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司馬遼太郎さんの歴史小説を「小説」と呼んでいいのか?

『龍馬がゆく』をはじめて読んだのは中三の時だった。

 それが司馬さんの作品との出会いだった。

 こんなすごい本が世の中にあるのかと興奮しながら読んだ。歴史上の人物が生きいきと描かれ、歴史を精密に解釈している。単行本で五冊とかなりのボリュームなのだけど、文章のリズムが非常にいいから、一気に読めてしまう。維新のために東奔西走する龍馬がまぶしかった。家の本棚に父が買った司馬さんの本が何十冊も置いてあったので、『龍馬がゆく』を読み終えた後、司馬さんの小説をかたっぱしから読んだ。

 司馬さんの作品はどれも面白いのだけど、ただ、司馬さんの歴史小説を「小説」と呼んでいいのかどうかは、わからなかった。司馬さんの「小説」は、

「筆者は考える」

 と、作者が頻繁に登場して歴史をどう解釈すべきか考察しているからだ。登場人物が考えるのならわかるけど、一般的にいって、小説ではそんなことをしない。作者が登場して迷ったところを書くにしても、さらっと流してしまう。それに、

「余談だが」

 と、しばしば話が脇道へそれる。それがまたたまらなく面白いのだけど、そんなことをすれば、物語の流れがよどんでしまう。作品はすばらしいけど、「小説」とはまた違ったものなのだろうなと感じた。

 大人になってから、主に児童劇の脚本を書いていたある老作家と出会った。根はやさしいけど頑固な人だった。かたい信念の持ち主だった。僕はそんな人が好きだ。その先生には、喫茶店でコーヒーをご馳走になりながらいろんな話を聞かせていただいたのだけど、ある時、

「わしは司馬遼太郎といっしょに徳島へ旅行に行ったことがあるんやけど、その時にあんたの書くものはつまらんって言って喧嘩をふっかけてやったんや。あんなもんは歴史小説やない。くだらん歴史講談や」

 と彼が怒ったように言った。

 僕はびっくりしてしまった。

 司馬さんの作品を悪く言う人はほとんどいない。歴史小説好きの男と司馬さんの作品の話をすれば、例外なく盛り上がる。嫌いだという人にはじめて出会った。

「小説やない」というのはわかるけど、司馬さんの書くものはとても勉強になったから、なぜ彼がそんなことを言うのか理解できなかった。「くだらん歴史講談」というのも評価としてはあんまりな気がする。

 司馬さんの作品を読むたびに老作家の言葉を思い出し、どういう意味なんだろうと考えた。

 最初はさっぱりわけがわからなかったけど、繰り返し考えているうちになんとなくわかってきた。

 司馬さんの「小説」はどれも明るい。太陽が燦々とふりそそいでいる感じがする。それは司馬さんが人間のいい面を見ようとしているからだ。本人のやさしい性格もあるだろうし、なにより、司馬さんの「小説」からは日本人のいいところを見つけたいという意気込みが感じられる。

 司馬さんは、学徒出陣で兵隊にとられた。戦争のなかで、軍隊のなかで、人間の嫌な面を見すぎてしまったのだろう。そして、なぜ日本人があんな無謀な戦争を始めてしまったのか、とことん考えさせられた。そのあたりは晩年のエッセイに書かれている。

 日本人のマイナス面を思い知った司馬さんは、逆に日本人のプラス面を探したかったに違いない。あほな戦争をした日本人だけどいいところだっていっぱいあるんだと「小説」のなかで描きたかったに違いない。

 そんな司馬さんの考えが高度経済成長で発展し続ける日本人の心にフィットした。日本人は自分のことをほめてくれる人がほしかった。戦争に負けたけど、ほんとうはすごいんだと認めてほしかったのだ。司馬さんの「小説」を読んだ日本人はプライドをくすぐられ、誇りを取り戻した気分になれただろう。昇り龍のような時代の雰囲気が司馬さんを国民的作家にした。

 だけど、人間のプラス面だけでは「小説」は成り立たない。それでは「寓話」になってしまう。人間には、必ず光と影の部分がある。いい面もあれば、悪い面もある。「文学」ではその両面をきちんと描かなくてはならないのだけど、司馬さんの「小説」では負の側面が切り捨てられてしまう。

