ダイヤの章 1
普段より早く登校した教室では真面目で面倒見が良い山田さんグループと、朝練が終わった運動部の連中が、それぞれに談笑していた。
鳩野さんの机に目を向け一応確認するものの、当然いないか……
「おはよう杜鷺くん、心配したよ」
「よう、杜鷺! ケガ大丈夫か?」
高校生活が始まって約二ヶ月。本心か社交辞令か判断つかない距離を測るクラスメートの挨拶に、俺も差し障りない返答をしていく。実家で起きたラブコメ主人公のような騒ぎを避けようと、学校側への処理がどうなっているのか気になった俺は、職員室へ向かうことにしたが。
「杜鷺ぃ、ちょっといいかしらぁ?」
ドアに手をかけた背に、俺好みのアニメ声が。上から目線のお嬢様口調。可愛い声だなチクショウ……振り返れば金髪ツインが痛々しい、わがままボディで赤面レベルのテンプレビジュアルがあった。ツインはドリル系。スマートな感じの。
「なんだよ、霊仙寺」
ラノベやアニメではおなじみの勝ち組ハーフ美少女、それのリアル版だ。というか、オタク文化好きをこじらせて、美貌を武器に二・五次元を実践してるツワモノといった方が正確か。お互いアニメ好きな分、クラスの中では話す機会が少しだけ多い。それにしても相変わらず卑怯な声してんな。
「コンゼンコーショーについて教えなさいよ」
容姿は完璧なのに、言動が少し残念なお嬢様なのだ。あまり乙女が声に出していい単語ではない事は確か。否、モラルがあれば誰でもだ。
「お前、清々しいほどストレートだな。それ以前に唐突すぎだ」
「そうかしら?」
ハーフか? 勝ち組ハーフの余裕か?
「そんな事、友達に聞けよ。なんだ? 罰ゲームか?」
「他の子に聞いたら杜鷺が詳しいって」
——押し付けられた!
そう直感し、周囲を見まわすと、霊仙寺の相手をしていたと思われる山田さんグループと目が合う。ありゃりゃ、すまなそうに手を合わされちゃったよ。
オーケー、いいさ。唐突なうえ、危険球の多い霊仙寺とのキャッチボール、君たちじゃ奴は捌けねぇ。とはいえ、俺も特別親しいわけじゃないんだけども。
「きーにーなーるーっ!」
闇雲に振り始めた頭から、小さな風きり音とともに甘いシャンプーの香りが舞う。
「っ痛い! 痛い! それ地味に痛いって!」
自慢の金髪ツインでペシペシペシペシと!
「あぁ、少し眩暈が……」
「あれだけ首振ればなぁ。マッハバロンも真っ青だ」
「混ざって紫色ね」
俺の投げた一般人が引くであろう一球を拾いやがった。
前言撤回。趣味のオタク会話を全力投球できる唯一の存在って意味では親しいのか。アニメなんかだったら普通は悪友の一人二人いるはずなのになぁ。同じ中学からこの高校受験したヤツが俺の姉だけ、しかも落ちてたし。
友達を作ろうにも、結構な割合でリア充オーラ全開の霊仙寺が割り込んでくるから、メンタルが草食系紳士の仲間が離れていってしまう。
「あけすけすぎて、俺が恥ずかしいよ」
「ワタシは気にしない」
「気にしろよ……なんでそんな話題になった?」
なんかの深夜アニメか? でもそんな単語、チェックしてる作品には出てないよなぁ。
「アカネが言ってた」
ん?
「どこの?」
「鳩野の」
んん?
「ほら、杜鷺がたまにイヤラシイ視線送ってるコ」
「な————!!」
きれいに入りそうになったラリアットをすんでで緩め、勢い腕に引っ掛けた霊仙寺を引きずり屋上までダッシュ。
「ちょっ、杜鷺、苦し……くーるーしーいーっつ!」
上目遣いで、勘違いさせる微妙な赤面を向ける霊仙寺。いかん、力が入ってたか。
「あ、悪ィ」
「なに? 新しいムネキュンシチュ? 強引ならなんでもキュンとするわけじゃないのよ」
フゥ、と呆れ気味の深呼吸をした霊仙寺はフェンスを背によりかかる。
いや、なかば本気のラリアットだったんだが、こたえてねぇな……
それはそれとして。
「霊仙寺、さっきの鳩野さん情報、詳しく!」
はからずも壁ドンみたいな体勢になったが、別のコについて聞いている時点でどうなのか。
「杜鷺もコンゼンコーショー情報ね」
このまま実践してやろうかなどどは微塵も考えず。
「わかった、今際の際に教えてやる」
「約束よ?」
たぶんコイツ『今際の際』意味わかってねぇな。助かったが。
霊仙寺がフェンスの段差に腰掛けたので、俺もその隣に腰を下ろす。
「アカネに釘さされたのよ。杜鷺とはコンゼンコーショーも済んでいるから手を出さないでって」
婚前交渉もなにも、キスすらまだなんですが。彼氏彼女って関係にすらなっていないし。
