へん人No.6 芭逸女々花 その3
「よし、まずはここからだな」
少しずつ黒くなっていく空を一瞥し、俺たちはとりあえず野球部の部室から調べる事にした。理由などは特に無い。ただ、何となくそう思ったからだ。
「……よし」
ドアノブを捻ってちゃんと施錠されている事を確認し、マスターキーを差し込むと『マスター』と言うだけあって、難なくドアを開けることに成功した。
「何か……こういうのってイケナイ事してるみたいでドキドキします♪」
「実際にイケナイ事してるんだけどな。あ、それと女々ちゃん、マスクとか持ってる?」
「ほえ? マスク……ですか? 今は持ってませんけど?」
「そっか……じゃあ今からドアを開けるけど……鼻は摘まんでた方がいいかもね」
頭にはてなマークを浮かべている女々ちゃんをよそに、俺はドアノブを回して部屋の中に入った。
――瞬間、男子高校生特有の香しい汗の臭いと制汗剤、そして、汗の臭いを消す為に使われたであろう香水の匂いが合わされた、独特且つ強力で、強烈で、個性的で、野生的な雄の臭いが俺たちの鼻を襲った。
「う、こ、これはキツいでひゅね……。鼻を摘まんでも臭ってきまひゅ……」
「まぁ、青春の匂いってヤツだな。こういうのって中々嗅げないから今の内に思う存分吸っておくのも手だぞ?」
高校を卒業したら嗅ぐ機会なんて今以上に減ると思うしな。
「いいでひゅよぅ……う、やっぱり女々花にはこの部屋は無理でひゅ! ひょ、外で待ってますので!」
そう言うと女々ちゃんは廊下の窓を開け、深呼吸をしだした。
「はは……女の子だししょうがないか」
俺は部屋のドアを静かに閉めると、マスターキーをポケットに入れ、スマホのライトで辺りを照らしてみた。
「めぼしいモノは……見あたらないな」
あるのは部員の数だけ用意されたロッカーと、おそらくミーティングに使う為のホワイトボード、それと三人は座れそうな長椅子が数脚だった。バットやボールが無いって事はここは更衣室なのだろう。
「ひぇんぱい……おひゃがひの物は見つかりまひたか……?」
すると、女々ちゃんがドアを少しだけ開け鼻を摘まみながら顔を覗かせてきた。
「見た感じは無いっぽいけど、どうだろ? ロッカーの中はまだ開けてないから何とも言えないな」
「ロッカー……開けちゃうんでひゅか?」
女々ちゃんの顔が曇る。明らかに嫌そうな顔をしているが、俺はそんな事はお構いなしに目の前のロッカーを開けた。そう、俺はRPGのダンジョンでは隅から隅まで片っ端から家捜しするタイプの人間なのだ。
「ふんっ!」
開けては――
「異常なし」
照らし――
「うおりゃっ!」
開けては――
「ダメか」
照らし――
「そぉい!」
開けては――
「…………ん?」
勢いに任せてロッカーを開けていくと、六個目のロッカーを開いた時に何かがあるのが分かった。
見た感じはコンビニや薬局で売っているような茶色の小瓶。――だけど、不思議な事に小瓶にはラベルらしき物がどこにも貼られていなかった。
「何だこりゃ?」
掴んでからスマホのライトで照らしてみる。
瓶の側面に黒マジック――多分、油性――で『Re:ボビタンDa』と書いてあった。しかも――
「これ……まだ中身あるじゃん」
持った時から薄々感じてはいたが、ライトで照らしてみると瓶はまだ消費されきっていない事が分かった。
「ひぇ、ひぇんぱぁい! 見回りのひぇんひぇいがこっちに歩いてきてまひゅ!」
「え、マジで!? ど、どこかに隠れる場所は――」
「め、女々花はこんな所嫌でひゅ! ここは一旦メメカ部まで戻りまひょう!」
音でバレないよう静かにドアと鍵を閉め、俺たちは忍び足で四階のメメカ部まで戻った。
「はぁ〜危なかったですね先輩。もう少しで見つかっちゃう所でしたよ」
「ほ……本当にな……」
一階から四階までの道のりを急いで駆け上がったのと、見回りの先生に見つかったら怒られるかも、という思いが合わさり、俺の心臓は未だかつて無いくらい早鐘を打っていた。
椅子に腰掛け、手に握っていた瓶を机の上に置いてみる。
「あれ? 先輩、それ、持ってきちゃったんですか?」
「そりゃあ持ってきちゃうだろ。だってあんなタイミングで先生が来るんだぜ? 元に戻す余裕なんてねーって」
それにしても喉が乾いたな……。どれ、体力が切れる前に回復するとしますか。
「じーー……」
「……女々ちゃん、そんだけ凝視されると流石に飲み辛い」
「あぁ、女々花の事は気になさらずに、どーぞどーぞ♪ グイっと一気にいっちゃって下さい♪」
「じゃ、じゃあ……」
蓋を握り、開ける為に力を入れようと――した瞬間。
「あれ……?」
力を込めなくても、小瓶の蓋はすんなりと開いた。
こんなに簡単に開くもんだっけ? だいたいこういう瓶の蓋ってもっと固かったような……?
