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再び俺の受難

 志望大への合格通知は、なんという事のない紙切れ一枚だった。そこに書かれた文字と学長のサインを求めて、俺は今まで勉学にいそしんでいたというわけである。

 受験勉強から開放された最初の感想はそんなものだったが、暇になった体を休ませれば再び気力がわいてくる。きちんと知識を吸収して、憧れのメディア業界へ進出するためのワンステップなのだ。詰め込まれた英単語や経済用語がやっと使い道を与えられ、単純作業が報われる日が来るのである。

 学校への報告を終えて、俺は今日も坂を上って帰路につく。

 ……卒業式では泣かなかった。けれど、いくらか泣いてもおかしくないような気分だった。クラスはてんでまとまりがなかったし、担任はハゲだったし、クラスメートも馬鹿ばかりだったけれど、それでもそれなりに楽しかったのだ。坂の上から毎日見つめた街も、気付けば冬を越え、少しずつ緑色に近くなっている。

 なんてセンチメンタルな。それも、ありきたりの。

 俺は公園に入ると、フェンスに張り付いて昼下がりの街を眺めた。薄水色の空にはまだ冷たそうな濃い雲が浮かび、海は空よりも濃い色で町の向こう側に落ちている。


 そうだ。

 来月、俺はここにいない。



「……にゃ」

 突然の猫の鳴き声に、俺が振り返ると。


 見た事のない小さな黒猫が、ベンチの下から覗いていた。



 俺が近寄ってみると、黒猫は逃げずに再び小さく鳴いた。耳の横を触ってやると、かすかに喜んでいる素振りを見せる。首輪はしていないが、飼い猫かもしれない。

「いい子だな」

 黒猫は気持ちよさそうな仕草をするが、ベンチの下から出て来ようとはしなかった。

 俺はふと、思いついたままに言ってみる。


「お前、俺の影の中に住んでみたりしないか?」


 パサッ、と、俺の後ろで何かが落ちる音がした。

 俺が振り返ると、近所の中学校の制服を着た女の子が立っていた。足元に手提げ鞄が落ちている。


「どうして……知ってるの?」


「にゃ」

 猫は軽く鳴いて、ベンチの下から俺の影の中に移った。女の子が近寄ってくると、さらにその影の中に入って満足そうに座った。

「君が飼ってたんだ」

「う……うん。 あ、あのっ」

 彼女が聞きたいことは大体分かったから、俺は静かに言った。

「俺も昔、飼ってたことがあるからさ」

 それから俺はベンチに座って、その名前も知らない女の子に、あの奇妙な猫の話をした。俺の影に急に住み着いたかと思ったら、俺の生活リズムを崩して、だけど最後には助けてくれた、影の中に住む猫の話……


 彼女は俺の話をじっと聞いていたが、不意にこう言った。

「ねえ、これから行くところについてくる?」



 女の子は俺を引っ張るようにして、街の一角にある路地裏に連れてきた。

 夕暮れの路地裏はしっかりとした影に包まれていて、彼女の飼っている影猫はすいすいと奥の方へ進んでいく。

「ここは?」

「待ち合わせしてたの」

 彼女は楽しそうに奥へ入っていくので、俺も続いた。


「よ、こんばんわ」

 奥にいたのは女性で、ごくごく普通のOLに見える。ま、彼女は普通の中学生だし、俺も普通の高校生に見えるだろうから、別におかしいことではない。

「あれ? 今日はお連れさんがいるのね」

「昔、飼ってたことがあるんだって」

 彼女のその言葉だけで、女の人は理解したらしい。

「そう。じゃ、懐かしいのかな?」


 気がつくと周囲にはたくさんの黒猫がいて、俺のほうを興味ありげに見つめていた。

 それに、もっと俺を驚かせたのは……それらが皆、俺の分かる言葉で何かを話している、という事である。


 彼女は女の人の脇に立って、楽しそうに世間話をし始めた。学校でのこと、最近の先生が面白くないこと、少し気になっている頭のいい男子生徒が最近元気がないこと、家でのこと、自分の影猫の話……俺は自分が中学生のときに、そんなにたくさん話すことがあったのかどうか、少し思い出してみようとした。

「ねえ、君の話も聞きたいな」

 女の人がそう言うので、俺は仕方なくさっきの話を繰り返す。ただ今度は、俺も日頃のことを織り交ぜながら話すようにしてみた。

 なんだか、ひどく和やかな時間だった。


「ねえねえ、面白い話して」

 彼女が女の人に問いかける。

「ほんと好きなのね……毎度幽霊の話なんてつまんないでしょ?」

「おねーさんはしょっちゅう見てるからそう思うんだろうけどーっ」

「分かった分かった」

 髪をかき上げて、

「そうね、それじゃ随分昔の事だけど。夜道を歩いてたら吸血鬼と出くわして……」

 俺はなんとなくその話を聞きながら、膝の上に乗ってきた影猫を撫でてみる。


 どうやら世界には、俺とは全然違う生き物がたくさん住んでいるらしい。

 ただ俺は……偶然それと関わりあうことになったわけで。


 それが、平凡な俺が出せる、唯一の結論なのだ。



長らくお付き合いありがとうございました。

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