雨降り惑星
蒲公英さま主催『かたつむり企画』に参加しています。
登場人物が雨の中を傘を差さずに歩くシーンを入れることが条件です。
「この町は五日ごとに雨が降ります。降り出す時刻は午後三時きっかりです」
町役場での転居手続きも無事終わり、さて新居へ向かおうとした僕を呼び止めると、職員さんは不思議なことを言い出した。
「一昨日降ったから次は四日後ですな」
職員さんは卓上カレンダーを僕に向け、四日後を指差した。青丸がしてある。
「傘を忘れないように」
「いつも鞄に折り畳み傘を入れてます」
「おやおや。それは無精なことですな」
生まれてこの方、几帳面、生真面目と言われたことはあっても無精者とは言われたことはない。その証拠の、常時携帯している傘なのに。
「五日のうち四日不必要なものを持ち歩くなんてズボラすぎますよ」
「でも」
「あぁ、あなたが住んでいた町を担当していた雨女さんがルーズな人だったんですかね。大丈夫、この町に来る雨女さんは時間に正確な人だから」
なんの話をしているのかワケが分からない。僕が首を傾げていると彼は「どこからいらっしゃったんでしたかな」と言い、先ほど手続きしたばかりの転入届けに目を落とした。
「日本、聞いたことない地名だなぁ。どこの星ですか」
「地球です」
「もしや雨が得手勝手に降る星ですか。雨量どころか、雨の日がいつなのかすら前もって決まってない?」
「雨って、そんなもんだと思うんですが」
職員さんは、心底気の毒そうな顔を僕に向けた。
雨は、雨女さんの来訪とともに降り出すものらしい、多くの星では。僕は地球から外宇宙に出るのは初めてなので、まったく知らなかった。
雨女さんは何人もいて、それぞれ担当地区内を巡回している。だから、いつ雨が降るのか決まっているし、滞在時間で雨量も調整できるらしい。渇水知らずの、素晴らしい話だ。
僕の勤務先は駅前ビルの二十二階だ。
午後二時五十九分、僕は仕事の手を止めて窓から地上を見降ろす。そこには米粒大の人々が、ちょこまかと忙しく行き来していた。しばらく眺めていると、不意にポンっと花が咲いた。小さな人の持つ、小さな傘の花。
ひとつの花が咲けばそのすぐ傍で、別の花が開く。ポンポンポンと連続して咲いていく。新しい花の横でまた新たに開き、色とりどりの小さな花の開花は円状に広がっていく。
すべての花が咲くのを待っていたかのような、絶妙のタイミングで雨が降り始めた。しとしとと、傘の花を濡らし始める。
恵みの雨――僕の目に入るものは建物や道路や車、傘の花も含めて、すべて無機質なものばかりなのに、なんとなくその言葉を思い出す。
雨女さんの連れてくる雨が、町を優しく愛おしく包み込む。
その日は引っ越してから初めての、休日に雨の降る日だった。
僕は傘を持って駅前にいた。
午後二時五十九分、僕はポンっと傘を開く。
隣を通り過ぎようとした人が、はっとしたようにこちらを見て手持ちの傘を開いた。その隣の人も。そのまた隣の人も。そうして順々に傘の花が咲く、その中心に僕がいる。
雨の一粒めはどこに落ちたのだろうか。僕の傘にだったらいいのに。さすがにそれは確認できなくて、降り出したなと分かった途端、雨は辺りすべてを均等に濡らしだした。手のひらで耳を覆ったような微かな音をたてる、優しい小雨だった。
雨を見つめる僕の瞳に、通りの向こうからこちらへとやってくる女性が映った。その人は傘を差していなかった。
長い黒髪に水色のワンピース。それはすっかり濡れていて、小さな顔と細い体にぴったりと張り付いていた。
普通なら哀れに見える姿なのに。それが楽しそうに見えるのは、彼女の踊るような足取りのせいだ。
「こんにちは」
「こんにちは。いい雨ですね、雨女さん」
あぁ、彼女が雨女さんなんだ!
