第九章 魔法武闘祭 -9-
マリーとジャンの機嫌が悪い。
サン=ジョルジュへの怒りが渦巻いているのがわかる。
仕方がない。
気分転換させるために、ちょっと外に行ってシリアルを買ってくる。
押麦にブラックベリーとラズベリー、すりおろしリンゴにヨーグルトと蜂蜜が入っていてさっぱりとして甘い。
ヘルヴェティア独自の軽食で、アルマニャックにはないが、こっちに来て以来マリーはこれを気に入ってよく食べている。
ご機嫌を取るにはうってつけさ。
みんなの分を買い込んで、観客席に戻る。
その途中、偶然クリングヴァル先生が外に出ようとしているのとすれ違った。
「こんにちは、クリングヴァル先生。観戦は終わりですか?」
「ああ、アラナンか。悪い、ちょっとシピに呼ばれてな。会場の警戒はイリヤ・マカロワに任せてギルド本部に来いとか、人遣いの荒い女だぜ。ああ、いや何でもない。またな」
学院の先生方は、密かに会場の警備に当たっていたようだ。
ファリニシュも加わっていたとはね。
まあ、実力からいって当然だろうが。
しかし、シピがクリングヴァル先生を呼び出すとは、何か進展があったのだろうか。
戻ってみんなにシリアルを渡しながら、ファリニシュの様子を見る。
別段いつもと変わった様子はないが、神狼であるファリニシュは、人間より何百倍も感覚が鋭い。
警備には最適の人選ではあろうが、大変だな。
「どうしなんした、主様」
「いや。いつも有難うってな」
小首を傾げるファリニシュに礼を言うと、余計に首を捻っている。
いいんだよ、わからなくてもな。
マリーの機嫌が直ったので、安心して次の試合に集中できる。
すでに、会場には出場者が出てきていた。
一人は風の侯姫ルイーゼ・フォン・ホーエンローエさんか。
カレルが月刊冒険者でよく絵姿を載せるだけあって、ルイーゼさんは綺麗だし華がある。
豊かな金の巻き毛に白いレースのヴェールを被り、薄い青のドレスに臙脂のサッシュベルトを巻き付けている。
その立ち姿は決まっていて、とても堂々としていた。
対戦相手は、カレルと同郷のチェス人の貴族だ。
ミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルク。
元々は平民で、カレルとも縁戚に当たるという。
だが、ボーメン王国を出てエーストライヒ公に仕え、先だってのセイレイスとの戦いで功を上げた。
シュヴァルツェンベルク伯爵の爵位を与えられたミヒャエル・イェリネクは、姓もシュヴァルツェンベルクに変え、エーストライヒ公の寵臣となっている。
戦場での驍勇と、その特徴的な赤毛に、セイレイスの将兵が付けた異名がボーメンの赤い悪魔。
それを聞いたチェス人が、シュヴァルツェンベルク伯を噂するときに自国の言葉で赤い悪魔と呼び、そのまま定着したそうだ。
苛烈な異名とは裏腹な、眼鏡を掛けた秀才風の外見の男である。
武勇だけではなく行政の能力もあり、この十年でエーストライヒ公国の財政を立て直したという。
公爵の懐刀と目されており、先の失態の責任を取らされたファドゥーツ伯の領地を与えられるとの噂もあるくらいだ。
「ま、ボーメンじゃ裏切者扱いだけれどよ」
親戚だけあって、カレルは複雑そうな表情である。
ボーメン王位を持つリンブルク家は、当代皇帝を出したレツェブエル家の分家である。
当然、皇帝家と近く、逆にエーストライヒ公爵位を有するヴァイスブルク家とは仲が悪い。
貴族でないとはいえ、イェリネク一族にヴァイスブルク家に重用された者がいるというのは、ボーメンでは肩身が狭いことなのだ。
よく見ると、貴族らしい襟足や袖にレースをあしらった赤い丈の長いジャケットに、白いレースのひだ付きのブリオーを黒い幅広のベルトで締め、膝丈の黒いトラウザーズを履いている。
戦うというより、舞踏会にでも出るかのような格好だ。
「田舎者だからよ。貴族になったことを見せびらかしたいんじゃねえの」
カレルは手厳しいが、ある意味正解かもしれない。
ボーメンの赤い悪魔。
こいつは、紛れもなくヴァイスブルク家の送り込んだ切り札だ。
武威を見せることは勿論、次代の帝位を狙うヴァイスブルク家の、華やかさというものも見せつける目的があるのだろう。
黒縁眼鏡を神経質そうに直したミヒャエル・フォン・シュヴァルツェンベルクは、魔法の袋から銃身の短い拳銃を取り出す。
あれは──最新式の燧石式の、しかも弾倉と銃身が一体化した回転式拳銃だ。
あれ一挺で目玉が飛び出るほどの金額がするはずだ。
流石はヴァイスブルク家を背後に持っているだけのことはあるな。
「あら、拳銃なんか使っていたかしら、シュヴァルツェンベルク伯」
「新しく手に入れた武器は、使ってみたくなるものでしょう、ホーエンローエ嬢」
互いに帝国貴族だけあって、和やかに会話をかわす。
だが、ルイーゼさんの本家のパユヴァール公も、エーストライヒ公とは仲が悪い。
此処はお互いに負けられない戦いだ。
ルイーゼさんは、武器を持っていない。
代わりに、右手と左手にひとつずつ魔法の指環を嵌めている。
風の侯姫と呼ばれるだけあって、魔法特化の戦法だ。
相手の接近を許さず切り刻んでしまうので、シュヴァルツェンベルク伯はその対抗策として拳銃を持ってきたのだろう。
「正直、貴女と当たるとわたしが悪役のようなので、避けたかったのですがね」
「あら、悪役は最後に倒されるものですが、それで宜しいのかしら?」
「いえいえ。わたしは正義を執行する者ですから」
澄ました顔で、シュヴァルツェンベルク伯は眼鏡に掛かる前髪を掻き上げた。
「ユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクの正義かしら。彼は優秀な人だけれど、全てを支配したがりすぎるわ」
「公子の御心は、常人には測りがたいものですよ」
エーストライヒ公が、息子を帝国の次代の皇帝に就けようと狙っているのはよく知られた話だ。
シュヴァルツェンベルク伯は、その息子の最側近でもある。
今日も、貴賓席には、そのユリウス・リヒャルト・フォン・ヴァイスブルクが来ているはずだ。
赤い悪魔は、若き主君の目の前で、華麗なる勝利を収めることが求められているというわけだ。
「それでは──試合開始!」
試合開始の掛け声とともに、二人の間にあった和やかな雰囲気が一変する。
先制を取ったのは、風の侯姫。
ぼくの風刃のような風の刃を作り出すと、右の赤い指環で威力を増幅し、左の青い指環で数を増やす。
僅かな魔力で作った小さな刃が、数十の巨大な刃と化して一斉にシュヴァルツェンベルク伯に襲い掛かる。
四方八方から襲う刃に、逃げ場はない。
「小手調べで終わりでもよろしくてよ、伯爵!」
ヴェールをはためかせながら、ルイーゼさんが右手の甲を口許に当てて笑った。
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