32大人の恋
露天風呂で散々騒いだ僕等は、そろそろ夕食の時間とゆう事もあり、宴会場へと足を向けていた。
散々お湯を掛け合い、最後に水を掛けられた僕たちの身体は予想以上に温まっていた。
そのせいか、廊下を浴衣で歩くと調度良い涼しさで、それが温泉旅館の気分を満喫させていた。
ふと、前を歩く二人に気が付く。
その片方の女性が、浴衣姿で洗いざらしの髪をピンで纏め、後ろ姿が妙に色気を出している。
「由恵!」
智博の言葉に、その後ろ姿が振り返る。
隣に居た元子は、前髪をピンで上げていつもより幼く見える。
「美咲は?」
僕は二人の方へ歩きながら聞いてみる。
「…多分、ロビーに居ると思うんだけど…マコ、呼んで来て貰ってもいい?」
由恵がそう答えながら、少し視線を逸らした。
……?
…僕、何かしたっけ…?
そんな由恵の様子を不思議そうに見ると、元子が由恵を覗き込みながら口を開く。
「わざわざ迎えに行かなくても直ぐ来るんじゃない?あの人、中学の先生なんでしょ?」
…あの人?
僕は不思議そうに元子の顔を見た。智博も竜揮も同じ様な表情で元子を見ている。
「なんかね、中学の時の先生がたまたま旅行に来てたみたいだよ?」
僕等の視線を感じ取って、元子が続ける。
元子は中学校が別だったので、その先生は知らないらしく由恵と宴会場へと足を向けたらしい。
「…でも…もう夕食始まる時間だし…あの先生に捕まると長いから…」
由恵が元子の方を見ながら怖ず怖ずと答える。
…よっぽど苦手な先生なのか…?
その様子を見ながら僕は
「とりあえず見て来るよ。」
と言って、ロビーの方へと足を向けた。
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僕はロビーの前までやって来ると、ソファーに腰を降ろして話をしている美咲と男性を見付けた。
僕は掛けようとした声を、一瞬飲み込んでから二人を見つめた…
「中学の先生」と言われて想像していた中年の男性とは違い、20代後輩と見られる男性は、爽やかな顔立ちと長い手足。そして醸し出された大人な雰囲気。
そして、その横で静かに笑う美咲は浴衣姿がいつも以上に大人に見えて…
…どう見ても二人は大人の恋人同士にしか見えなかった…
僕はそんな二人を前に、声を掛ける事も出来ずに立ち尽くすしか出来なくなっていた…
…そして何よりも、美咲がその男性を見上げる仕草、少し伏し目がちに笑う表情…全てが、僕の知らない美咲だった…
智博や竜揮に見せる、一線を引いた笑い方でも、僕に向ける悪戯娘の様な笑い方とも違う…
それは僕の目に、美咲は恋をしている少女の様に映っていた。
…僕の中で、先程の美咲の切な気な表情と、今の美咲の笑い顔が重なり始める…
…美咲の好きな男性が、あの隣に座る男性なのだと気付くのに時間は掛からなかった…
僕の中で消し去ろうとしていた喪失感が、途端に胸一杯に広がり始める。
僕の足は鉛の様に重く、その場に立ち尽くす他になかった。
すると、その男性が席を立ちながら美咲の頭に手を乗せた。
美咲も少しハニカミながら一緒に席を立つ。
そして視線が緩やかに僕の方へと向けられた。
「…マコちん!」
美咲が僕の姿を見付けて声を上げる。
そして男性と少し話をしてから僕の方へと足を向けた。
その後ろで男性が僕に軽く会釈をしたので、僕も男性に頭を下げた。
「迎えに来てくれたの?」
美咲が笑顔で僕を覗き込む。
「…今の人は?」
僕はやっと声を絞り出して美咲に尋ねる。
「中学の時の先生だよ。部活の顧問だったんだ。」
笑顔で楽しそうに答える美咲。
僕は
「…そっか」
と小さく返して、宴会場へと足を向けた。
「…マコちん?」
僕の態度に不思議そうに声を掛ける美咲。
僕は立ち止まり、精一杯の笑顔を作り美咲の頭に軽く手を乗せた。…先程の先生の真似をしてみたのだ…
「…ふ…ふははっ!何かマコちん変ー!」
…途端に笑い出す美咲…
僕は先程、美咲が先生に向けていた表情を思い出しながら、停めてた足をまた進めだした。