恵方巻の願い事
僕は大阪で生まれ育ったので、子供の頃は毎年節分の時に恵方巻を食べた。もっとも、その頃は「恵方巻」などという呼び方はしていなかった。単に、巻き寿司や太巻きと呼んでいた。
巻き寿司は、年によって母親が作ったり、寿司屋で買ってきたりしてきた。寿司屋で買ってきた巻き寿司のほうが味が整っているのだけど、僕としては自家製のほうが好きだった。母親の手作りのほうが具に入れた高野豆腐の味が濃くておいしかった。
その年の恵方へ向かって、心のなかで願い事をしながら巻き寿司を一本丸ごと黙々と食べる。食べ終わるまでしゃべってはいけないといわれた。時々、むずむずしだした弟がしゃべりはじめそうになるので、注意したりした。弟は願い事がかなわなくなっては困ると、一所懸命黙って食べた。
僕の願い事は空母のプラモデルが欲しいだとか、本が欲しいだといったたわいもないことばかりだった。もっと大事なことをいろいろお願いしておいたほうがよかったと今にして思う。もったいないことをしたものだ。もっとも、今恵方巻を食べたところで、家族がぶじに過ごせますようにだとかいった平凡なことしかお祈りしないだろうけど。
ちなみに、節分の日には鰯の煮つけも必ず食べた。大阪だけの習慣なのか、他のところにもある習慣なのかはわからない。節分の鰯は丸々と肥えて、鰯とは思えない巨大サイズに成長していた。ただ、僕は脂がのり過ぎた鰯はあまり好きになれなかった。脂っぽくて胸が悪くなってしまう。昔は、肥えた鰯を食べて栄養補給したのだろうけどね。
節分の話を書くのは、すこし気が早いですが、先日、上海の日本そば屋で節分特製恵方巻注文販売のチラシを見たものなので。恵方巻はわりと普及したようですね。学生の頃、東京で節分用の巻き寿司を探したのですが、どこにも売っていないし、寿司屋も神社も恵方を示したポスターを貼りだしていなくて、今年の方角がわからないとあせった覚えがあります。




