第九章 魔法武闘祭 -8-
サン=ジョルジュが跳躍した。
六フィート(約百八十センチメートル)近い高さを跳んでいる。
元の身体能力があるようには見えないのに、この軽やかな動きは何だ。
だが、ティナリウェン先輩も、その動きは掴んでいる。
上空に逃げたサン=ジョルジュに対し、下から偃月の牙を斬り上げたのだ。
追尾するように追ってくる不可視の刃に対し、サン=ジョルジュには逃げ場がない。
空中では方向転換はできない。
だが、その思い込みを破って、サン=ジョルジュは急激に前方に方向を変えた。
体を覆った気流の魔法が、彼の体を推進したように見える。
「どうなったの!」
「ちょ、待って! 偃月の牙を跳んでかわしたサン=ジョルジュが、空中で方向を変えた!」
接近してくるサン=ジョルジュに、ティナリウェン先輩は自分の位置が掴まれていることを悟る。
瞬時に先輩も宙に飛び上がり、二人が空中で交錯した。
激しい金属音が響き、互いの斬り込みを防いだのがわかる。
「ハーダ・アムル・グレイブン」
ティナリウェン先輩が何かを呟く。
魔力の揺らぎが、内心の動揺を示している。
何か問題があったのか。
偃月の牙の刃が消えている。
消したのか、維持ができなかったのか。
疑問に思っている間に、サン=ジョルジュが動く。
あいつ、身体能力の熟練度は非常に高いな。
力を隠すことにも長けていそうだ。
砂塵が薄れているのか、次第に二人の姿が肉眼でも見えてくる。
ティナリウェン先輩の魔力が尽きてきているのか?
確かに大きな魔力を使う魔法だろうが、学院の高等科学生なら再循環くらい修得している。
まだ余裕はあるはずだ。
「あの剣、ティナリウェン先輩の魔力を吸収している」
おかしいのは、サン=ジョルジュではなく、あいつの持つ細身の剣だ。
あれは、魔剣の類いだな。
その魔剣で砂塵を払いながら、真っ直ぐティナリウェン先輩に突っ込んでいく。
先輩の足が複雑に動き、体がぶれる。
おお、あの運足は見事だ。
サン=ジョルジュの突きをすり抜け、胴を薙ごうとしている。
だが、直前でサン=ジョルジュはまた奇妙な動きで横に跳び、その斬撃をかわす。
体に纏った気流があの動きを可能にしているのか。
「技倆は互角……か」
どちらも剣の腕前は一級品だ。
普通にやれば、容易に均衡は崩れないだろう。
だが、あの魔剣がある。
魔力を吸い取られているティナリウェン先輩は大丈夫なのか?
いや、僅かに動きが鈍ってきている。
身体強化が落ちてきているんだ。
再循環を使っているとはいえ、まだ効率は完璧ではない。
魔力を失いつつあるいま、新たな身体強化を掛ける余裕がないのが痛いな。
サン=ジョルジュの攻勢が強まる。
一合ごとにサン=ジョルジュの魔力が高まり、ティナリウェン先輩の魔力が消えていく。
もはや回避もならず、剣で受け流すしかない。
それでも防御し続けられるのは、先輩の剣の技倆の高さを示している。
だが、ついにとどめとばかりにサン=ジョルジュが飛び込み突きを繰り出す。
咄嗟に偃月刀で左に払う先輩。
しかし、すでに力が足りない。
そして、細身の剣が先輩の左肩に突き刺さる。
激痛が走ったであろうが、先輩は諦めない。
ふっと口から何かを吹くと、それがサン=ジョルジュの右目に当たった。
魔力障壁に阻まれて刺さらなかったが、あれは魔力物質化で作った小さな針だ。
先輩に、もう少し魔力が残っていれば、一矢報いれただろうに。
右目を瞑ったサン=ジョルジュは、口許を震わせると左手に魔力を集め、先輩の顔を殴り付けた。
口を切りながら吹き飛ぶティナリウェン先輩。
だが、その瞬間サン=ジョルジュが背後からの衝撃でよろめく。
先輩が魔力物質化で、吹き飛ぶ瞬間足からサン=ジョルジュの背中に鎌のように不可視の刃を回していたのだ。
「サール」
ぺっと口から折れた歯を吐き出すと、イシュマール・アグ・ティナリウェンは笑った。
分厚い魔力障壁で防いだサン=ジョルジュは、目を血走らせると横たわる先輩を蹴り飛ばし、更に飛び込んで踏みつけた。
「やろう、いたぶっているな」
サン=ジョルジュは、もう余裕で致死ダメージを与えられるはずだ。
それをしないで、わざと手加減して遊んでいやがる。
ジャンが彼のことを話すとき、とても嫌そうだったのを思い出した。
アルトワ伯爵領でもこんな振る舞いをしていたのであろうか。
「イシュマールもアホやから参ったせえへん。あないなったら、もうあかんやろて誰でも思うっちゅうねん」
「わかるよ。それでも、ティナリウェン先輩は……男の子なんだよ」
血反吐を吐きながら、目だけは餓狼のようにぎらぎらと輝いている。
まだ、最後まで噛みつく気なんだ。
力なんか残っていないだろうに。
そう、思っていた。
だが、先輩は最後の力をまだ残していた。
何度目かの蹴り。
サン=ジョルジュの意識が雑になった瞬間、振り上げた足の軸足を刈る。
地面に横転するサン=ジョルジュ。
躍り掛かると、先輩はサン=ジョルジュの上に馬乗りになった。
「ふん、随分景気よくやってくれたじゃないか」
偃月刀を手放していた先輩は、魔法の袋から短剣を取り出すと、顔面に振り下ろす。
だが、魔力障壁に阻まれて通らない。
それでも諦めずに、先輩は二度、三度と振り下ろす。
「やれやれ、蛮人は醜いものですこと。どれだけ無駄な足掻きを続けるのですか」
サン=ジョルジュは冷笑を浮かべながら、振り下ろされた右腕を掴む。
筋肉などなさそうな細腕が、鍛え上げられたティナリウェン先輩の腕を万力のように掴み、離さない。
そして、その捕まえた腕を振り回すと、膝でがっちり固定していた先輩の体が簡単に浮き上がる。
身体強化込みとはいえ、素の筋力では先輩のが上のはずだ。
二の二倍と一の三倍では二の二倍にが大きいように、元々の筋量も重要な要素のなずなんだけれどなあ。
投げられ、先輩の体が地面に叩き付けられたとき、試合終了の裁定が下った。
今大会初の致死判定以外での試合終了だな。
審判による試合続行不可能という判断だ。
大地に倒れ付して動かない先輩を、救護班が担架に載せて運んでいく。
もう少し早く止めてもよかったんじゃないか。
そう思わなくもない。
だが、最後の一撃を残したままだと、先輩は後悔する。
だから、あれでよかったんだろう。
しかし、後味が悪いのは変わらない。
オリヴィエ・クレマン・ド・サン=ジョルジュが、本当に傑出した力量を備えているのかよくわからない。
魔剣の力量で勝ったように見えるからだ。
もしかしたら、あの剣がなければティナリウェン先輩が勝っていたかもしれない。
勝負にもしはないが、そう考えるとやりきれない思いがある。
あいつの二回戦の相手はシピ・シャノワール。
つまり、シピの欠場で不戦勝だ。
あんなのが三回戦に来るかと思うと、ちょっとむかついてくるな。