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あたしのやり方・後編

 黒猫はサーモンフレークを好きなだけ食べると、あたしの膝の上でぽつぽつと話し始めた。

「普段は食べなくてもいいんだけど……急に、魚に惹かれて……」

「へぇ……」

 あたしは黒猫を抱き上げてみる。普通の重さ。小動物の匂い。どれをとっても普通の猫だ。しかし胸を刺すような不安感が、相変わらずあたしの胸を締め付ける。

「それにしても、鋭いんだね」

「何が?」

「普通、遠目に見ただけでは分からないよ? 影猫かどうかなんて」

「……お前は『影猫』っていうのね」

「うん。影の中に住んでるから」

 そのまんまの名前だ。ま、仕方ない。

「お前、ひどい気配がするんだよ……単なる猫にしか見えないのに、どうして不安になるんだろう?」

「それは、『闇』の気配だよ。影猫を作る、影猫が食べる『闇』なんだ」


 黒猫……影猫はそこで軽く伸びをして、あたしの肩に昇る。

「心臓から離れたほうが、気配は弱まるから」

 そして、猫っぽい声でため息をついた。

「あんまり気にしないほうがいいよ。っていっても、不安になるよね……人は大抵、闇の気配は嫌いなんだ」

「そうなの?」

「どうしても、暗い気持ちと結びつくからね」


 それ以後、あたしは時々その影猫と話をするようになった。

 会話するのはとても楽しかったけれど、その不安な気配はひどくあたしを混乱させた。どうにか慣れるようにはなってきたが、それを感じ取った瞬間の緊張感は、思った以上に精神を疲弊させる。それさえなければ、影猫は本当によい話し相手だった。


「他の影猫から聞いたんだけど」

 その夜は忙しくて裏通りまで行けなかったので、あたしは影猫と自分のベランダで話していた。

「闇の気配に敏感な人は、自分が光の側に寄ってるんだって」

「どういう意味?」

「生きてるものには、光と闇がバランスよく関わるのがいいんだけど……そのバランスは人それぞれなんだって。で、光が多く必要な人は、その分闇が嫌いで……影猫にも敏感になるんだ、ってさ」

「それ、あたしがやたら変なものを見るのと関係あるの?」

「うん……死んだ人の気配は、どうしても闇寄りになる……みたい」

 影猫は声を潜める。それなりに、影猫としてもおおっぴらに話すのは憚られる話題らしい。影猫はふっと話題を変えた。ただ、それも楽しくはない話だった。

「そういえば、保健所がまた野良猫狩りをするんだって」

「そうなの?」

「聞いた話。でも……また、影猫が増えるな」


 影猫は、猫の影。

 七つの命を使おうとせずに死を選んだ猫の、行き場をなくした影の猫。


 

 あたしはその日もうらぶれた通りを抜けて、足早に帰路を急いでいた。得意先との会議を終えて、少し早めの帰宅を許されたのだ。時間にうるさくないベンチャー企業だからもらえる、ちょっとしたボーナス休暇。もちろん、納期に間に合ったからだ。

 夏の空はまだかなり青く、日没まではかなり間があるようだ。裏道の猫達も眠っているだろう。今日は子猫の好物を買っていってやろうか。

 ふと横道を覗き込むと、猫が数匹急いで走っていくところだった。

「そっか……野良猫狩り、か」

 悲しいけれど、あたしは奴らの飼い主にはなってやれない。どれだけ猫が好きでも、影猫と話が出来るほどでも、あたしは単なるOLで、アパートで暮らす人間だ。何十匹といるこの街の野良猫を助けてやることなんて、出来やしない。


 ところが次の瞬間、あたしはまた、ひどい闇の気配に震えた。


「お前なの……?」

 物陰に向かって呼びかけてみるが、何の反応もない。あたりまえだ。影猫はただでさえよく眠るものだし、狩られる心配もないのにどうして起きてくるだろう。

 闇の気配が持つひどい不安感は、容赦なく胸を締め付けた。


「ちょっと、大丈夫ですか?」

 路上で立ち尽くしたあたしに話しかけてきたのは、野良猫駆除の服装をしたお兄さんだった。

「え……ええ」

 首を振りながら体を動かしてみる。ひどい気配は相変わらずだが、単調な刺激なので慣れなくはない。急な腹痛と、応急処置法はそう変わらない。あたしは体を捩りながら前進しようとして……慌てて、振り返った。


 なんのことはない。

 ひどい気配の元は、そのお兄さんだったのだ。


 いつもならすぐに気付くはずなのに、あまりに強い不快が感覚を鈍らせたようだ。心配顔のお兄さんの後ろに、憎悪をむき出しにした男がぴったりと張り付いている。しかも、全く同じ野良猫駆除職員の格好で。

