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俺の受難・前編

 大体、黒猫というのは、往々にして凡庸な男とは相性が悪いものだ。

 といっても俺はまだ高校生だから、自分を凡庸だと認めるにはまだ早いかもしれない。けれど、とりたてて特殊な点がないのも事実だし、結局将来は納まるところに納まってしまうのだろう。黒猫だって、正直好きじゃない。

 ともかく、それはまだ秋のさなかの頃だった。



 その日も俺は友達と別れて、住宅街を歩いて家に向かっていた。

俺の家は高台にあって、その丘の中腹にある公園からは街がよく見える。上から見た町は小さな家の屋根が不規則に並んでいて、その隙間から病院や小学校が突き出ている。

 夕日は海に沈む。

 空は一面、深いオレンジ色に塗り込められていた。海面や家々の屋根は軒並みその光を反射して、同じ色に染まってしまっている。その一方で背の高いビルや倉庫は陰になって真っ黒に塗り潰され、直線的な外観が際立っている。

 世界が二色になったようで、俺はひどく気味悪い印象を持った。

いつもと違う世界は得体が知れず、なんとなく不安感を覚える。毒々しいオレンジも目に痛い。早く歩き去ってしまいたいが、なんとなく俺は公園の前で足を止め、その光景を見ていた。

少し目線を手前に移せば、ごく狭い公園の中もすべてオレンジ色だ。一方で立ち木は枝先まで黒々として、しかも長い影を公園全体に落としている。それが遊具やベンチの影と重なり、オレンジ色の地面に綾を作って、俺の足元にまで至っている。おそらくは俺の横顔も、夕日に染められてしまっているのだろう。そして反対側の道路もまた色づき、フェンスや木の影と混じって俺の影が不気味に長く伸びている……俺はそれを、首を反対に向けて何気なく確認した。やはり薄気味が悪いので、顔を戻して歩き出そうとしたとき、俺は妙な違和感に襲われた。

何かが変だ。

俺は再び、首を回した。しかし、やはりそこはオレンジ色に染まってはいるもののいつもの道路で、長く伸びた影もさっきと変わらない。

 沈んでいく夕日は徐々に赤みを増し、黒い木々もざわざわと枯れた音で騒ぐ。なんともいえない嫌な感じに襲われて、俺はそのまま首を戻した。そして今度こそ歩き出そうとしながら、先程見た背後の景色を頭の中に映し出していた。

 不意にそこで、違和感の正体に気付いた。


 何故か……俺の影だけ黒色が濃い。


 とっさに俺は肩を捻り、自分の影に目をやった。

 一瞬後には自分の行為に激しく後悔したが、既に俺の目はそこに至っていた。


 そのとき、俺の影は他とそう変わらない色をしているように見えた。

 確かに、影の色は。

 しかし……俺は小さく息を呑んだ。

 俺の影の上に、一匹の黒猫が座っていた。


 黒猫はそれなりに大きくて、健康そうで、毛並みも良くて……しかしその毛は、さっきまでの俺の影にそっくりな色だ。黒い。どこまでも黒い。そんな奴が、俺の影のど真ん中に鎮座しているのである。そいつの目は黒猫らしい黄色だったが、決して爛々と輝いていたりはしなかった。むしろ毛に埋もれそうな細目で、眠そうな印象ですらある。しかし、そんな目でも、俺を胡散臭そうにじっと見ていることに変わりはなかった。

 そして次の瞬間、黒猫は小さく口を開けて、やけに瑞々しいピンク色の舌を見せながら

「みゃ」

とだけ呟いたかと思うと、するすると俺の影の中に消えていってしまったのである。

 そして俺の影は、道路に長く、長く、黒々と伸びていた。



 一応言っておくが、俺は猫に恨みを買うような真似は一度だってしていない。ついでに言えば、人間相手でも心当たりはない。

 しかし、理屈はどうあれ、その黒猫は俺の影に居座ることにしたらしい。

 影が、なんとなく濃いのだ。

 晴れた日には恐ろしく黒々しているし、曇りの日でも俺の影だけ妙に輪郭が分かる。あからさまに目立つようなことはないが、気がつくと視界に飛び込んでくる。それだけのこと、とも言えるが、足元から這い登ってくるような気味悪さがあった。誰かの目に留まっている様子もないが、それだけに相談も出来ない。

 俺は影を極力見ないようにしたが、それでもその薄気味悪い暗闇はしつこく俺の視界に入り込んできた。徐々に自分が苛立ち、神経を尖らせてしまっているのが分かる。ぐっすり眠れない。

そしてそれは、受験生である俺にとって未曾有の大惨事を幾度となく引き起こした。もともとの睡眠時間があまりにも足りないので、集中力が途切れた瞬間に意識を失ってしまうのだ。大事な授業で眠り込んでしまい、あとで参考書を片手に四苦八苦したことも一度や二度ではない。

あるときは模試の最中に意識を飛ばしてしまった。見かねた先生が肩を揺すった所、脱力しきった俺はそのまま崩れ落ちるように床に倒れた……らしい。保健室で目覚めた俺は、その大騒動の様子をそれぞれの友達から一度ずつ聞く羽目になった。しかし、結局俺の体には何の異常もなく、単に眠っていただけだったらしい。時間が中途半端だったがために再試験も受けられず、俺は大事な模試をまるごと逃す形になった。

俺がいらいらすればするほど、黒い影は視界に居座り続けた。

 しかし黒猫はあの日以来、影の中に入ったきりで、一度も俺の前に現れはしなかった。



 終業式の日は、雪になった。

 俺は散々な模試の結果をどう言い訳しようか考えながら帰宅していた。

 というか……今日は、白い。街がとんでもなく白い。

空もどんよりして白っぽいし、すっかり積もった雪は踏みつけてもアスファルトを表出させない。勿論、その辺の塀のような垂直面には雪が積もっていないわけだが、元々そんなに色鮮やかなものではないし、どちらかといえば白っぽい。植木だって全部灰色だし、雑草だって枯れている。

 この分ではホワイトクリスマスは確実だろう。そんなことを思って歩いていた俺に、

 急激な睡魔が襲い掛かった。


 すうっ、と意識が真っ白い中に遠のいていく。のけぞって倒れそうになり、思わず俺は前向きに腰を曲げた。それでも眩暈はどうしようもなく、俺はふらつく足取りでゆっくりと歩き始めた。どこかで休みたい。出来たら早く眠ってしまいたいが、路上ではそうもいかない。そうこうしているうちに、頭の中は白い霧で覆われ始める。だんだん、自分の判断力が怪しくなっていくのが分かる。

それでも足だけは、何とか前に進めた。もう少し行けば例の公園がある。ベンチに座って休めば回復するかもしれないし、運よく誰かいれば助けてもらえる。

 辿り着いた公園は、あいにく人影もなく、やはり真っ白だった。それでも俺は、どうにかベンチまで近寄ることが出来た。座れる……休める。

 そう思い、安心感を覚えた次の瞬間、睡魔は一気に俺の頭を真っ白に染めた。思考が止まり、雪を払うことも出来ないままにベンチに崩れ落ちる。

異常だ。いくら睡眠不足でも、こんなに眠くなるはずがない。それはきちんと理解していたが、どうすればいいのかも分からず、俺はずるずると眠りの中に引きずり込まれていきつつあった。

 しかし、寝るにしても、雪の上では環境が悪すぎる。凍死する。ぼんやりした頭で辛うじてそう考えた俺は、今度こそきっちり横になるべく、眩暈を振り切って体を起こした。

 目を落とすと、俺の真下には黒々とした影が横たわっていた。



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