爪掌こそが竜爪破邪と思われているようだ。
ぼくがやったのは、正直ただの竜爪掌で、竜爪破邪の連打じゃないんだよな。
まあ、一撃で終われば同じに見えるか。
「飛竜の再来だ……!」
「小竜……」
「小竜だ!」
固まっていた観衆が騒ぎ出す。
そして、それはいつしか小竜という叫びに変わっていく。
どうでもいいが、その名前恥ずかしいからやめてほしいな。
グウィネズ大公の意識は戻っていない。
初めの疾跳歩からの一撃が顎に入ったからね。
運ばれていくルウェリン・グリフィズを、一応アルビオン国民として礼をもって見送ろう。
今後については、また後で話し合いをさせてもらうよ。
歓声が収まらない中、逃げ出すように退場しようとする。
と、ぼくを鋭く凝視する視線に気付いた。
視線は、貴賓席からだった。
ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクとシュヴァルツェンベルク伯の隣に、痩せた老人と眼光の鋭い初老の男がいた。
痩せた老人だけ座っており、刈り込まれた灰色の髪の初老の男は傍らに佇んでいる。
ユリウス・リヒャルトとシュヴァルツェンベルク伯は少し離れて立っているところを見ると、帝国の高位の貴族だろうか。
視線は、その初老の男が発していた。
ユリウス・リヒャルトの圧倒的な覇者の気配とは違う。
こんなに離れているのに、思わず戦闘態勢を取らなきゃ殺されるのではないか、そう感じさせる眼差しだ。
黒いベストや膝まである黒ベルベットの上着に、金糸で刺繍が施されている。
上質な衣装は貴族のようだが、その割には物騒な双眸だ。
「黒騎士に認められはりましたなあ、アラナンはん」
次の試合に出るために出入り口に来ていた聖騎士が、貴賓席を覗いて言った。
「まあ、そん前にあてと当たりおすよって、アラナンはんは先ん心配やらせんといて、そろっと休むんがよろしおすえ」
おっと、言うじゃないか。
悪いが、貴女の相手はあのハーフェズだ。
そう簡単にはいかないんじゃないの?
しかし、そうか。
あれが黒騎士。
アルトゥール・フォン・ビシュヴァイラーか。
皇帝を護る剣。
流石は優勝候補筆頭。
遠目に見ただけで、切れ味がいいのがわかるよ、あの剣は。