雨女さんはすれ違うすべての人と丁寧に挨拶を交わしている。
「こんにちは」
やがて僕の前まで来ると、他の人へと同じように声をかけてきた。
濡れた前髪が額に貼りついて、子供のようだ。その下の、僕と同じ黒い瞳は優しげに緩められている。
なんて可愛らしいんだろうか。
遠くで雷の音がした。
僕は、彼女に恋をした。
その日から、僕は彼女の元へと通い出した。仕事があるから、休みの日だけだけど。
雨を追いかけ追いかけ、彼女を探す。それはとても簡単なことだった。
彼女は定期的に町々を巡っているので、今日どの町にいるのかは広報されていたし、雨女の彼女はとても目立つ存在だったので居場所もすぐに分かった。
彼女を見つけ、挨拶をする。
なにか気のきいた会話をしたかったけれど、僕に出来たのは彼女の為に用意した傘を渡すことだけだった。
そうして。
やっとふたつ傘の下、並んで歩けるようになった頃、唐突に彼女が切り出した。
「別れましょう」
今日こそは彼女に「好きです」と言いたい。「結婚を前提にお付き合いしてください」と言いたい、どう切り出せばいいんだろうかと悩みながら歩いていた時のことだった。
告白する前から別れ話をされるほど嫌われていたなんて。
ショックのあまり足が止まってしまった。彼女も立ち止まり、僕と真っ直ぐ向かい合った。
「お別れ、しましょう」
雨女さんの黒目がちな大きな瞳から、ぽとりと雨粒が落ちた。違う、涙だ。
彼女の涙はやっぱり雨とよく似ていて、降り始めると後から後から零れ、頬を濡らしていった。
「ど、どうしてですか」
「可哀想すぎます」
可哀想? 相合傘もしたことがないまま振られようとしている僕は、確かに可哀想だ。ぜひ思いとどまって欲しい。
「僕のどこが不満なんでしょうか。性格ですか、顔ですか。性格なら直しますし、顔も直します。他のことでもなんかとします」
「あなたに不満なんてありません。優しい上に、きっちりしてらっしゃって。素敵な方だと思います」
「じゃあ、どうして」
「想像してみたんです、私」
そう言うと、彼女は大きく息を吸った。くるくると、薄紫色の傘が回る。紫陽花みたいで、彼女にとても似合ってる。
「あなたと私がお付き合いしたとしますよね」
「は、はい」
「デートはどこに行きたいですか」
「そ、そそ、そうですね。えーっと、僕は野球が好きなんで、プロ野球観戦とかどうでしょうか」
「雨ですよ」
雨女さんが低い声で言った。
「スポーツ観戦も遊園地も、海も山も、散歩もジョギングも、全部雨です」
「じゃあ、映画に行きましょう」
「毎回ですか」
「僕、映画大好きです」
「私も好きです。それなら毎回、映画でも大丈夫ですね」
「水族館もたまには行きましょう」
「はい。それで仮にお付き合いが進んだとして、結婚ってことになったとします」
「ぜぜぜ是非、その話をしましょう」
「私、ブーケトスしてみたいです」
ブーケ? なんだっけ、それ。
彼女が「花嫁が持つ花束です」と教えてくれた。そういえば写真で見る花嫁は、綺麗な花束を抱えている。
「ブーケトスっていうのは、その花束を招待客に投げることです。受け取った人が次の花嫁になれるって言われてます」
僕は彼女のウェディングドレス姿を想像して、にんまりとしてしまった。色白の彼女に白いドレスはよく似合うに違いない。
「いいじゃないですか。ブーケのひとつやふたつや、みっつやよっつ。がんがん投げてください」
「結婚式の日は雨です。ブーケトスなんて出来ません」
「やりましょう、雨でもやりましょう」
「でも着飾って来てくれたお友達に恨まれます」
「僕に投げてください! 雨が降ってても、しっかり受け取りますから」
雨女さんはしばし僕を見つめると、大きな溜息を吐いてから話を続けた。
「新婚旅行、雨です」
「あなたとなら、槍が降ってても行きます」
「結婚記念日も雨です」
「豪華ホテルでディナーです。雨は関係ありません」
「それから」
唐突に彼女は言い淀むと、視線を僕から逸らした。大きな瞳が明後日の方向を泳ぐ。
「あ、赤ちゃんが生まれる日も、雨です」
「生まれるんですね! 母子ともに健康なら、雨でも雪でも嵐でも!」
「お食い初めも、初節句も、もちろん一歳の誕生日も雨です」
お食い初めに初節句? それは日本の風習だ。この星にもあるんだろうか?
