奇妙な反日デモ
十月十六日、中国の成都、西安、鄭州などの都市で大規模な反日デモがあった。デモの内容は、もちろん尖閣諸島ついて抗議するものだ。
中国国内の報道によれば成都のデモには数千人が参加したそうだ。たぶん、日本では成都のイトーヨーカ堂が襲撃された映像が流れているのだろう。もちろん、中国国内では日系デパートを襲撃したなどという報道はなされていない。
ずいぶん前のことだが、成都に滞在していた頃、イトーヨーカ堂の地下食料品売場へ行っては一個一元のあんぱんを買ったものだった。日本のものと同じ味でおいしかった。エスカレーターの配置が日本のそれと同じで、店内を回っているだけで落ち着いた気分になれたのを覚えている。あんぱんのほかにも、コクヨの文房具やミズノのジャンパーを買ったりした。
初めて行った時、各フロアの売場に店員が大勢いてびっくりした。少なくとも、日本のイトーヨーカ堂の三倍は人を雇っていたと思う。雑誌かなにかで、成都のイトーヨーカ堂は地元の人々を大量に雇用することで地域に溶けこもうとしているという記事を読んだことがある。人件費の安い中国だからこそできることといってしまえばそれまでだが、それにしても、そのような企業努力をしていた会社が襲われたのは残念でならない。
国営新華社通信はデモの詳細を報道していないので、当然、各種新聞やテレビも伝えていない。各メディアには報道するなとの通達が出ているはずだ。これに対して、一部ネットの報道記事には、「日本共同通信社によると」などと前置きしたうえで成都イトーヨーカ堂のガラスを破ったことなどを伝えていた。また、画像や動画を掲載しているサイトもあった。だが、画像や動画のほうは政府当局によって削除されたり、サイトそのものが閉鎖されたりしてしまったため、一部を除いて見ることができない。
デモから一夜明けた十七日、中国外務省の報道官は「日中は重要な隣人だ」と前置きしたうえで「デモを行なった人たちの気持ちはわかるが、愛国心は理性的に表現するべきであり、非理性的な行為や違法なデモには賛成できない」とのコメントを発表している。
このコメントを見てもわかるように、政府当局は事態の鎮静化を図ったのだが、十七日には四川省北部の綿陽市に飛び火して、反日デモが発生。約三万人が集まり、一部が暴徒化して日本車を破壊したりしたという。十八日には武漢でも反日デモが起きた。
日本でも、十六日に六千人ほどの規模の反中デモがあり、中国大使館を取り囲んだ。尖閣諸島、ノーベル平和賞の劉氏の釈放を求めている。中国国内の報道では、中国における反日デモはこの「日本の右翼」のデモに対抗するためのものだったと伝えられている。実際のところ、日本のデモに参加したのは「右翼」だけとは限らないようだが、ともあれ、中国の国内向けの報道ではそのように伝えている。より正確にいえば、各新聞、テレビにそのように報道させ、人民にそう思いこませようとしている。つまり、一種の洗脳だ。
今回のデモは奇妙だ。
なにより、デモの実施時期がおかしい。
デモが行なわれた時、中国共産党の五中全会(中央委員会の会議)という政治的に重要な会議が開かれていた。
このような重大な政治日程が組まれている時期に大規模なデモが起きることは、通常あり得ない。デモが飛び火したり、成都や綿陽などのように暴徒化されては困るからだ。人民の怒りの矛先が日本へ向いているうちはまだいいが、それが中国共産党へ向けられると中国共産党の威信に傷がつく。どのようなデモであれ、中国共産党の中央が許可するとは考えにくい。
第二に、この時期にあわせて事前によく準備したうえで組織されたデモの可能性が高い。
写真を見た限りでは各種の横断幕も準備していたし、デモが始まったばかりの頃は比較的整然と行進していたようだ。突発的なデモなら、きれいな横断幕を準備する時間もなければ、整然と行進することもないだろう。
反日デモを行なうような「愛国青年」はだいたいが共産党の下部組織に属している人たちで、大学生が多い。彼らがデモの準備をした場合、当然、中央へ情報が上がるはずだ。そして、中共はかならず押さえにかかえり、中止させるはずだ。
第三に、偶然、複数の地方都市で一斉にデモが起きたとは考えにくい。しかも、地方都市だけで起きている。北京、上海といった二〇〇五年の時に大使館・領事館襲撃事件が発生した都市ではデモは行なわれていない。北京ではすでに先月、小規模な反日デモがあったが、首都という人々の政治的な意識の高い都市で今回の同時多発デモがなかったのはどうにも解せない。このあたりにも隠された意図を感じてしまう。
