35決別
…カチッ!
ロビーのソファーで煙草に火を点ける。
皆はトランプをすると言って部屋へと戻った。
僕は『煙草を買いに行く』と嘘をついて、一人でロビーに来ていた。
何かをしたかった訳でもない。
ただ、一人になりたかった。
色々な事が頭を過ぎり、僕の頭はパンク寸前だった。
「マコー。」
突然、誰かに呼ばれて振り返る。
そこに居たのは由恵。
「遅いから様子見に来たの」
そう言いながら僕の隣に腰を下ろす。
正直、今は由恵と話をする気分じゃなかった僕は
「もう少ししたら行くつもりだったんだ。…皆待ってる?行こうか。」
と答えて腰を上げた。
しかし、由恵に腕を掴まれて、上げた腰は再びソファーへと沈んだ。
「…少し位大丈夫だよ。それより二人で話したかったから…」
由恵が僕から視線を外して答える。
僕も視線を膝へ落とし、由恵の話に耳を傾ける。
(…旅行の時に返事を聞かせてね…)
以前、由恵に言われた言葉が頭を過ぎる。
きっと、その話をされるのだろう…
「マコ…あのね、マコは好きな人とかいるの?」
由恵はそう切り出してきた。僕は、何と答えればいいのか解らずに由恵を見詰める。
「美咲は…多分、松山先生を引きずってるよ…
美咲があんなに誰かに恋してるのを見るのは松山先生だけだもん…」
由恵は僕の揺れ動く頭の中を読み取る様に答える。だけどその言葉は逆に、僕の気持ちを荒立たせた。
「…それ、どうゆう意味?」
…思ったより冷たい声で答えてしまう。
由恵は僕をちらりと見るとまた俯く。
「…何となく…マコ、松山先生の事気にしてるんじゃないかって…」
その的確な読みに、僕はまた苛立つ。
「気にしてる訳ないよ。」
由恵にあたるのは筋違いだと分かっていても、傷口に塩を塗られる様な由恵の問いにどうしても冷たく答えてしまう。
「…ごめん…ただ私、本当にマコが好きだから…」
俯きながら辛そうに答える由恵。
僕は、冷たい態度をとってしまった事に罪悪感を感じながらも、由恵と視線を合わせる事が出来ないでいた。
「…マコ…私じゃダメ?美咲よりもマコを温めてあげるよ?」
僕の掌に由恵の掌が重なる。そのまま由恵の指先が絡み付く。
…ドクン…
僕の胸が高鳴り始める。
あんなに冷たい言葉を投げ掛けたのに、それでも僕を想ってくれる由恵。
それが僕の胸の中に染み込んでいく。
…でも…
「…ごめん。」
僕はそう言い残して席を立つ。
僕の掌に絡み付いていた由恵の掌が行き場を無くして、由恵の膝の上で握り締められた。
それを横目で見て、僕は歩き始める。
…何度、由恵の温かさに流されそうになっただろう。
でもそれは、いつも由恵を傷付ける結果に終わっているのだ。
気持ちの奥の部分で求めているのは由恵ではないのだから…。
それはとても無謀な感情だと分かっている。
叶う事のない想いなのだとは判ってはいても、僕自身蹴りを付けなければ先には進めないのだ…。
「…マコっ!」
…ギュッ!!
不意に腕を掴まれた感触に振り返ろうとした。
しかし、そのまま後ろから抱きしめられる。
「…お願い…行かないで。…少しでいい…傷付いても構わないから…私を見て…」
背中から聞こえる由恵の涙混じりの声。
それが余りにも切なくて、僕はどうすればいいのか解らないまま立ち止まる。
「…マコ…お願い…」
尚も続けられる懇願混じりの由恵の声。
僕は由恵の腕を少し緩めて身体を反転させる。
少し、由恵を落ち着かせようと背中に手を回そうとした…
…しかし、僕はその先の人影に視線が釘付けになる。
…美咲…。
美咲は少し驚いた様子でこちらを見ていたが、僕と視線が合わさると少し微笑んだ。
そのまま口元に人差し指を持っていくと
「しーっ」
と口を動かした。そのまま由恵に気付かれないように踵を返しその場を立ち去った。
僕はそんな美咲の後ろ姿から目が離せなくなる。
美咲にとってはどうでもいい場面なのかも知れない。…でも僕にとっては見られたくない場面だった…
…本当は由恵を抱きしめそうになっていた自分の掌に視線を落とす。
そして、そのまま由恵の背中をぽんぽんと叩くと
「皆待ってるから部屋に戻ろう」
と由恵の顔を覗き込んだ。
しかし、由恵は顔を埋めたまま首を横に振ると僕をギュッと抱きしめた。
僕はそんな由恵の腕を身体から外し、由恵の頭を右手で包むと
「…由恵、本当にゴメン。」
とだけ言ってその場を離れた。
廊下を歩きながら、由恵の体温がまだ身体に残っている気がして、胸が高鳴るのを精一杯抑える。
本当はその足で、美咲の元へ行きたかったが…
それは流石に由恵に対して思いやりがなさすぎるし、美咲に会ったからと言って何を話せば良いのかも解らない。
そもそも美咲は気にも留めてないだろう…。
そう思うとやり切れない気持ちで一杯になった。