はらへり勇者
ああ、腹が減った。ユウタは自分の腹を帷子越しにさすりながら、夕飯について考えていた。
「ああ、生姜焼きが食べたい。甘辛でてりってりのやつ、白米とキャベツの千切りと一緒にかっこみたい」
小さく呟けど、決して手に入らないと思うと、より欲しくなる。ユウタは日本食に非常に飢えていた。
他にも食べたいものはたくさんある。牛丼、トンカツ、カレー、唐揚げ、ぶり照り、ハンバーグ。豆腐の味噌汁なんて夢のまた夢だ。ユウタは、深くため息をついた。
「どうしたユウタ、暗い顔をして。やっと魔王を倒したというのに」
「そうですわユウタ様。今宵も酒場に繰り出して宴と参ろうではありませんか」
「アンタ見た目だけは聖女なんだからあんまり下世話なこと言うなよ」
「いいでしょう?もう魔王退治は終わったのですから、パーっと遊ぶに限ります」
パーティメンバーの二人が、やいのやいのと掛け合いをしている。決して悪い奴らではないが、ユウタの目下悩み中の事案を解決できるとは思えない。
ユウタは5年ほど前、この世界にやってきた。そう、異世界に召喚されてしまったのである。
魔王を倒せるのはあなたしかいないと言われ、そのための力があると言われ、もう帰れないのだと言われ。絶望のどん底に落とされてしまったが、もうそれも過去のこと。
かなりがめつく報酬とかかる諸費用とやっていけるだけの訓練を要求して、この二人とともに旅立ったのがちょうど1年前。そして魔王と対峙し、討ち果たせたのがつい先日のことである。
異世界に来た時はまだ子供だったが、ユウタもすでにいい歳だ。
今さらあちらに返されても、剣と魔法の世界で青春を過ごしたユウタが現代日本で生きていけるとは思えないが、一つ、非常に心残りがあった。
「はあ……」
切ない腹にふたたび思わずこぼれるため息。ホームシック、というより日本食シックになっていた。
醤油と、味噌と、みりんと。恋しくてたまらない。
パーティメンバーに言ったところで解決する問題ではない。何しろ彼らの味付けはせいぜい塩と香草。何もないときもある。確かにそれでもおいしくいただけるが、どうしてもあの味が忘れられない。
再現しようにも作り方もわからないし、技術的に作れる人間がいたとしても、そもそも食べたことのない人に、味の説明をするのはユウタには難しかった。
そんなとき、ユウタは鼻腔をくすぐるあの香りに気づいた。
「……?」
異世界に渡ってきて強化されたのは筋肉や、日本にいたときは使えなかった魔法のような力だけではなく、五感も尋常でない状態である。もれなく嗅覚も犬並みだ。
「これは……?」
「なんだ!?魔族の残党か!?」
「奴ら、いい加減にしていただきたいものですわね!」
二人はただならぬユウタの様子に法陣を人目につかない大きさで展開したり、四天王も倒した退魔の剣に手をかけたり、まさに臨戦態勢だ。
しかしユウタもそれどころではない。
この、香ばしい、けれど甘くて人を魅了してやまないこの香りは。ユウタはそちらへ足が自然に向かっていた。
そうして聞こえてきたのは威勢の良い売り声だ。
「ハイハイ寄ってらっしゃい見てらっしゃい!この街の新名物、トーキビのバターショーユ焼きだよ!坊ちゃん嬢ちゃん、母ちゃんにねだってらっしゃい!仕事帰りの兄さんも、これを土産にしたらかわいいあの子もイチコロだ!トーキビバターショーユ焼き!さあさあ今が買い時だよ!」
そう、この香りは、とうもろこしのバターしょうゆ焼きである。
とうもろこしの形状は多少記憶と差異があるが、この香りは間違いなくそれだ。口ヒゲをたっぷりと蓄えた商人が、露店で客を手際よくさばいている。
ユウタは思わずゆうは300mも先にある店の前へと躍り出た。
「おや坊主、そんなに急いで腹が減ったのか?ガッハッハ、兄さん姉さんの分も買ってくれたらもう一本オマケしてやる!どうだ?」
商人が何か言っているが理解する間も無く金を払った。
後ろではパーティメンバーの二人が呆然としている。
「え、ちょっと、ユウタ様?」
「……飯かよ!」
ツッコミはごもっともだが、夢にまで見たしょうゆ味だ。多少の暴走は大目に見て欲しい。
様子のおかしい三人に商人は少し引いているようだったが、ユウタにちゃんと商品を渡してくれた。まだ暖かい。顔に近づくとより香りが強く、ひとりでに喉が上下する。手にした瞬間から頬が緩みっぱなしである。
「ユウタが笑ってるぞ!?」
「魔王を倒したときすらニコリともされなかったユウタ様が!」
呆然と、驚愕と、百面相に忙しい二人は放っておいて、トーキビバターしょうゆ焼きに手をつける。
多少大きさや色が違っても、トーキビとはまさにとうもろこしである。かじりつくと、まずしょうゆ、その次にバター、とうもろこしの味が、ユウタの気持ちを一気に日本へと帰した。
日本で食べたスイートコーンほどの甘さはないが、しょうゆの香ばしさと塩辛さがそれを引き立たせ、バターの油分とまろやかさがしょうゆの塩辛さを和らげる。素晴らしいハーモニーである。
夢中で、つい購入した四本とも、ペロリと平らげてしまった。
「~~!ユウタ様!わたくしの分は!」
「ユウタ、お前はそういうやつだよな」
知るか。すっかり人心地ついて人間的思考ができるようになったユウタは、そう思いながら商人にしょうゆの出処を尋ねた。
聞くと、なんと商人の末娘が開発したものであると。
---その末娘に会ったユウタが、生まれて初めての恋に振り回され、魔王退治の凱旋がすっかり遅くなり、二人のパーティメンバーと国王が頭を悩ますのは、もう少し後のこと。