これらのことを総合して勘案してみると、おそらく、この日に合わせて複数の都市で同時にデモを実施するようにあらかじめ計画を練っていたものと思われる。誰かが――といっても中国共産党しかいないのだけど――裏で操っていたとしか考えられない。やらせデモだ。
中国共産党が今回のデモを裏で操っているのは間違いないだろう。ただ、中共のなかにもいろんな派閥があって、一枚岩ではない。
ざっくりいえば、現在、胡錦濤総書記の「親民派」と江沢民元総書記の「上海閥」もしくは「太子党」と呼ばれる二大グループが権力闘争を繰り広げている。
「親民派」はもうすこし人民によくしてあげましょうという一派。たたき上げの人物が多い。「上海閥」は特権階級が自分たちの利権を守るための集団だ。高級幹部の子弟が多い。このように書くと「親民派」のほうがよさそうだが、どちらもなにがなんでも中国共産党の一党独裁を守るという点では一致している。一九八九年のチベット独立運動の際、数多くのチベット人が虐殺されたが、この陣頭指揮に当たったのは、当時、チベット自治区の党書記だった胡錦濤だ。どちらがいいとはいえない。どちらがまだましかというだけの話だ。
さて、どこの国でもそうかもしれないが、外交というのは実は内政問題だ。
今回、デモが行なわれていた時に開催していた五中全会(中央委員会の会議)では、太子党のリーダー格の政治家・習近平が親民派・胡錦濤の事実上の後継者として指名されるかどうかが焦点だった。胡錦濤は、二〇一二年に総書記の任期が満了となり、二〇一三年には国家主席の任期が切れる。胡錦濤の後を誰が引き継ぐのかは、内政問題の最重要課題だ。
習近平を推すグループが「反日カード」を切って「愛国学生」たちにデモを行なわせ、胡錦濤グループへ揺さぶりをかけたと考えられなくはない。簡単に言えば、胡錦濤へ対する嫌がらせだ。自分たちの主張を認めなければ、もっと騒ぎを起こすぞというシグナルかもしれない。
習近平は江沢民の子分筋にあたる。
江沢民は、国家主席在任中に「愛国教育=反日教育」を推し進め、人民の反日感情を煽りにおあった。中国共産党の歴代の国家指導者のなかでは愚昧な人物だ。江沢民の子分たちが、親分の手法を真似したとしても不思議ではない。
もちろん、これは仮説にすぎない。ともあれ、五中全会では習近平が事実上の後継者に指名され、上海閥、太子党の思い通りにことが運んだ。このまま順調にいけば、二〇一三年には習近平が国家主席となる。
中国の「反日」にはさまざな意味がある。
中国で反日デモがあれば、日本人は中国中が本気で日本を嫌っているかのように思いこみがちだが、それは考えものだ。
なかにはほんとうに日本が嫌いな人もいるだろう。だが、単純にそんな人たちばかりというわけではない。「反日」という道具を使って権力闘争に勝ちたい、出世したいと考える人物が案外多い。そんな輩は「反日」と叫んで自分がのし上がることがなにより大切なことで、日本とどう向き合うかといったことは、実はどうでもいいことなのだ。彼らが欲しいのは自分の出世のために利用できるスローガンだ。野次馬に集まった人民にしろ、日本のことはなにも知らない。胸のうちに鬱積しているのは、広がるばかりの格差と中国共産党の腐敗に対する不満だ。ほんとうの意味での「反日」とはあまり縁のない人たちだ。
敵は本能寺にあり。
「反日」は実は中国の国内問題であり、彼らの内輪もめの道具として「反日」が使われているにすぎない。かつて江沢民は広がる格差と中国共産党の腐敗から人民の目をそらさせ、自分の権力を維持するために「反日カード」を濫用した。
これから、事態がどう推移するのかはまだわからないが、大切なのは過剰反応しないことだ。
中国の国内政治では「反日」はいつも政争の道具に使われる。そんなことをされたのでは、日本人としてはたまったものではないし、とばっちりを受けるのも日本だ。とりわけ、僕のように中国に住んでいる日本人はなにかと嫌な目にあわされたりする。とはいえ、「反日」に対して安易に反応してしまうのも考えものだろう。彼らの御家騒動は彼らにやらせておけばいい。飛びかかってきた火の粉を振り払う必要はあるが、できるだけ関わらないことだ。
中国の「反日」は、日本と中国の外交問題なのではなく、たんなる中国国内の内政問題にすぎないと割り切り、できる限り突き放してみたほうがよいのかもしれない。