へん人No.7 八条寺茹美 その8
『お、おーい荒木ー? おおーい……、……ダメだ、目を覚まさない』
『……彰君、完全に気絶しちゃってるね』
『まぁ、この方が都合いいですよね。さ、ちゃっちゃと着替えさせてあげましょう? こうしている間にも、刻々と時間は流れて行くんです!』
『でもよ。荒木が目を覚ました所で、すぐに着替え直したらどうするつもりなんだよ?』
『ふっふっふ……その点に置いては抜かりありません! 先ほど先輩に飲んでもらったジュースは、先輩の中に存在する違和感を一時的に消し去る効果があるのです!』
『へぇ……それは便利だね。……と言うことは、目覚めた彰君に説得なんかをしたりしなくてもいいってこと……?』
『そのとーりです!』
『……でもよ芭逸。荒木をチャイナ服に着替えさせるってことはその、つまり……脱がすって事だよな?』
『? そうですよ? じゃないと着れないじゃないですか』
『いやお前、恥ずかしくはないのかよ……』
『……そうだよ、女々花ちゃん。年頃の女の子が、男子の服を脱がせてあまつさえ新しい服を着させるなんて……そんなの絶対ダメだよ』
『むぅ……。じゃあどうするんですか?』
『……ここは、付き合いが一番長い私がするから二人は少し外に出てて……? 大丈夫、そんなに時間はかけないから』
『……何か強引な気がしますが……、解りました。それじゃあ、準備が終わるまで外で待ってますね。……暑いですけど。行きましょう、茹美先輩』
『あ、あぁ……』
『…………。……二人は外に行った。……さてと、こんなチャンス滅多にないから……今の内に色々としておかないとね……。うふふ……』
「…………」
脳内に点在していた記憶をつなぎ止め再構成すると、どうして俺がこんな格好を平気でしていたのか思い出してきた。
つまり俺は、女々ちゃんが用意した服を着ようとしなかったが故に、あの子の奸計に嵌められてしまったみたいだ。あのジュースにそんな秘密があったとは……。
……待てよ? そう言えば今着ているこのチャイナ服は、いったいどうやって身につけたんだ? あの場にいたのは、俺を除くと女子が三人だけだったはず。ってことはつまり……。
――いや、考えるのはやめておこう。きっと気絶したまま俺が着替えたんだろうな、うん。そうだ、そうに違いない。
だから俺が今履いているパンツが、明らかにトランクスとは違うなんてそんなハズはない。断じて、きっとだ……!
頭を振り、現実から目を背ける。目を背けたところで現状が打破されるわけでも、俺が女物のパンツを履いているという事実が変わるわけでもなかったのだけれど、ほんの少しだけ……本当に少しだけ気持ちが落ち着いた。――が、
「う、うおあああああああっ!?」
瞳を開けた瞬間、眼前には目を閉じ唇を突き出した男の顔が迫ってきていた。
「なななな何をしようとしてんだよおおおおっ!!」
「? いや、目を閉じるってことはつまり――そういう事だろ? にぃちゃん」
――言うなり、男は再び目を閉じて先ほどと同じように顔を近付けてくる!
「や、やめろ! 俺にそっちの趣味はないんだっての!!」
こんなところで純情を奪われるわけにはいかない! 何より、初めてのキスの相手が男だなんて俺は嫌だ! だって男だもの! 男だもの!!
俺は顔を近付けてくる男の顔を両手で掴み、これ以上迫ってこないように目一杯力を込めた。
「いいじゃんいいじゃん、キスくらいいいじゃん」
しかし、ガードしているにも関わらず男は更に力を込め、顔を近付けてくる……!
――まずい。このままだと確実に奪われる……! 俺のファーストキスが奪われてしまう……! ズキュゥゥゥゥンされてしまうッ!!
そんなの絶対にお断りだ! じゃあどうする? どうすればこの状況を切り抜けられる……!?
徐々に近づいてくる男の顔を必死に押さえながら、現状を打破する策を考える。
そうだ、キスよりも先の事をさせればコイツは満足するんじゃ――って、俺は馬鹿か! どうしてもっと傷つく方法しか思いつかないんだ! 他に何かないのか、俺!
「おいおい、いい加減キスさせてくれよ〜。まっ、そうやって焦らされるのも――俺は嫌いじゃないけどな〜♪」
くぅ……っ、このままじゃジリ貧だ……。このまま俺の唇はコイツに奪われてしまうってのか……!?
