へん人No.2 栖桐華菜乃 その18
そして、時は来た。
夏休み初日。一ヶ月強もある長い長い休みの一日目。
掃除と換気の為に開けていた窓からは、鳴り止まない蝉の鳴き声と上昇を続けている太陽から発せられる光と熱が惜しみなく入ってくる。
現在の時刻は午前八時四十分。アイツらが来るまであと二十分足らず。
じんわりと額に浮かんだ汗をタオルで拭い、窓を閉めてから机に置いてあったリモコンを取り『冷房 27℃ 風向自動 風量3』と表示されているのを確認してからボタンを押す。
「うん、これくらいにしとけば華菜乃達が来る頃にはいい感じに涼しくなってるだろうな。後は……」
冷蔵庫を開け中を確認する。
牛肉、豚肉、鶏肉に野菜も卵もちゃんとあるな。ドリンクも各種取り揃えてあるし、麺もめんつゆもある。
今日は勉強会……の予定なのだけれど、夏休みの宿題が二時間や三時間そこらで終わるとは到底思えない。恐らく夜までかかる事は必至だ。
「今日は何を作ってもらおっかなー。やっぱりここは、夏らしく素麺や豚の生姜焼きを作ってもらうのがベストかな?」
エアコンから心地良い風が流れ出し、体から少しずつ汗が引いていく。どうせだし、『20℃』くらいまで下げて一気に部屋を涼しくしようか――などと考えていると『ピンポーン』とチャイムが鳴った。
「ん? 時間までまだ少しだけ時間があるけど、二人とももう来たのか?」
「うーい、今開けるー」と言いながら鍵がかかっている玄関へと向かうと、ガチャ。という小さな音と共に目の前で鍵が開いた。
「…………そういえば合鍵持ってたんだっけか」
ドアがゆっくりと開かれ、つんざくような蝉の騒音と焼けるような太陽の熱気に体が包まれる。
普通なら、ここで顔の一つでもしかめ、来客者に対して「早く閉めろ」と言うだろう。しかし、俺は、目の前に広がる光景にただただ目を奪われていた。
「おはよう……彰君。今日も暑いね……」
そう言って栖桐華菜乃が優しく微笑む。
俺のクラスメイトであり、今回行われる勉強会の発案者。
少し大きめの麦藁帽子を被り、カジュアルな純白のワンピースに身を包んでいる。腰の辺りまで伸びた持ち前の黒髪と相俟って、その姿は形容しがたいほどに清楚で可憐だ。
「お、おう……。た、確かに暑いな」
ヤバい、これはヤバい。破壊力が桁違いだ。普段は制服を着てるところしか見てなかったから、ギャップがハンパない。と言うか、華菜乃の私服姿を見るのは初めて……だよな。
「ず、随分と早いんだな。集合時間までまだ二十分近くあるぞ?」
「……うん、知ってるよ。集合時間は九時だもんね……。でも、その……せっかくだし二人で少しでもお話したいなぁ……って思って」
「そ……それは別に構わないけど……。でも、話せる時間って言っても限られるぞ……? 集合時間まであと二十分切ってるし、もしかしたら華菜乃みたいに千羽が時間前に来るって事も考えられるし」
そう考えると、二人っきりで会話出来るのはだいたい十分くらいだろうか。
「……あ、ううん。それは大丈夫だよ……?」
「えっ? どうしてだ?」
「チーチャンには……九時三十分に集合って言ってあるから♪」
悪女だ。悪女がいる。
「でもね……これはお返しだったりするんだよ……?」
「お返し? それって復讐――」
「ち、違うよ……! この前、チーチャンが芦屋君を騙したでしょ……? だからね? 今回はその意趣返しも兼ねてるんだよ……?」
「そ、そうか……」
この前と言うのは『プラネタリウム』で行われた、ギャンブル大会後の帰り道での事だろうな。確か、千羽が芦屋に『まだ大会はやってるよ。その代わり男女ペアじゃないとダメみたいだ』って言ったせいで、華菜乃を連れて行ったんだっけ。…………。一ヶ月も前の事をまだ覚えてたのか。
「なぁ、華菜乃って結構、根に持つタイプだったりするのか?」
「えっ……そ、そうかな……? 自分ではそんなつもり……全然無かったけど……」
「言い方を変えようか。嫌な事があったらどれくらいで忘れる事が出来る?」
「えっと……三百日くらい?」
「ほぼ一年じゃねーか!!」
「土・日・祝は違うよ……?」
「それ結局一年丸々だよな!? 逆に質が悪ぃわ!!」
年中恨まれるのか……。まぁ流石に冗談だとは思うけど、ありえない事だとは思うけど、これからも華菜乃の恨みを買うような事はしないようにしよう。