「で、コンゼンコーショーの部分がわからないワケよ」
「よい子はまだ知らんでよろしい。またはググれ」
ひとつ疑問が。
「手をだすなって何のことだ?」
「あぁ、ワタシ杜鷺を狙ってたのよ」
スマホをいじりながら画面をみつめ、サラリと言う。鳩野紅音さんに続き、またも学園美少女トップクラスの一人、霊仙寺橙愛から耳を疑う内容が飛び出した。
「あ、ゴメンゴメン! そーゆー『狙ってた』じゃないから。自惚れないで?」
わかってるよ。期待してねーよ。耳疑って正解だったよ。
「……ナルホドね。アカネ、思い切ったわねぇ」
検索し終わったのか、霊仙寺は俺に向き直ると。
「スケベ」
小さい顔も長い睫毛も伏せ気味に、赤面しながらボソっとつぶやく。鳩野さんの意図が理解できないが、このまま乗っておくか。
「で、どんな意味の『狙ってた』なんだ?」
霊仙寺はすっと立ち上がってスカートを軽くはたき、気持ちを切り替えるような小さな溜息を一つ。
「初めはダイヤ国の戦力として」
刹那、凍てつく風の流れが形を成し、透き通った細身の剣が俺の喉元に当てられる。
「今は我が国の脅威として」
予想外の答えだった。マジか……見上げた先の霊仙寺は逆光も相まって感情の読み取れない、とても冷酷な瞳をしていた。状況を理解した俺は、彼女に気づかれないよう後ろポケットに入れているカードデッキにそっと触れ、プロミディアさんとリンクする。
「物騒だな。しまえよ校則違反だぞ」
というより銃刀法違反だ。
表向きは平静を装い、心では藁をも掴む勢いでピョン子を呼びながら、切っ先と首の間に右手を差し込む。
「あら、意外と余裕なのね。少しでも力を入れたら右手、切れちゃうわよ?」
ダイヤモンドの輝きを発する刀身は七十センチほどだろうか? 間近で見ると生きているかのようだ。
はらはらと解ける包帯の隙間から覗く紅い光。霊仙寺は剣で切れたと思っているようだが、そうじゃない。
「顔見知りとは戦いたくねーよ。お前ら頭おかしいんじゃねーの?」
ハートの国をヘイトの国にした連中の一人だと思うと、腹が立ってきた。
「いろいろあるの……よっ!」
霊仙寺は逆手に持っていた剣を瞬時に握り直し、素早い一撃を繰り出す。
俺には視認できないその斬撃を右手に任せ、霊仙寺の背後を取る。
「ナイスだピョン子」
「高くつくわよ」
ニンジンステーキ弁当三つくらいか。
「なっ!? 杜鷺、放しなさいよっ! ヘンタイ! なんなの? このウサギ!」
イメージではチョークスリーパーの体勢になるはずだったんだけどなぁ。
ふにょんとした霊仙寺産の天然緩衝材に阻まれて、チョークではなくアンダー的な部分に極まる。ヘンタイと言われても弁解の余地はないな……でも緩めるわけにはいかなくて、そのまま絡めた霊仙寺の左腕を背中側で固定し、無理な姿勢からなんとかカードを引き抜く。
「影ボット、動きはプロミディアさんに任す」
『はーい』
身動ぎする霊仙寺の前にもう一人の俺が出現。ちなみにカード発動時の詠唱は不要だが、プロミディアさんから受けた助言で『カードコールが必要と思わせておいた方が、何かあった時に裏をかけるんじゃない? カッコイイし』との事から、カード名をコールしている。詠唱不要は強みだが、カードに触れないと発動しないのがネックかな。
「杜鷺が二人!?」
手をいやらしくワキワキさせると、アイドル顔負けの美貌を引きつらせ、さらにもがく。
「三対一だけど、まだやるかい?」
『フウマちゃん、このコ揉みしだいちゃう? ねぇ、揉みしだいちゃう?』
「プロミディアさん、暴走しないで」
「杜鷺のクセに! さっきから誰と話してるのよ!」
頼りの剣をピョン子にガッチリ銜えられ、悔しそうな目を俺に向ける霊仙寺。
「降参しろよ。続けるなら全力で揉みしだく」
『やっぱり揉みしだくんじゃなぁーい』
二つの意味で揺さぶってみるか。もちろん物理的な方は実行しませんよ? でも、そこは思春期の男の子。自然と彼女を抑えつけている俺の右腕を意識してしまう。やや規格外のボリュームを誇る双丘に沈み、ピョン子が動くたび適度な弾力で形を歪め、その柔らかで甘美な感触が二の腕全体から伝わってくるのだから。後ろからでも霊仙寺の頬が真っ赤になっていくのが確認できる。
「変な能力を貰ったものね。でも、ワタシの重冷気剣を舐めない方がいいわよ」
うつむく霊仙寺の口元が微かに笑う。
「え?」
張り詰めた空気の中、霊仙寺は抵抗をやめ詠唱をはじめる。