小首を傾げていると、その様子に気づいた雨女さんがぽうっと頬を染めて「あの、あなたの故郷の習慣を調べてみたんです」と言った。恥ずかしそうな小さな声だった。
「そ、それから。子供が三歳くらいになると、あなたが浮気をしますね」
「え、僕がですか」
「実家に帰った私を迎えに来てくれて、仲直りして帰るときも雨です」
「なんだか風情があっていいじゃないですか」
「浮気、するんですか」
「あ、いや、しません。だから、その日の心配はしなくていいです」
彼女はほっと安心したように目を細めた。
「幼稚園の入園式も雨です」
「卒園式も雨ですね」
「待って下さい、飛ばし過ぎです。遠足、参観、運動会もあります」
「分かってます、雨ですね」
彼女は「運動会が雨なんです」とそれだけを強調するように繰り返した。
「小学校の入学式も雨です。もう仕方ないです」
「はい」
「でも遠足は雨じゃないです」
「なんでですか」
「だって小学校になったら、遠足に保護者はついて行きませんから」
「あ、そうか」
彼女は嬉しそうにコクコクと頷いた。
「遠足も林間学校も修学旅行も、雨は降りません」
「それはよかった。これで、ひと安心ですね」
「大事な事を忘れていませんか」
「なんでしょうか」
雨女さんは急に顔を曇らせると、キッと僕を睨みつけ、叫ぶように言い放った。
「運動会です!」
運動会、運動会か!
確かに運動会は家族総出の年中行事だ。しかも必ず屋外で行われる。
「絶対に天気じゃないとできない行事です」
「雨天順延ですよね、普通」
「順延にも限界があります。せいぜい三回までですが、当然すべて雨です」
「じゃあ」
「もちろん中止です」
彼女は傘の柄を両手でギュッと握り締めた。白い指先が、ますます白くなった。
「私が見にいかなければいいんだと分かってはいるんです。でも我が子が活躍するかもしれないっていうのに、応援に行かないなんてことできません」
「それはそうです。僕も一緒に応援したいです」
「でも私が行けば、一年生の時も、二年生の時も、六年生までずっと、中止です」
僕は俯いている彼女から、こっそり目を逸らした。いたたまれないとは、このことだ。
「最後の年、六年生の運動会が中止になったときにクラスの子たちから言われるんです『あーぁ、お前のせいで一回も運動会できなかったな』って。その一言がきっかけでイジメがはじまって」
彼女の瞳から、また涙が溢れ出した。豪雨だ。
「そんなの可哀想すぎて耐えられません。だから、お付き合いする前に別れましょう」
僕は今、宇宙を旅している。
彼女との交際を諦めたわけじゃない。どころか計画性のある彼女のことがますます好きになったので、なんとか結婚したいと思っている。そのために、ある星を探しているのだ。
一年中、雨の星を。雨降り惑星を。
その星にはきっと、晴れ男がいる。雨女さんと真逆の彼は、担当地区を定期的に巡回して晴れさせることが仕事だ。
僕は彼に弟子入りする。そして、晴れ男になる。
雨女に晴れ男。
運動会は曇りくらいが、ちょうどいいと思うのだ。
お読みいただきありがとうございました。