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大阪慕情  作者: ひろゆき
1/1

洗礼

2時間半の新幹線の移動で降り立った彼の地は猛烈な熱風と湿度で汗が一気に噴き出るほどだった。

これまで担当した北海道・東北・関東甲信越・山陰にはよく出張していたが、彼の地に上陸したのは公私に渡り初めてのことだった。

とにかく蒸し暑い。

東京も猛烈に暑いがこちらとはちょっと暑さの種類が違う。

うだるような。。。まとわりつくような粘りのある。。。

湿度が異常に高く感じられた。


N部長代理に言われた通り在来線連絡改札を抜けると突き当りの「立食いうどん屋」に向かった。


出張や旅行を目的に新幹線を利用する人ばかりの店内であっても、3泊4日分の着替えの入ったショルダーバッグとスーツ1着が入ったガーメントバックを持っていた私はお店にしてみれば邪魔者であることは間違いなかった。


これまで「立ち食い○○」なんてあまり入ったこともないし、正直言ってあんなものは空腹を満たすだけの一時凌ぎ的な食べ物であって今まで美味しいと思ったこともない。


確かに一人ならさっさと食べるには都合が良いが、立って食べるのは落ち着かないし、疲れたおじさんが背中を丸めて食べてるイメージが強く決して格好良いとは言い難い。


しかも今日は荷物が多くできれば荷物の置いて座れる店が良かったのだが。。。


せいぜい15分位で人が入れ替わり立ち代りする店内にあってようやく自分と荷物の居場所を確保し「きつねうどん」を注文した俺の前にうどんが運ばれてきたのは一息つく間などない位の素早さだった。


どちらかといえばうどんより蕎麦の方が好きな俺が「きつねうどん」を注文したのもN部長代理の指示によるところが大きく「彼の地に行ったらまずはこれを食すべし」との熱い言葉に逆らうことはできず、あまり期待もせずに注文したのだが、運ばれてきたその様を見た俺はとてつもない衝撃を受けた。


「薄い!!」

「薄すぎる!!」

「な、なんで茶色くないんだ?」


ほぼ半透明に近い澄んだそれを見た俺は、同時にお椀の中で存在を主張している主役の麺や油揚げやネギなどの脇役達との共演に美しさすら感じてしまった。


私の知っているうどんは、お椀の中の役者達がいくら自らの存在を主張してもそのどす黒い液体によりその色彩を完全に打ち消され、最悪長く放置されれば変色もやむを得ない状態に追い込まれる。


それが好きな人もいるだろうからそれを批判するつもりは毛頭ないのだが。。。


しかし、この「大阪野郎」はその清廉潔白な佇まいをもって役者達の個性を如何なく昇華させるべく見事な裏方に徹していた。


薫りもこれまで食してきた「ガン黒」とは明らかに違う。

もちろん「ガン黒」もなかなか良い香りはするが醤油の薫りが強い。

が、大阪野郎は違う。

何とも言えずホッとする芳醇な薫りだ。


味は。。。

一口啜っただけで固定概念を打ち破った。

一見すると薄味を連想させるそれは予想を遥かに超える旨味を醸し出し舌に「どうや~ウマいやろ~」とでも訴えかけているようにも感じられるほどだった。

「旨い」「もの凄く旨い」そして「優しい」のである。


麺も適度に腰があって旨い。


立ち食いうどん屋でこの旨さとは恐れ入った。


しかも「安い」「安すぎる」。

立食いうどんなのだから価格はそれなりだと思うが、「この旨さでこの価格なんて!!」と思わせる程

とにかくコストパフォーマンスがハンパではないのだ。


「これがテレビや雑誌で見知った『食い倒れの街』のソウルフードの1つなのか!!」と涙までは出ないもののそれに違わぬ感動を覚えた。


そして、この一杯は「うどん」に対するイメージが一転し蕎麦を凌駕した瞬間でもあったことは言うまでもなく、その後の私の転勤生活において無くてはならない重要な食材として不動の地位を確立するに至った。


更にはこの地での食道楽がとても楽しみとなり一層の期待感に溢れた。


もう一つこの店で衝撃を受けたもの。


それは「関西弁」だった。


店内はテレビで見る漫才師がしゃべる関西弁で賑わっていた。


そしてその声は大きく早口で耳障りだった。


とにかく「うるさい」のだ。


立食いうどん屋なのだから一人客が多いはずなのに。。。とにかく「うるさい」のだ。


厨房のおじさんや接客のおばちゃんが威勢よく大声でしゃべっているのは理解できる。

2人組みや家族連れもいたからそれも多分に影響しているのだろう。

でも、それだけではない。


よくよく観察していると1人客が他人に話しかけ相手もそれに応答している。

そうなのだ、他人同士が仲良く会話しているのだ。

そういうのがどうやらあちらこちらにいるようだ。

気さくというか馴れ馴れしいというか人懐っこいというか。。。


そういうのが彼方此方で大きな声を発しそれ程大きくもない店内を賑やかしているのだった。


うどんに舌鼓を打ちつつ「大音量の雑音」にしか感じられない店内に身を置き「どうか俺には話掛けて来ないでね」と願いながら、俺は「とうとう大阪に来たのだ」と実感し併せて「成る程これがNさんが狙っていたことなのだろう」と感じ入った。


