第九章 魔法武闘祭 -10-
風の侯姫の先制攻撃が迫るも、シュヴァルツェンベルク伯の余裕は崩れない。
彼の足許に大きな魔法陣が現れると、そこから濃密な霧が噴出し、伯爵の姿を消していく。
「静寂の霧」
不気味な声だけが響き、伯爵の姿が完全に霧の中に溶けた。
風の刃が次々と霧を切り裂くが、重く垂れ込めた霧を払うことができず、空を切る。
「出ましたわね、噂の霧魔法。どの程度のものか、試させていただきますわ! 黒き旋風!」
ルイーゼさんは右手をかざし、旋風を巻き起こすと一気に巨大化させる。
膨れ上がった旋風をぶつけると、迫り来る霧の侵攻が止まる。
吹き散らされはしないが、それ以上領域を広げられないでいるようだ。
(わたしの霧を押し止めるとは、なかなかやりますね)
霧のせいか、シュヴァルツェンベルク伯の声はくぐもり、何処から聞こえてくるかわからない。
あれに押し包まれたら、終わりということなのだろうか。
術の名前からして気味が悪い。
「これで終わりだとお思いですの!」
ルイーゼさんが左手を振ると、黒き旋風が三つに分かれ、両翼の二個の旋風が静寂の霧を封じ込めに掛かる。
これには、シュヴァルツェンベルク伯も閉口したらしい。
(騒がしい女は嫌いなんですがね、お嬢さん)
「奇遇ですわね。わたしも騒がしい男は好みじゃないですの!」
旋風と霧が鍔競り合う。
押し込まれるのは、霧の方だ。
三方を囲まれていては分が悪い。
(仕方がありませんね。もう一段階上げますよ)
シュヴァルツェンベルク伯の言葉とともに、真っ白であった濃霧が、次第に真紅に染まっていく。
すると、霧を押していた旋風の勢いが衰え、次第に押し返されていくではないか。
(鮮血の霧。今度は、ちょっとばかり特殊ですよ)
ふむ、確かに特殊な魔法の使い方だ。
静寂の霧は、恐らく魔法の袋にでも入れておいた水を媒体とし、魔法陣の術式によって発動している。
霧を魔力阻害付きの障壁と化しているのだろう。
ティナリウェン先輩の砂漠の魔風に近いが、あれより上位だ。
鮮血の霧は、媒体を水から血に変えやがったな。
魔力を含んだ血液を使うことで、あの霧は魔力を食うようになっている。
ルイーゼさんの黒き旋風も、魔力を吸われて弱体化したんだ。
「その赤い霧は危険ですわね」
ルイーゼさんは、更に右手に魔力を集めると、今までと比べ物にならない魔力を絞り出す。
巨大な竜巻が発生し、それは右手の指環によって更に大きくなった。
「ノルトゼ海の冷たい嵐!」
アルビオンと大陸西岸部で囲われた海を、帝国ではノルトゼ海と呼ぶ。
寒気の強い北方の海。
その冷風を、巨大な暴風にして突っ込ませる。
すごいな、ハーフェズやティナリウェン先輩の砂塵嵐も強風だったが、これはそれにひけを取らない。
基本的に戦闘の余波は観客席に行かないようになっているが、その結界が僅かに震えているのがわかるくらい大規模な風が渦巻いている。
黒き旋風を食らい付くした鮮血の霧が、垂れ込めるようにその赤い領域を拡げ、冷たい暴風と激突した。
一瞬押し止めるかのように抵抗したが、強風の勢いは凄まじく、一気に霧を吹き飛ばしていく。
魔力を食う霧も、有無を言わせぬ暴風の前には儚い存在であるかのようだ。
そして、ついに風の侯姫が霧の中に隠れる影を察知する。
「捉えましたわ!」
ルイーゼさんは胸の前で両腕を交差し、青と赤の指環を正面に向ける。
再び、無数の風の刃が現れ、一気にその影に向けて飛ぶ。
「案外あっさりと引っ掛かりますね」
いつの間にか、シュヴァルツェンベルク伯が回転式拳銃をルイーゼさんのこめかみに突きつけていた。
先程まで霧の中にいたはずなのに、いつルイーゼさんの横に移動したのか。
ぼくですら、全く気付かなかった。
「これの銃弾も魔力を食らうんですよ。特殊な小型の魔法陣を組み込んでましてね。障壁を貫通するんです。──つまり、撃てば終わりなんですが、御婦人を撃つのは紳士のやることではないものでね。どうでしょう、降参していただけませんか」
ルイーゼさんはきっとシュヴァルツェンベルク伯を睨んだが、数秒の沈黙の後、腕の交差を解いた。
「紳士だなんてとんでもない。とんだぺてん師じゃないかしら」
「優しい嘘もつけない男は、いざというとき頼りになりませんよ、お嬢さん」
ルイーゼさんが、降参を審判に告げる。
その瞬間、ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルクの勝利が確定した。
「何だかよくわからなかったわ」
試合の結果に大いに不満がありそうなマリーがむくれる。
「きっと、魔力を食う弾ってのが嘘なんじゃないか? そんな術式が、あんな小さい弾丸に仕込めるとも思えない」
「なら、何でルイーゼさんは降参したのよ。嘘だとわかっていたんでしょう」
「伯爵は、きっと障壁を貫通する攻撃くらいできたはずだ。それをしないでわざわざ降参を勧めてきたことに、敬意を表したんじゃないかな」
悪魔という異名の割りに、女性に優しい伯爵だったな。
だが、いきなりルイーゼさんの横に現れた術は強力だ。
まだ隠している手札もありそうだし、得体のしれなさでは随一だよ。
シュヴァルツェンベルク伯が、貴賓席に向けて、恭しく一礼している。
視線を移し、その礼の相手を見てみた。
強いふたつの輝きが、ぼくを射抜いた。
あれは何だ。双眸か。
強烈な意志を持った瞳だった。
あんなやつは見たことがない。
年齢はぼくとそう変わらないのに、圧倒的な何かを感じる。
あれほどの眼力を感じたのは、飛竜に会ったとき以来だろうか。
「あれが──ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクか」
金の髪の毛の一本一本まで、生気に溢れているようだ。
貴賓席に立つ姿は、まるでグリース文明の彫像のようである。
──そうか。あれが、帝国の次代の皇帝か。
「ユリウスが皇帝になったら、わたしの黒騎士の目もない。レツェブエル家には、頑張ってほしいんだけれどな」
「じゃあ、ハンスが皇帝になればいいじゃないか。ザルツギッター家だって、帝国の有力貴族なんだろう?」
「わたしでは、ユリウスの華には勝てないよ。あの男には、人を一瞬で惹き付ける力がある。アラナンだって、さっき見とれていただろう」
ハンスには悪いが、何か納得できる。
確かに、あの少年は人の上に立つべくして生まれてきたかのような、そんな存在感がある。
ぼくの周りでそんな雰囲気を出せるやつがいるとすれば──ハーフェズだけだ。
「ユリウスは、シュヴァルツェンベルク伯に、こう命じているだろう。黒騎士に勝て、と。そうすれば、次の黒騎士は、シュヴァルツェンベルク伯に決まりだ」
風の侯姫を手玉に取ったあの力量なら、あり得るかもしれないな。
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