へん人No.6&7 芭逸&八条寺 その1
――翌朝。
早朝だというのにがやがやと騒ぎ立てる町の人たちを横目で見ながら、俺は学校へと向かっていた。
今日は金曜日。明日はいよいよ、件の祭――もとい、千羽と約束した花火大会――が開催される。
電柱や商店の壁には先日、千羽から見せられたチラシを拡大コピーしたと思われるポスターがでかでかと貼られており、街灯には『小鉢中峰大花火大会』と書かれた幟やらが設置されている。
まさしく町中はお祭ムードそのもの。そこかしこから、明日の祭を心待ちにしている楽しげな声が聞こえてくる。
「でもなぁ……」
『千羽のような可愛い女の子と二人っきりで遊ぶ』という、世の中の健全な男子高校生達からは間違いなく『爆発しろ』と言われかねないイベントを目前に控えているというのに、俺の気持ちは何故か曇空のようにモヤモヤとしていた。
……理由、いや、そんなもの考えなくても分かる。昨日、華菜乃から聞かされたあの話が今も胸に引っかかっているんだ。
『 私は……今の関係が崩れちゃうのが……嫌なの。だから、彰君は今日の事なんか忘れちゃって、ちーちゃんとお祭を楽しんできてほしいな』
「あんな顔であんな事言われちゃあ、な……」
涙を零してこそいなかったけれど、今にも泣き出してしまいそうな、儚げな顔を浮かべた華菜乃の顔が脳裏を過ぎる。
このまま千羽と祭に行くと、華菜乃は今度こそ泣いてしまうかもしれない。
本当にこのまま千羽と二人で行くべきなのだろうか?
千羽と二人で……二人っきりで楽しんできてもいいのだろうか?
華菜乃も入れて三人で……いや、どうせなら女々ちゃんや芦屋、それに八条寺も入れて皆で楽しんだ方がいいんじゃないのか?
……でも、そもそも最初に誘ってくれたのは千羽だ。……いや、千羽だけだ。
しかも、千羽とは二回も約束を交わしているわけだし、もし俺が千羽との約束を破って『華菜乃達と行かないか?』と言ったら今度は千羽が悲しむかもしれない。
「あぁぁっ! もうどうすればいいんだよ!」
周囲の人目を気にせずに、頭をがしがしと掻いてみるも考えは少しも纏まってくれない。
「…………はぁ」
陰鬱な気分を引っ提げたまま通学路を歩く。
そして、曲がり角を曲がろうとしたところで、
「ふげぇあ!?」
視界に紅が見えたかと思った次の瞬間、全身に鈍い衝撃が走り俺の体は中空へと放り出され、そのまま地面へと叩きつけられた。
視界いっぱいに青空が広がる。
今の気分とは正反対の水色。
鈍色どころか、白雲すらないほどの快晴。
体中を襲う痛みなんかどうでもいいと思えるくらいの晴天。
「だ、大丈夫か荒木?」
起きあがる気力が湧かなかったので、仰向けのまま清々しい空を眺めていると、水色一色視界に先程俺を吹っ飛ばした紅が入ってきた。
「……八条寺。『大丈夫か?』より先に言う事があるんじゃないのか?」
「えーっと、あ、今の技の名前は鉄山靠って言って、背中から繰り出す体当たりで――」
「いやそっちじゃねぇよ!!」
「八極拳を修得するするうえで、必要不可欠な基本練習技の一つであり、相手に何かをされる前に割り込んでこっちが技をかけ――」
「だからそっちじゃねぇってば!!」
「えっ? それじゃあ何を言えばいいんだよ?」
「謝罪だよ!!」
差し伸べられた手を握り返し立ち上がると、八条寺は『あぁ、そっちか!』とでも言いたそうに、ぽんっと手を打ち頷いた。……普通は解ると思うんだが。
とりあえず祭の件は胸にしまっておく事にし、俺は呆れ顔で八条寺に話しかけた。
「つーかさ、なんでまたこんな事をしてるんだ?」
背中や尻に付いてしまった汚れを払いながら、苦笑いを浮かべている八条寺をジト目で見つめる。
「あ、あはは……いやぁ何というかその、作戦……だったんだけどよ……」
「作戦?」
作戦っていうと、昨日俺達がやった八条寺発案のあれの事だろうか? でも、あの作戦は二つあったにも関わらず結局どっちも『パンを咥えたまま思いっきりぶつかる』という内容だったはずだ。
俺はもう一度八条寺の全身に目をやり、上から下までじっくりと眺めてみた。が、やはりどこにもパンはない。
「パンは?」
「……?」
……どうやら通じていないらしい。やれやれ、だったらもう一度きっぱりと『いやだからパンはどこだよ』と、言ってやるしかない。
俺は「いやだからパンはどこだよ」と言おうとしたのだけれど口から出てきた声は「はぎゃうっ!」という自分の叫び声だった。
腹部に広がる謎の衝撃、両腕ごと腰をガッチリとホールドする細い手、そして仄かに香る甘い匂い。
「せんぱーーい! せんぱいせんぱいせんぱーい! おはようございまーす!」
「……お、おは……おはよう、女々……ちゃん」
これが私なりの挨拶だ、とでも言わんばかりに俺の腹部へと突っ込んできたのは女々ちゃんだった。
昨日の昼休憩の時みたく、来ると解っていたのなら身構える事も出来たのだけれど、如何せん今回の攻撃は完全に不意打ちだ。
迎撃体勢どころか防御行動や回避運動すらも不可能で、為す術もなく俺は女々ちゃんに捕獲されてしまった。
「えっへへへー♪」
無邪気な子供のように屈託のない笑顔を浮かべながら、女々ちゃんが抱きついた姿勢のまま鳩尾を頭で執拗にぐりぐりと押してくる。
「……あのさ、女々ちゃん。そろそろどいてくんない?」
「え、どうしてですか?」
女々ちゃんが頭だけを動かし、俺の顔を見上げてくる。
「いや、どうしてって……」
「嫌なんですか?」
……ズルい事を聞くなぁ。
一般的な男子高校生の中に、美少女の後輩から抱きつかれて『嫌だ』と断れる漢なんて果たしているのだろうか?