必死に抵抗を試みてはみるものの、絶望が少しずつ俺の心を浸食していく。そして、それに比例するように男の唇が俺にズズズと近づいてくる。
――もう、限界だ。
腹を括るしかない、せめて一瞬で済ませよう。
――そう思った刹那、俺の視界に“あるモノ”が写った。
「……どうしてここに!?」
驚かずにはいられなかったが、それを見た瞬間絶望で満たされかけていた心の中に、一筋の大きな希望が芽生えたのを感じた。
俺が諦めるわけにはいかない……! でも、今俺に出来る事って何かあるだろうか。
――いや、ある! こんな状況だけれど、時間を稼ぐ事くらいなら出来る!
俺はさっきとは正反対の意味で腹を括り、男に向かって出来うる限り色っぽく話しかけた。
「……な、なぁ」
相変わらず顔をぐいぐいと近付けてくる男に向かって、声をかけると男は「なんだ?」とでも言いたげに右目を開く。
「き、キスより……その……もっと“イイコト”してみないか……?」
「――!! ま、マジで!?」
俺が出した提案に興味を持っていかれたのか、男はくわっと目を見開くと力を加えるのを止め、その場で停止した。
――よし、食いついた!
内心でガッツポーズを作りながらも、それを気取られないよう、俺はわざとらしく猫撫で声で話しかけた。
「お、お兄さんは……俺とその、“そういう事”をしたいんだろ……? き、キスはダメだけど……それ以外ならいいっていうか、その――キャッ」
自分の口から出てくるセリフと、どう考えてもつけすぎだろってくらいの香水の臭いに吐き気を催しそうになりながら、俺は時間を稼ぐため男の胸に頭を預ける。
「じゃあ……まずはその脚から触らせてもらおうか」
男がいやらしい手つきでスリットに手を入れ、俺の脚を弄る。すね毛を剃られていたからか、スベスベとした感触が気にいったらしい男はしばらくの間撫でるように触ると、おもむろにガシッと太腿を掴んだ。
「おっ……以外と筋肉質なんだなにぃちゃん。どれ、こっちの方も少し触らせてもらおうか」
「そ、そこは……!」
「なんだぁ? 今更“ダメ”だなんて言わねぇよなぁにぃちゃん?」
「…………」
右手で脚を触りながら、男は空いた左手で服の上から腹筋の辺りをを重点的に触りだした。――しかも指でわざわざ割れている部分をなぞるように。
つつーっとなぞられる度、あまりの気持ち悪さに思わず体が震えてしまう。
……耐えろ、耐えるんだ俺、時間的にはそろそろなんだ。
従順にしてさえいれば、今のところこれ以上の事はされないはず――
「フーーッ」
「ひぇあああああっ!?」
「おっ、やっぱり思った通りだ。にぃちゃん……耳、弱いだろ?」
くすぐったくて、思わず黄色い声が出てしまった。というか、こんなに敏感になってしまうポイントがあるなんて今まで知らなかったし、知りたくもなかった。そして、自分がこんな声を出せるって事にも気付かされ……更にへこんだ。
「さぁて……それじゃあそろそろ、イっときますか」
「な、何を……?」
男は立ち上がり俺を見下ろすと……おもむろに上着を脱ぎ、半裸になった。
“何を”なんて言いこそしたけれど、俺は薄々感づいていた。
このままだと俺は…………ヤられるッ! 確実にッ!! ファーストキスより大事な“モノ”を失ってしまうッ!! ズキュゥゥゥゥンどころの騒ぎじゃあないっ!!
「怖がらなくてもいいんだぜ、にぃちゃん……。“初めて”なんだろ? 俺がリードしながら天国に連れていってやるよ……」
「い、いやぁ……天国だなんて結構ですよぅ。ほら、わざわざ天国まで連れていってもらうのも悪いですし。それに俺、まだ現世でやり残した事沢山あるんで! 未練タラタラなんで!」
未練どころか、ダラダラと大粒な脂汗が全身から噴き出てくる。
ヤバい、そろそろ本気で身の危険を感じる……!! まだか!? まだなのか!?