「主は氷の井戸、一万の悪を射ん。星、綺羅り綺羅りと出ん。輝の剣!」
刀身が怪しく輝き、俺達を中心に発生した冷気を伴った霧が、キラキラとガラス片のような氷粒をはらみ巻き上げる。
「なんだ?」
「この女、何か召喚した!」
上空に昇った一陣の小竜巻は、意思を持って霊仙寺の剣に纏い付き、光る粒子が刀身に噛みつく邪魔なピョン子を切り裂く。
「正解よウサちゃん。放さないとこのコに食べられちゃうわよ?」
纏う霧が竜の頭部を形造り、凍てつく冷水の飛沫をあげ威嚇する。
「くっ、フウマ! 手加減できない、殺っていい?」
渦の中のピョン子は血だらけにも関わらず、俺に聞いてきた。一瞬意味が理解できなかったが、そういう事か。
「剣だけだ! ピョン子」
「グラッセも二皿追加よ!」
魔力を込めガチリと剣に咬みつくピョン子。一拍置いて剣が砕け、噛み合わせる音が響く。
「消滅? なんで」
縞ウサギに疎いようで助かった。が、剣が霧散したと見るやフリーになった霊仙寺の手は即座に蹂躙を続ける俺の腕を掴み、投げで対応してきた。どこにそんな力があんのってのは置いといて、女の子に腕投げをくらった俺は無様に影ボットと衝突し、防水加工の床面を転がる。
ダメージ相殺の役目と引換に影ボットは消えたが、同時に二枚のカードを引いておく。
「どんなチートか知らないけど、やるじゃない」
距離をとった霊仙寺が恨めしい眼差しを向け、めいっぱい胸をガードして警戒する。
「ははっ……ホント欲しいよ、チート」
俺も片膝をついた状態のまま霊仙寺を見据える。
「重冷気剣を消滅させる能力なんてチートもいいところだわ」
初見の相手ならそうもとってくれるのか。要は使いどころだな。
「お前もチート能力もらったクチか?」
後ろ手に隠した二枚のうち、オール治癒を発動させてピョン子を癒す。
「ちょっと違うわ。アカネと同じく王女なの、ダイヤ国の!」
ビシッと華麗に決めポーズ。変なスイッチが入ったのか、ドヤ顔で少し反った背筋は、あんなに隠していた胸を堂々と突き出す形となった。
「怒りの矢!」
……夕方のニュース確定かな。クラスメートを殺害した少年は調べに対し『決め手のドヤ顔にイラッとしたのでやりました』って。
「ちょっ! 杜鷺、待ちなさ……」
霊仙寺に降り注ぐ無数の矢。矢が発する魔力の光で霊仙寺が隠れると、俺の両脇を先程と同様の嫌な冷気が吹き抜ける。うねる風に気を取られた数秒間で、怒りの矢は全て再顕現した重冷気剣に両断されていた。
「せっかちね! 人の話を聞きなさい、だから彼女もできないのよ」
屋上の攻防戦で一番の理不尽なダメージだった。
「お、俺の彼女は留奈ちゃんだけだからいいんだよ!」
「おめでたいわね。二次元て、ププッ」
呆れて戦意が削がれたらしく、霊仙寺は重冷気剣を解除し力を抜く。
「さて、ここからが本題よ」
ダイヤ国のお姫様が直でコンタクトを取る内容とは? 殺されかけるし、かといって全力でもなさそうだったし、さっぱりわからねぇ。
「杜鷺、ワタシに協力しなさい。アカネは承諾済みよ」
「お前、俺を消しにきてたよな?」
「あれは杜鷺が役に立つか技量をはかっていたのよ。安心して? 合格だから」
ウソくせぇ、なーんかウソくせぇ。でも鳩野さんに話が通っているのなら、政治的は言い過ぎとしてもダイヤ国の協力を得る条件として俺が貸し出されたのか?
「協力しないと絶対に後悔するわよ? いえ、杜鷺なら土下座してでも協力するはずだわ」
「なんでだよ。しねーよ土下座なんて」
霊仙寺が半目でニヤリとする。なんだこの自信は。
「大野スズメ……知ってるわよね?」
「当たり前だ。留奈ちゃんの中の人だからな」
俺の大好きな声優さんだ。本人は一切表に出ないので顔や年齢は不明だが、とても可愛い声の持ち主である。
「あの人、ダイヤ国の代表なのよ。この意味、わかるでしょ?」
「ちょっ、フウマ! なに土下座してんのよ! 重い、つーぶーれーるーっ!」
気がつけば俺はピョン子が潰れるほど低姿勢で土下座をしていた。
「ピョン子、全力でスズメさんを助けに行くぞ!」
ダイヤ国の代表。つまり、新生魔王軍に拉致されたのは他でもない、俺の憧れ大野スズメさんってことだ。
「理解が早いわね。無事救出できたら……そぉねぇ、留奈ちゃんの声でエロいセリフを囁いてもらうとかどう?」
「ちょっ、フウマ! やめなさい! クツ、それ靴!」
気がつけば俺は霊仙寺の靴に忠誠の口づけをする寸前だった。舞い上がりすぎた俺の記憶はここでまでしかない。