…………嫌な予感がする。俺の第六感が飲むなと告げている……気がする。
すると、そんな俺を見かねたのか、リラックスさせる為か、はたまた、業を煮やしたのかはわからないが、女々ちゃんがスマホを取り出し音楽をかけてくれた。ほんの少し前にも聞いたあの不思議なメロディーが、再び鼓膜を通って脳へと響きわたる。
「先輩、もし何かあっても、女々花がちゃあんと介抱してあげますので、安心して飲んじゃって下さいよ♪」
「……ん、あぁわかった。飲むよ、飲めばいいんだろ?」
瓶を傾け、一気に飲み干す。
うん、どうやら味は市販されている栄養剤と大差無いようだ。のど越しもそこまで変わったものじゃないみたい。ただ……ただ、不思議なのは今こうしている間にも段々と気分が高揚しだしている事だ。
あれ? おかしいな? 何だか無性に体を動かしたくなってきた! やっべぇ! 超運動してぇ!
走りたい打ちたい投げたい泳ぎたい殴りたい蹴りたいぶつかりたい突っ張りたい…………とにかく体を動かしたい!!
「そ、外を走ってきていいかっ!? 何だか、無性に体を動かしたい気分なんだっ!」
「落ち着いてくださいよ先輩。今外を走ったりなんかしたら見回りの先生に見つかりますよ?」
「でもよ! とにかく俺は体を動かしたいんだ!」
「ダーメーでーす。そんなに運動したいのなら女々花が手伝ってあげますから。ね? せ・ん・ぱ・い♪ とりあえず女々花がリードしてあげますから、先輩はそこに寝ころんで下さい♪」
「あ、あぁ! これでいいかっ!?」
「ふふっ、はい♪ 上出来ですよ先輩♪ それじゃあここをこうして…………」
心臓がバクバクと高鳴っている! 今にも爆発しそうだ!!
「それじゃあ先輩……キて……ください……」
「う、うおおおおおおおおおおおっ!!」
「ちょ、ちょっと先輩!?」
「うおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「そ、そんなに、激し、くしないでぇ……!」
「ふんっ! ふんっ! ふぅぅぅんっ!!」
「やだ……抑えきれな……い……!」
「ふんっ、ふんっ、ふんっ、ふぅぅぅぅぅぅぅぅん!!」
「…………せ、先輩。どうでしたか? 女々花の……その……腕は……?」
「う、うん……とってもやりやすかった。でも……あんなこと一体どこで勉強したんだ?」
「えー知りたいんですかぁ、先輩?」
「い、いや、その…………うん」
「ふふっ♪ 正直な人は女々花、大好きですよ♪」
そう言ってにこやかに微笑むと、運動を終えて全身から汗を流している俺に向かって、女々ちゃんは一冊の雑誌を手渡してきた。
「『月刊 男の腹筋トレーニング 春の特大号 特製DVD付き』です♪」
「あぁ、どうりでやけに腹筋のアシストが上手かったわけだ」
三分間でおおよそ三百回の腹筋を済ませた俺は、肩で息をしながら思わず納得していた。
続く