「おいおい〜、ここまで来ておあずけってのはないだろうにぃちゃんよぉ? 俺の“御神輿”はすでに“祭り囃子”状態なんだぜぇ?」
「い、嫌だ……! 来るなっ! 来るなぁっ!!」
「いいや、限界だッ! 突入するねっ!」
叫ぶと同時に男はその場で高く跳躍し、まるで世界を股にかける三代目大泥棒の如く、頭の上で両手を合わせながらこちらへと向かってくる。
――ちくしょう、間に合わなかったか……。
男の突撃に備え身構えると、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「――させるかぁぁぁぁッ!」
それと同時に凄まじい音が鳴り響き、木製のドアがそのまま部屋の中へと飛んでくる。そして、ドアは今まさに俺へとダイブしようとしていた男に直撃し、一緒に反対側の壁へと叩きつけられた。
薄暗かった室内に急激に光が射し込んできたせいで、俺は目を細めながらドアを蹴り飛ばした主を見やる。
そこには思った通り、フリフリのゴスロリ服に身を包んだ“赤”が片足を上げたまま立っていた。
「大丈夫か荒木!?」
ドアを蹴破った八条寺が、心配そうな顔で俺の元へと駆け寄ってくる。
――男にキスを迫られていたあの時、俺は男の背中越しに窓から、八条寺がこっちに向かって歩いて来るのが見えた。
もし、男がいなかったら大声で助けを呼べたのだけれど、生憎その時の俺は男からのキスを必死に防いでいた。
大声を出したと同時に、破れかぶれでキスでもされたら大変だと思った俺は……苦痛の時間稼ぎに走ったのだ。
「な、なんとかな。ほら、手を縛られてる以外は無事だぜ?」
目の前でしゃがみ込み、目線を同じ高さに合わせてくれた八条寺に向かって縛られた手を見せる。八条寺は尚も心配そうな顔をしながら、俺の全身を爪先から頭の先までチェックするとふぅ……と小さく溜息を吐いた。
「てゆーか、来るの遅いよ八条寺……。お前が来るのがあと少しでも遅れていたかと思うと、俺は……俺はっ……!」
男として大切なモノを色々と失っていただろう。自尊心とか初めてのチュウとか貞操とか…………。
「こうして間に合ったんだから、いいじゃねぇかよ荒木。なっ?」
言いながら、八条寺は俺の両手足を拘束していたロープを解き「痕にはなってないみたいだな」と呟いた。
「そういえば華菜乃達は? 一緒だったんじゃないのか?」
確か、俺がはぐれる前までは三人とも一緒に行動していたはずだ。俺を探す為に、手分けでもしてくれていたのだろうか?
「んー、まぁ……そうだな。だいたいそんなところだ」
「……?」
って言った割には、やけに歯切れが悪い気がする。何かあったのか?
……あ、そういえば、助けてもらったのにお礼を言ってなかった。ちゃんと言っておかなきゃダメだよな、うん。
俺は八条寺に向かって頭を下げ「助けてくれてありがとな」と改めてお礼を言った。
そんな俺の言葉に八条寺は短く「――あぁ」というと、腰の辺りからスマホを取り出した。
「とりあえず合流しようぜ。栖桐達にはオレから連絡しとくからよ」
「そうだな、頼むわ」
華菜乃達に電話をかけるのを後目に俺は、ドアと一緒に壁に叩きつけられてノビている男の体を弄る。
……念の為言わせてもらうけれど、これは断じてそういう趣味趣向が芽生えたわけじゃない。俺はただ、没収されたスマホを探しているだけだ。
「荒木……お前、そっちの気があったのか……!?」
「ないっつの! スマホ探してるだけだって!」
耳にスマホをあて、どん引きしたように眉間に皺を寄せる八条寺に向かって俺は叫ぶ。
そんな俺に向かって八条寺は「冗談だって」と軽妙に笑いながら再びスマホに意識を集中させた。
「俺のスマホはっと……おっ、あったあった」
数十秒もしない内に、俺は男のズボンのポケットから馴染みのスマホを救出する事に成功した。
やけに生暖かいのが気になったけれど――まぁ、今は考えまい。
俺はいつも操作しているように、電源ボタンを押しスリープモードを解除し、画面に目を落とす。
こんな事があったんだ。きっと、華菜乃や女々ちゃんからの着信が溜まっているに違いない。後ろで八条寺が連絡をしているだろうけれど、やっぱり俺からもちゃんと言っておかないとな。
――と、思ったのだけれど。
いざ確認をしてみると、スマホにはメールはおろか着信すらも来ていなかった。
……? 普通こういう事があったら、連絡がつくまでメールを送ったり電話をかけたりしないか? それなのに、一件も着ていない。
念の為センターへ問い合わせをしてみるも、やっぱり俺宛に送られているメールは一通もなかった。
「荒木、栖桐も芭逸もこの辺りにいるらしいからよ、さっさと合流しちゃおうぜ」
「……あ、あぁ解った、行こうか」
華菜乃達に連絡をし終えた八条寺が歩きだす。
俺は、心の中に芽生えた小さな違和感の正体が何なのか解らないまま、八条寺の後を追った。
続く