これより俺の大阪での転勤生活が始まる。

「関西うどん」から始まった大阪。。。何とも感慨深い。


I部長より「大阪の地デジ商談が成功するよう取り纏めてこい!!」と「3年」の予定で送り出された。

I部長も10数年の関西支社勤務経験を持つが、今回のミッションはI部長のような勤務形態とは少々毛色が違う。

俺の場合は、本社事業部付きの「駐在員」として関西支社に赴任し現地営業担当者と特別プロジェクトチームを発足し本社の指示のもと商談成功に向け統括管理することが主な業務内容だった。


この駐在制度は日本の47都道府県に営業拠点を持つ当社にあって、唯一大阪のみで実施している制度であり諸先輩が代替わりしながら10数年継承させてきたものであった。

要するに東京に次ぐ重要拠点である大阪での商談成功は西日本地域への波及効果に繋がることを想定してのことだった。


しかしながら、今回は「地上波デジタル放送商戦」の直前ということもありこれまでとは重要度が桁違い高く責任重大なミッションだった。


日本のテレビジョンは郵政省(現総務省)の指導のもとアナログ放送からデジタル放送の転換を目指し、2003年12月の東京・名古屋・大阪のデジタル放送開始を皮切りに2006年までに全国放送を実現しアナログ放送との併用期間を経てデジタル放送受信環境の普及を促進し、2011年7月にはアナログ放送の終了を目指す大型プロジェクトを着々と進展させていた。


2000年12月に開局するBSデジタル放送は、日本型地上波デジタル放送方式(ISDBT)を確立する布石ともなるものであったが、それも東京の公共放送局と民間放送局でしか実現しない放送サービスであった為、そのサービス形態や運用、また放送システムの構築等に関し地方の民間放送局の技術者で精通しているものは少なかった。


また、衛星を使って映像サービスの提供を行うBS放送と違い、地上波放送は日本全国の津々浦々での電波受信が大前提である為、電波を送信する為のデジタル送信設備の技術開発が必須であった。

アナログ放送でもサービスエリアを維持すべく地形や環境条件に応じて鉄塔やアンテナ、送信設備やマイクロ設備等の整備を行ってきたが、デジタル放送においても同様のサービスエリアを維持すべく新たなデジタル技術を駆使し度重なるフィールド実証試験を積み重ね日本独自の設備仕様規格を完成させたが、それについても郵政省直下の規格策定機関によって作成されたこともあり、地方民放局の技術者はごく限られた者しか参加していなかったこともあり詳細について精通しているものは少なかった。


当社においても当然のことながら地方拠点の営業担当者で「地上波デジタル放送」について語れるものはほぼ皆無であった時代において、事業部の直系販売部門に属し東京でのBSデジタル放送商談経験を持つ俺の存在は自分でいうのも恥ずかしいがとても貴重であり、大阪商戦をとりまとめる人材としてはうってつけだったのだと思う。


しかし、これまでの歴々の駐在経験者は部長・課長級が殆どであったが31才の平社員の俺に「白羽の矢」が立ったのには当時の事業部幹部の色々な思惑と顧客の要望があってのことだったのいうことを後々知ることになる。


とにもかくにもN部長代理が仕掛けた経略にすっかりと乗せられた俺は、「立食いうどん屋」を出ると当社の関西支社のある京橋駅に向かうべく在来線に乗ろうとエスカレータでホームに降り立とうした。


肩掛けのショルダーバッグとガーメントバッグを持った身長182cmの大男はかなり目立っていたと思う。

というかかなり邪魔だったのだろう。


が、「関西うどん」に感動し初めての大阪にすっかり旅行者気分になっていた俺は、何やら背後でギャーギャー騒いでいるおばちゃんが俺に向かって文句を言っていることに気付くのに暫くかかっていたようで、ショルダーバッグの紐を引っ張られようやくそのことに気付いた。


びっくりして後ろを振り返ると50才台のおばちゃんが顔を真っ赤にして、「あんたな~どこ突っ立ってんねん」と大声で怒鳴ってきた。

「え!?」と何を言われているのか理解できずおばさんを見つめたままフリーズ。

俺が事態を呑み込めていないと思ったのかおばちゃんは、「ど~こ~つ~たってんねんて~いうてるやろうが~」とさらにキンキン声でステップを右手で指さしながら捲し立てて来た。

それでも唖然としフリーズしている俺。

それを見兼ねたのか。。。おばちゃんはブチブチいいながら俺を腕で押しつけながら右側の空きスペースを決して細くない体で無理やりこじ開け抜けて行ったが、急に振り返ると「デカい図体して邪魔やねん!!」「右側で立たなあかんよ。覚えとき!!」と捨て台詞を吐いた。


ものの1分もかからないエスカレータでの乗り降りで起きたこの事件のショックは凄まじくしばらく放心状態になってしまったが、

「そうだ」

「そうなのだ」

「すっかり忘れていた」

「大阪のエスカレータは左側通行なのだ」


間違いなく通行を妨げた私が悪かったことは否めない。

「なにわおばちゃん」の叱責はごもっともであり素直に反省してしなくてはならない。


しかし、「公衆の面前で見も知らない他人に罵倒され叱責される」といった東京では決して起こりえない経験をするとは。

しかもまだ聞き慣れない、どちらかといえば苦手な「関西弁」で捲し立てられるとは思ってもいなかったのですっかり面喰ってしまった。


こうして、新幹線を降りてまだ1時間も経っていない俺は明と暗の両方体験することになり、まさに「大阪初の洗礼」を頂戴した気持ちだった。









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