あー、それにしても暑い。後ろから冷気が漂っては来てるけど正面から浴びる熱気のほうが断然強い。
「立ち話もなんだし、上がれよ。このままここで話してても汗かくだけだしさ」
「そうだね……それじゃあ、お邪魔します……」
華菜乃を中に入れ、ドアを閉める。鍵は――ま、開けたままでいいか。
振り返ると、華菜乃が腰を落としながらサンダルを脱いでいるのが目に入ってきた。白魚のような足首が非常に艶めかしい。すべすべなんだろうなぁ……。触ってみたい……って、待て待て、落ち着け俺。
頭をブンブンと振り、邪念を祓ってから先にリビングへと歩いていった華菜乃の後を追う。
「あれ……? 掃除したの……?」
「当たり前だろ? 女の子が来るってんだから掃除の一つや二つくらいするに決まってるじゃないか」
「でも……いつもは散らかってる……」
「そりゃあ、いつもは華菜乃達が勝手に入ってくるからな」
勝手に親が部屋を掃除した事により、そこはかとない違和感に苛まれた子供の様に、華菜乃は部屋の中をキョロキョロと見回していたが、やがてその違和感にも少しだけ慣れたのか、机のそばで正座をした。
「ははっ、そんなに落ち着かないのか?」
「うん……やっぱりちょっと落ち着かない……かな。でも今日一日入れば……慣れると思う」
困ったようにはにかむ華菜乃。何というか、苦笑いとはいえ、華菜乃の笑顔には不思議な魅力を感じる。
「…………」
「ど、どうしたの……? 私の顔に何か付いてる……?」
「い――いや! 何でもない何でもない」
……どうやらいつの間にか見蕩れていたみたいだ。
とりあえず気持ちを切り替える為にも、ここはお茶でも飲んで落ち着こう。
軽く――照れ隠しも兼ねているのは内緒だが――笑いながら冷蔵庫の二段目を引っ張り、中に入っている物を見る。先程も言った通り、恐らく今日は長丁場。食材はもちろんドリンクもちゃんと人数分用意している。麦茶に、紅茶に、ルイボスティー。それぞれが二リットルのペットボトルにたっぷりと入っている。
「華菜乃。麦茶と、紅茶と、ルイボスティーがあるけどさ、どれを飲むよ?」
「えっと、それじゃあ……」
顎に指を当て、華菜乃は一瞬だけ悩んだ素振りを見せたが、何かを思いついたように両手を叩くと清らかな声で言った。
「……ロイヤルミルクティーがいいな」
「人の話聞いてたか?」
そんなもんないっつーの。前々から薄々感じてはいたけど、華菜乃って案外天然なのかも。
「じゃあ……紅茶にする」
「最初からそう言いなさい。ったく……」
紅茶入りのペットボトルを取り出し、食器棚からコップを取りだそうとした瞬間――『ピンポーン、ピポピポピンポーン』と本日二回目のチャイムが鳴った。
『アックーン、来たよー。開けてもいいかーい?』
「ち、チーチャン!? そんな……もう来るなんて……」
慌てる華菜乃をよそに俺は玄関を開け、本日のお客様二号である朽葉千羽に「おっす。お早い到着だな?」と挨拶をした。
「おはようアックン。スドー……は、もう来てるよね?」
英単語がプリントされた大きめの黒いシャツに、結構短めのボトム。こちらも私服姿をお目にかかるのは初めてだけれど、言うならば、千羽らしいボーイッシュな服装だ。
「あぁ。華菜乃もさっき来たとこ――」
……そこで、俺はつい言葉を失ってしまった。
何故かって……? それは、いつも見る学校指定の制服より短いボトムからすらりと伸びた、千羽の生足に見蕩れてしまったからだ。
水どころか、紫外線まで弾いてしまいそうなくらい綺麗で美麗な生足。
もし、俺が五秒間だけ時を止めることが出来るスタンド使いだったとしたら、その能力をフルに使って五秒間の間ずっと触り続けたい。と、つい非現実的な事を思ってしまうくらい官能的な……いや、オブラートには包まず、ハッキリと言おう。エロい生足だったからだ。
「お触りは厳禁だよ、アックン?」
「さ、触らねぇよ!」
「そんなに触りたそうな顔をしてるのにかい?」
「えッ!? 俺また顔に出てた!?」
「やっぱり思ってたんだね。アックンのえっち♪」
そう言って、千羽は楽しそうに笑いながら脇をすり抜け、脱いだ靴を綺麗に並べてから部屋の奥へと入っていった。
……どうやらまた鎌を掛けられたみたいだ。学習しないなぁ、俺は。
あまりの不甲斐なさに少しだけ自己嫌悪をしながら、俺は千羽の後を追った。
続く