 たとえば、『新史 太閤記』では、晩年の豊臣秀吉が描かれていない。天下を統一した後、秀吉はぼけてしまったとしか思えない行動をとり続ける。一例を挙げれば、大名の妻を呼んで床の相手をさせるだなんて、天下人としてはあるまじき行為だ。そんなことをすれば、恨まれるに決まっている。道義的な問題は置くとして、政治的に間違っている。妻を寝取られた大名はいつか復讐してやろうと胸に誓うだろう。無用な怨恨を自ら招き寄せたのでは、天下を統治することなどできない。だけど、司馬さんの太閤記では、秀吉が認知症にかかる前に小説が終わってしまう。影の部分が描かれていない。近代小説の作家ではないけど、もしシェイクスピアが『太閤記』を書いたとしたら、老いの悲しみといった負の側面もしっかり描いて、人間性の本質に迫る不朽の名作に仕立て上げたことだろう。

 また、司馬さんは「ノモンハンの戦い」(一九三九年の日ソ軍事衝突。近代化が遅れ兵站を軽視した日本陸軍がソ連陸軍に敗北した)を「小説」にしようとして資料を収集したけど、結局書かなかった。理由は、あんなばかなことを書いたのでは精神衛生上悪いということだった。

「文学」であれば、自分の精神が病んでしまおうとも、人間がなぜ愚かな行為をするのか描かなくてはいけない。人間の心には、天使の心と悪魔の心の両方が宿っている。魂の深遠をのぞく前に引き返したのでは「文学」にはならない。

 おそらく、老作家はそのことを指して、「つまらん」と言ったのだろう。大岡昇平さんや野間宏さんといった戦後派の作家たちは、自らの戦争体験をもとに人間の本性をえぐりとった作品を書いている。その意味では、いいか悪いかは別にして、司馬さんの「小説」は、「近代文学」でも「近代小説」でもない。司馬史観などともてはやされているけど、司馬さん本人が、「自分が書いたものはフィクション」と断っているとおり、史観というほど大袈裟なものではない。だから、老作家の言った「歴史講談」という批評は的を得ていると思う。もちろん、決してくだらないものではないけど。

 八十年代の終わり頃、司馬さんは「自分の義務は果たした」と言って「小説」を書くのをやめた。当時、日本はバブル経済に沸きかえり、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などともてはやされていた。日本が世界に冠たる経済大国になったので、戦争で殺されてしまった人たちのぶんも十分がんばったと自分で納得がいったようだ。死んでしまった友人たちのぶんも生きて日本をいい国にしなければいけないという想いは、その世代の人たちにしかわからないものだ。僕の祖父もそんなことを言っていた覚えがある。

 余談になるけど、最後の「小説」は、中国が明朝から清朝へ変わる激動の時代を描いた『韃靼疾風録』だった。僕の個人的な思いこみかもしれないけど、宮崎駿さんの漫画版『風の谷のナウシカ』のある場面に似たシーンが出てくる。もちろん、もし同じだとしたら、制作年代からいって宮崎駿さんが『韃靼疾風録』にインスピレーションを受けて描いたものだ。宮崎駿さんは司馬さんに心酔しているから、ありえないことではないと思っている。

 老作家の批評は、いささか厳しすぎるだろう。

「文学」の側から見れば、物足りないかもしれないけど、やはり稀有な作家だと思う。

 司馬さんの「小説」は、たしかに「小説」ではないかもしれないけど、とびきりすぐれた「歴史講談」だ。

 講談なのだから、講談として読めばいい。今でもたまに司馬さんの作品を読み返すことがあるけど、あれだけ資料を調べて書くなんてすごいなと素直に思う。もちろん、司馬さんの作品にも欠点はいろいろある。だけど、完璧な作家などいないのだから粗探しをしてもつまらない。司馬さん独特の一筆書きのリズムに乗って、一気に読むのがいちばん楽しい味わい方だ。司馬さんほど日本人の長所を探し続け、日本人を励まし続けた人はいないだろう。今でも僕の好きな作家だ。

 



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― 新着の感想 ―
[一言] 自分も司馬遼太郎先生の小説に感動した人間の一人です。ちゃんと考察してあってとても興味深く拝見させていただきました。面白かったです。
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