へん人No.2 栖桐華菜乃 その22
「……あ、そういえば彰君」
何かを思い出したかのように華菜乃が声をかけてきたので、俺は顔を上げ漆黒の瞳と視線を合わせた。
「今週の土曜日……そこの神社でお祭があるよね……?」
「……そう言えばそうだったっけか」
「……あれ? もしかして知らなかったの……?」
「あぁ、全然知らなかった」
ぶんぶんと頭を振り知らないアピールをしてみる。本当は、ほんの十分程前に千羽と約束をしたばかりなのでばっちりと覚えている。もちろん『二人だけで行こう』という約束と共にだ。
しかしここは、華菜乃に俺が千羽と二人で遊ぶことを悟らせない為にも、知らぬ存ぜぬを貫き通した方が賢明に違いない。
「そうなんだぁ……、そ、それじゃあ……私と一緒に行かない……?」
「あー」
……まぁそうなるよな。正直、何となく誘われる気はしていた。
とは言え、どうしてこのタイミングなんだ? 今まで誘うチャンスの一つや二つや三つや四つくらいあっただろうに……。いや、むしろ誘ってほしかったってのに。
何にせよ、やっぱりここは『誘いを断る』の一択しかありえないな。
「華菜乃、誘ってくれた事はスッゲェ嬉しいんだけど……ちょっとその日は用事があるんだよ。だから、華菜乃とは一緒に行けないんだ」
「えっ……? 用事って何があるの……?」
「……用事は用事だ。まぁ野暮用みたいなもんかな」
「ふぅん……そうなんだぁ……」
千羽の事を野暮用扱いしてしまったのは忍びないけれど、とりあえずこう言っておけば華菜乃はきっと納得してくれるだろう。それにそろそろオレンジジュースが零れそうだから、華菜乃にはペットボトルを退けてもらわないと。
俺は八分目まで入れられたグラスから目を離し、華菜乃へと視線を向ける。
「なぁ、華菜乃? オレンジジュースが溢れそうだからさ、その……そろそろペットボトルを戻してもらえると嬉しいんだけど」
「いいけど……、ねぇ、彰君。今から少し独り言を言ってもいいかな……?」
「独り言?」
「……独り言と言うより、これは私の妄想なんだけどね……?」
妄想……。妄想ねぇ……。
「それを聞いてくれたら……ちゃんと戻すから」
……いったい何だろう。
「あぁ、別に構わないけど」
俺は華菜乃の言葉の意味に気が付かずに、ついつい首を縦に振ってしまった。
「……あのね? 私……てっきりね? 彰君がちーちゃんと二人で、二人だけで、二人っきりであのお祭に行くのだと思ってたの……。ちーちゃんは先月、皆で海に遊びに行った時に芦屋君に襲われてたよね……? それで、彰君が助けてくれなかった事に怒って、その一件を帳消しにする為に今週末開催されるお祭に『二人だけで行きたい』とかお願いしたんじゃ? ……って思ったの」
「――ッ!」
思わず息が詰まりそうになった。グラスからは、溢れ出したオレンジジュースが俺の手にかかり続けている。
「……それでね? 今日、彰君が学校を出てから家に帰ってくるまでの時間が、平均より五分三十七秒も遅かったのは、下校途中にちーちゃんが彰君の後ろを追いかけてきて、お祭……ううん、デートの打ち合わせをしてたからじゃないのかな……って思ったの。ちーちゃんは、ボロボロになったお祭のチラシを彰君に見せながら、嬉しそうに集合時間や待ち合わせ場所を教えてね、『お祭が始まるまで二人で遊んでようよ』とか言いながらトランプでも取り出したんじゃないかな……? それできっと、ルールを説明しようとした瞬間に彰君にキツーイ突っ込みを入れられて、思わず悶えちゃったんじゃないかな。ふふ……ちーちゃんって賭事や勝負事になると目の色が変わっちゃうもんね。でも、そこがちーちゃんの可愛くもあり、格好良い所だもんね……」
華菜乃の顔がどんどん曇っていく。しかし俺は何も言えない。何を言うことも出来ない。
「あーあ、嫉妬しちゃうなぁ……。私ね……? 時々思うの。どうしてちーちゃんみたく可愛くなれないのかなぁ……って。何か、いっつもちーちゃんばかり贔屓されてる気がしちゃうの。本当は……本当は彰君にもっと私の事を見てほしいのに……。最近では女々花ちゃんとイチャイチャしたり、同じクラスの八条寺さんとも親しげに話してるよね……? あーあ……羨ましいなぁ。羨ましいよ……。はぁ……、こんな自分が嫌になっちゃう……………………」
「……………………」
言い終えて、寂しそうに、そしてどこか物悲しそうに華菜乃が微笑む。
注ぎ続けていたオレンジジュースはグラスの許容量を超え、俺の指を、机を、脚を、そして床をも浸食していく。
……本来ならば、ここでジュースが零れた事に対するリアクションの一つでも取った方がいいのだろうけれど……。気が付けば俺は、ただただ華菜乃の顔だけを見つめていた。
――それは、華菜乃の妄想が的を得過ぎていたからでもあり、
――それは、華菜乃が抱えている欲求不満の大きさを知ってしまったからでもあり、
――何より、俺は自分の事を『好きだ』と言ってくれた女の子に対して、気が付かない内におざなりに接していた事を、本人の口から聞かされたという事に対するショックがかなり大きかったからだ。
以前、華菜乃から『今までの関係でいさせて下さい』と言われこそしたものの『好きだ』と言ったからには、華菜乃は俺との関係を今以上にしたいと思っているだろう。
それに、俺の中での存在を今以上の物にしたいともきっと想っているだろう。
思い返してみれば、俺はこれまで華菜乃からそういったアプローチの類を受けていたじゃないか。
正直、俺が華菜乃の事をどう想っているのかってのは自分自身の事ながら全く解らない。
だけども、だけれども、華菜乃はこんな俺の事を好きでいてくれている。
俺は……華菜乃の気持ちに応えてやらなければいけない。
「……なぁ、華菜乃。俺は――」
華菜乃に対する俺の気持ちを応えようとした刹那、華菜乃は目を瞑ったまま首を横に振った。
「……ううん、やっぱり言わないで。というか……さっきのはやっぱり忘れて……?」
「……何でだ?」
「……あんな事言っちゃったけど、やっぱり私は……こうして彰君のそばに居続けたいの」
「……俺が言えた義理じゃないのは重々解っているつもりだけどさ、……それは逃げ……じゃないのか?」
「うん……逃げだって事はちゃんと理解してる……。でもね……?」
空になったペットボトルを机に置き、儚げに笑いながら華菜乃はこう言った。
「私は……今の関係が崩れちゃうのが……嫌なの。だから、彰君は今日の事なんか忘れちゃって、ちーちゃんとお祭を楽しんできてほしいな」
力無く笑い顔を作る華菜乃に対して、俺は情けない事この上なかったが……振り絞ったような声で「わかった」としか答えれなかった。
続く




