第十章 春宵に響く鐘 -1-
一回戦の八試合が、全て終わった。
初めて見るぼくには比較はできないが、例年を知る人からすると、一回戦のレベルが段違いに高いらしい。
それだけ、今大会は強者が集まってきているのだろう。
どの敗者を取ってみても、例年なら二回戦に進んでいた猛者ばかりだという。
そんな激戦の一回戦を潜り抜けてきたのだ。
二回戦進出者の力量は、推して知るべしだろう。
「ギデオン・コーヘンには、気を付けろよ」
宿で夕食を食べていると、レオンさんとルイーゼさんが連れ立ってやってきた。
乱暴にぼくの前に椅子を持ってくると、レオンさんは深く腰を掛ける。
「あいつは、恐らく狼憑きだ」
ワインのグラスを置いたまま、レオンさんは天井に向けて煙を吐き出した。
「そうでなきゃ、あの生命力は説明が付かねえ。おれの魔弾は、簡単に防げる代物じゃないんだ」
「要するに、魔物ってことですか?」
「いや、厳密に言うと違う。魔物に憑かれた人間かな。あんなのがベールをうろうろしているかと思うと、ぞっとしないぜ。あいつは、やっぱり相当おかしいぞ」
「そうですね。特に、最後の高負荷弾を防いだのは、おかしかったと思います」
「それだよ」
ルイーゼさんが吸いさしの煙草を取り上げ、火を消してしまう。
レオンさんは、ちょっと残念そうに空になった右手を見ていたが、気を取り直してグラスを取り上げると、ワインを干した。
「一発でも確実にぶち抜けたはずの高負荷弾を、六発お見舞いしたんだ。無傷なんてありえるか。あれは、やつが狼憑きだとしても説明がつかねえ」
「ぼくは、あの瞬間、やつではない魔力を感じたんですよ」
オニオンスープを口に運びながら、レオンさんに説明する。
む、この刻み玉葱、口の中でとろけて甘いな。
「眉間を狙った弾丸を、額で受けた。その瞬間、やつの額に尋常でない魔力が集中していた。大気の魔力を集めたわけでもないし、虚空に接続したわけでもない。──あえて言うなら、別な人間の魔力が流れ込んだ、そんな印象でした」
「それって、反則じゃないの?」
オランデーズソースを掛けたホワイトアスパラガスをナイフで切りながら、マリーが腹立たしそうに言う。
「まあ、証明できればね」
一瞬のことだし、どうやって他人に魔力を与えるのかその方法もわからない。
立証は難しいな。
「イグナーツが言っていたもう一人の聖典教団もわからない。それっぽいのがいないんだよな」
後半の勝者は、オリヴィエ・クレマン・ド・サン=ジョルジュ、ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルク、ターヒル・ジャリール・ルーカーン、ロレンツォ・スフォルツァの四人だ。
ターヒル将軍とメディオラ公は違うとしたら、サン=ジョルジュかシュヴァルツェンベルク伯。
どっちも怪しいっちゃ怪しいなあ。
ま、組み合わせを見る限り、この二人はクリングヴァル先生が何とかしてくれるだろう。
ぼくは、ギデオン・コーヘンを警戒してればいい。
幾つかコーヘンに対する助言をくれると、レオンさんとルイーゼさんは帰っていった。
あの二人はいつも一緒だな。恋人なのかね。
明けて、朝。
今日は二回戦六試合が行われる。
ぼくは第一試合に出場しなければならないので、早朝からベール競技場に入る。
今日は選手だから、みんなとは別行動だ。
少しでもいい場所で見ようと、自由席は早朝から長蛇の列だ。
これ、まさか徹夜組がいるのかな。
マントにくるまりながら寝ているよ。
ヘルヴェティアの春の朝は冷えるから、風邪をひいても知らないぞ。
通用口から入り、選手控え室に入る。
東の控え室は、推薦の選手用だ。
流石に時間が早く、ぼくが一番乗りだった。
試合時間までに、久しぶりの魔術に体を慣らしておく。
元々魔術師なんで、こっちが本職なんだ。
うん、勘は鈍っていない。
大気の魔力が呼応するのがわかる。
相手はアルビオンの象徴だ。
アルビオンから来ている応援団は、こぞってグウィネズ大公を応援するだろう。
中には、王子に立ち向かうとは不敬なやつと罵る者もいるかもしれない。
挨拶に来ないことに怒っていたみたいだしな。
しかし、それでもこの戦いには意味がある。
ぼくと、エリオット卿を縛り付ける鎖を断ち切る。
そうしないと、ぼくたちは羽ばたけない。
「おはようさん。早起きおすなあ、アラナンはん」
「あ、おはようございます、コンスタンツェさん」
ぼくの次にやってきたのは、聖騎士コンスタンツェ・オルシーニさんだ。
編み込んだ金髪がすっきりしていて上品そうなんだが、この人の紫の瞳が怖い。
いや、鋭いわけじゃないんだ。
むしろ、やや垂れていておっとりしているように見える。
でも、この人は笑っているときでも目は笑ってないんだ。
そして、時々こちらの心を覗き見るような視線を向けてくるときがある。
精神障壁を身に付けたいま、シピにもぼくの心は読ませないんだが、女性の勘というやつはまた別物な気がするんだ。
手の内を見せたくないんで、体をほぐすだけにする。
ぼくがそうやって体を温めていると、コンスタンツェさんが話し掛けてきた。
「面白いことしたはりますなあ、アラナンはん。それは、何してますのん」
「筋肉をほぐしてるんですよ。起き抜けは、ちょっと固くなっているでしょう」
「はあ、そないなもんですやろか。アルビオンにはけったいな風習がありますなあ」
そうか。この目は、常に自分が上に位置していると思っている目だ。
貴族にもあるが、あれよりも穏やかだが強烈だ。
自尊心が異常に高い人なんだろうか。
この人の目に比べれば、時に暴力的でもジリオーラ先輩の方がずっと温かみがあるよ。
ちょっと二人っきりでいるのが気まずくなってきたときに、新たな選手が現れてくれた。
黒の燕尾服を隙なく着こなす老人、執事キアラン・ダンバーさんだ。
「お二人ともお揃いで。お久しぶりでございます、コンスタンツェ様、アラナン様」
「おはようさん、キアランはん。相変わらず綺麗ななりしはってますなあ」
「おはようございます、ダンバーさん」
レオンさんなんかは着崩した雰囲気が格好いいんだが、ダンバーさんは逆に乱れなく整っているところが美しい。
「アラナン様は本日は大公殿下との試合でございましたか。落ち着かれているようですが、勝算はおありですかな」
「勿論、勝ちますよ」
躊躇いなく答えた。
今日は、飛竜の代わりに臨むのだ。
僅かな緩みも手違いも許されない。
「この大会、ぼくは優勝を狙っていますからね。そのためには、グウィネズ大公なんかには、躓いていられない」
「威勢がよろしゅうおますなあ」
コンスタンツェさんは、あくまで表面上はにこやかだ。
「いきなり初戦で消えることんないよう、精々お気張りやす」
そうだ。
何れは、聖騎士とだって、当たる可能性はある。
ルウム教会の最高戦力。
そんな肩書きに気後れしている場合ではない。
ぼくはコンスタンツェさんに対抗し、微笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。三秒で終わりますから」