まぁ、恐らくそんな野郎は本当に極僅かだと思うし、そもそも、俺が女々ちゃんにどいてほしいと思っている理由はそこではないのだ。そう、ただ単純に――
「く、苦しい……んだって……!」
前からは鳩尾を頭でぐりぐりされ続け、後ろもしくは横に逃れようとしても、腰をガッチリと掴まれているので脱出できない。
どこにこんな力があるんだろうか? まったくもって謎だ。しかし、今はそんな事を考えている場合じゃない! 早く脱出しないと、胴体からポッキリとへし折られてしまうかもしれない!
両手は塞がれているから、女々ちゃんを引っ剥がしたりする事は難しい――というか無理だろう――し……。
「……そうだ、八条寺……!」
そういえばいるじゃないか、この状況で俺を助けてくれそうな奴が! さっきから何も言っていないのが少し気になるけど、ここは八条寺に助けてもらおう!
俺は八条寺に向けて苦笑い――と言ってもこの場合は苦しい笑いだが――を向けて、思わず口をあんぐりと開けてしまった。
「ふむふむ、なるほど……アプローチってのはそんな風にすればいいのか……!」
何故なら、一心不乱に八条寺がノートに何かを書き込んでいたからだ。
「そうですよ! アプローチっていうのは、このくらいしなきゃダメなんですからね!」
ぐりぐりを一時中断し、女々ちゃんが八条寺に向かって『ふふん!』と得意気な顔を見せる。
「……どゆこと?」
事態がまったく飲み込めない。アプローチ? もしかして、アプローチの仕方とやらを女々ちゃんが八条寺にレクチャーしているのだろうか? いやいや、まさかそんな――
「あ、あぁ、言っていませんでしたっけ? 発明品無しでのアプローチを無事に成功させるため、昨日の放課後から女々花が茹美先輩にアプローチの仕方や、恋の駆け引きなんかをレクチャーしているのですよ」
予想的中。まさかの大当たりだった。
「実は昨日あれから色々あってよ。オレは、恋愛マスターである女々師匠に弟子入りする事になったんだ」
「恋愛マスター!?」
「あぁ、恋愛マスターだ。な、師匠?」
八条寺がノートを鞄に入れながら女々ちゃんに話しかけた瞬間、俺の体を拘束していた両腕が緩むのを感じた。
「え、えぇそうですよ! 女々花は恋愛マスターですからね! 恋という名の迷宮に迷っている女子がいれば、助けるのはと、当然ですからね!」
更に拘束が緩んだので、俺は両手をゆっくりと解き「女々ちゃん、ちょっと」と手招きをしてから数歩距離を取った。
そして、万が一にも八条寺に聞こえる事のないように声のトーンを落とし、女々ちゃんに問いかけた。
「女々ちゃんって恋愛マスターなの?」
「……えーっとですね、そのー、これは何と言いますか……」
「こう言っちゃ失礼だけどさ、女々ちゃんって今まで付き合った人数どれくらいなの?」
「……いません。恋人いない歴なんてイコール年齢ですよ……」
「…………」
「ちょ、ちょっと! そんな顔しないでくださいよ!」
「おっと、ごめんごめん」
どうやらあまりにも突飛な展開だったせいで、自分でも気が付かない内に顰めっ面になってしまっていたらしい。
俺はぶんぶんと顔を振って、気持ちと表情を通常状態に切り替えた。
「……で」
「はい……」
振り返り八条寺が近づいていない事を確認するも、俺達が内緒話をしている事は気にしていないのか八条寺はただただ熱心にノートを読んでいるだけだった。うん、これならゆっくり話が聞けるだろうな。
「どうしてこんな状況になったんだよ?」
「……ざっくり説明するとですね」
「ふむ、ざっくり説明すると?」
「昨日あれから色々あったのです」
「だからその色々を聞かせろって言ってるんだよ!」
内緒話をするつもりだったのに叫んでしまった。でも叫ばずにはいられなかった。
すると、女々ちゃんは溜息を一つ吐いてから「えーっと……どこから説明すれば……」と悩ましげにこめかみに人差し指を当て、ぽつぽつと語りだした。
続く