 あたしは、気付いてしまったことによる猛烈な吐き気と戦いながら、再びお兄さんと視線を合わせた。

「今日は……野良動物の駆除ですか?」

「えっ? ……ええ、まあ。狂犬病の予防ですよ」

 あたしの方はそんな返答を聞いてはいない。質問に応じるお兄さんの意識が自我から少し離れたのを見計らって、あたしは全神経を背後の男に向けた。男の意識も、「宿主」のお兄さんと一緒に少し逸れている。その隙に感覚を研ぎ澄まして、この男をどうするか考えよう。

 猛烈な憎悪は伝わってくる。事故で死にでもしたのだろうか……しかし、それ以上のことがなかなか読めない。無理矢理、入り込むようにして意識を探った(相手が人間ではないからできる技である。生きてる人間相手にやったら超能力者だ)。すると……

 ところが。


「あれ? お姉さん?」

 大失敗だ。

 意識がお兄さん自身から逸れたのはいいが、今度はあたしの方に向けられてしまった。

 当然、男もあたしを見て……あたしが何をしているのか、しっかり見つけてしまった。


 地を揺らすようなうめき声は、しかしあたしにしか聞こえないのも知っている。

 男は猛烈な憎悪をあたしにぶつけて、そのまま押しつぶそうとした。おぞましいまでの不快感が体の表面を駆け巡り、入り込もうとする。あらゆる内臓が緊張して、すべてが逆流しそうだ。



 そしてそのとき、あたしは。

 何故だか分からないけれど、影猫に助けを求めていた。



 一つ幸運だったのは、あたしが不快感のために再び平衡を失って、路地裏に転がり込んだことだ。

 おかげであたしの影が路地裏に巣食った影につながり、慌てて飛び込んできたお兄さんの影ともつながった。これで、条件は整った。

 突如として路地裏の影から黒猫が何匹も現れ、あたしを乗り越えて男に襲い掛かった。自分が標的ではないかと思ったお兄さんが悲鳴を上げるが、影猫の方が数倍格上だ。スピードが違いすぎる。

 影猫たちは男が放つ憎悪に食らいつくと、その不快な気……「闇の気配」をどんどん吸い取っていく。男の姿はだんだん薄くなり始め、それと比較して影猫は重くなり、毛の黒色を濃くしていった。そして、男が見えないほどに薄くなってしまった後、影猫達はまた素早く動いて、路地裏の奥に消えてしまった。


 お兄さんが、唖然とした顔で座り込んでいた。

 あたしも同様だった。



 路地裏に行くと、いつもの影猫が一匹だけ待っていた。子猫たちがいないのは、少し寂しい。

 最初に会って以来、影猫は食べ物をねだらなくなった。本来、食べなくてもいいらしい。

「……人間はさー」

 相変わらず影猫は、人間相手にやたら気さくに口を利く。

「いざ暗い感情に取り付かれると、自分で勝手に闇を作っちゃうんだよね」

「あの男の人……ずっと昔、狂犬病で死んだんだって」

 あたしは、誰ともなしに言ってみる。

「すごく苦しかったのに、隔離されて、これまで野良犬を殺してきた報いだなんて陰口たたかれたんだって……」

「ふーん」

 影猫は私の足元で、丁寧に前足を手入れする。


「ねえ。俺のこと、飼ってくれないか?」

「え?」

「あんたの影なら、楽しく暮らせそうだし。闇がまた襲ってきたら、俺が守るよ」

 影猫に悪意がないのは分かっていた。闇の気配だって、拒絶反応を克服すれば気にならなくなるだろう。元々、感覚的な産物だ。

 けれど。

「……ごめんね、それは断らせてよ」


 最初に出会った影猫は、見なかった事に出来ないなら深入りしてしまうと、そう言った。

 でも……あたしは普通じゃない。この猫を影に住まわせる以外の接し方が、きっとある気がする。

 だいいち……猫を飼っておいて、その代わりに助けてもらうなんて、性に合わないではないか。


 

 あたしはどうやら、見てはいけないものを見る回数がひどく多い。

 それは、見られない世界と繋がりながら生きていくに等しいかもしれないけれど、

  その世界に入り込んでしまうことではない。


 それによって、狩られる子猫を守れるとしても。

 あたしのその力は、そんな大義名分を実行するためのものなんかじゃない。


 ただ、欲するままに。人と違うからこそ、人との差異をプラスに使う。

 それがあたしのやり方だ。



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