上海・武漢高速鉄道の出張
出張があって上海から武漢へ二回行った。六月に一回、七月に一回である。
往復の合計四回の移動のうち、三回は高速鉄道(中国版新幹線)を使った。
上海から武漢まで飛行機だと一時間半から二時間ほどだが、高速鉄道だと六時間かかる。
飛行機の搭乗手続きの時間を入れても、やはり高速鉄道より飛行機のほうが早い。それでもあえて高速鉄道に乗ったのは、そのほうが時間が正確だからだ。
中国の飛行機はしょっちゅう遅延が発生して、五六時間も遅れることがままある。とりわけ、五月中旬から七月の中旬にかけては、フライトが荒れる。予約したフライトがキャンセルになることもよくある。
たとえば、朝八時のフライトを予約していて、それがキャンセルになったとする。振り替えになるのは昼頃の便だ。しかし、その昼頃の便がさらに四五時間遅延して飛び立つのは夕方になる。目的地に着くのは夜。当日中に到着できればまだよいほうで、振り替えの便がまたキャンセルになったりして、翌日にならないと飛び立てないこともまれにある。こんなことになる原因は、もともとフライトの便数が多過ぎて空域が過密なところに、機材故障、雷雨による天候不良などが重なり、計画の便数をさばけなくなるからだ。さらに軍事演習が実施されたりすると、演習のために民間機の空域が制限され、それで飛行機の便が間引かれることもある。
夏になれば、台風がきて中国東部と南部のフライトが荒れる。晩秋や冬には霧が立ち込めて、東北部やほかの内陸部のフライトが荒れる。この六月に、やはり出張で上海と広州を二往復(片道二時間半のフライト)したのだけど、まともに飛んだのは一便だけで、あとの三便はフライトがキャンセルになって、てんやわんやした。とにかく予定が立たない。
この点、高速鉄道はよほどのことがない限りほぼ正確に走ってくれるので時間が読める。
上海虹橋火車駅へ行って駅で切符を受け取る。切符はネットで事前購入できるので、窓口で受け付け番号を伝えれば、切符を出してくれる。ただし、切符はすべて実名登録制なので、パスポート(中国人は身分証)がなければ発券してくれない。
切符が実名登録制なのは、二つの狙いがある。ひとつはテロ対策。当局は怪しい人物の動きをつかむことができる。もっとも、偽名と偽造身分証を使えば、監視の目をすり抜けることができるのだろうが。もうひとつは偽切符対策。春節の帰省ラッシュになると鉄道切符がとりあいになるので、帰省客を狙った偽切符事件が多発していた。闇の犯罪集団が組織的にやっていたようだ。実名登録制になってからというもの、偽切符事件はめっきり減った。
切符を受け取った後、駅の安全検査を通る。中国ではすべての駅で安全検査を実施している。切符とパスポートを見せて、X線透視装置にかばんをくぐらせる。金属探知機を使った簡単なボディチェックもある。
待合室は乗客でごったがえしている。この駅からは、北京行き、成都行き、重慶行き、貴陽行き、長沙行き、武漢行き、南京行き、福州行き、広州行き、深圳行き、長春行きなどと中国の各地へ高速鉄道が出発する。それこそ五分間隔で高速鉄道が出ている。
列車単位の改札なので、日本の新幹線ように自由にホームへ入ることはできない。各列車の改札の前に長い行列ができて、出発時刻の十五分前くらいに改札が始まると乗客は一斉に改札を通ってホームへおりる。
ホームには十六両編成の列車がとまっていた。二等車(普通車)は三席プラス二席の一列五席、一等車(グリーン車)は二席プラス二席の一列四席だ。勤め先の社内規定では、一等車に乗ってよいことになっているので、ちゃっかり一等車の切符を取った。
一等車の座席はさすがにゆったりしている。足置きがあるのもいい。足を載せると楽だ。窓際に水のペットボトルを二本置き、おやつとハンバーガーを入れた紙袋を置いた。
列車は定刻通りに滑り出す。上海郊外の住宅地を抜け、蘇州あたりになるとそこかしこにため池の広がった水郷地帯の風景になった。ため池には鴨や魚を飼っている。そんな風景をぼんやり眺めるだけですこし気分が落ち着く。
しばらく景色を眺めた後、ひたすら眠りこけた。幸い、電話もかかってこなかった。朝の九時半に出発して、定刻の午後三時半に武漢の漢口駅に到着。漢口駅の駅舎は昔のヨーロッパ風の雰囲気のある大きな建物だった。一八九八年にできた駅舎だそうだ。
武漢では二回の出張とも、夜、武漢の関係者といっしょに晩餐をとりながら白酒を飲んだ。僕はあまり酒が飲めないので、度数の高い白酒は苦手だ。白酒は四〇度から五十数度もある。武漢での仕事はもめ事の処理だった。中国人同士でつまらない喧嘩をして解決不能になるとこちらへ御鉢が回ってくる。それだものだから、白酒を飲んでコミュニケーションを取っておかなければならない。がんばって白酒を三合ほど飲んだ。きつかったけど、白酒で乾杯しながら相手に面子をあげたので、相手はそこそこ納得してくれた。
それだものだから、出張先での仕事を終えて、朝、漢口駅で高速鉄道に乗った時は、二回とも二日酔いでふらふらしていた。気持ち悪いし、頭がぼおっとする。駅の待合室に入っているマクドでハンバーガーを二つ買って、列車へ乗り込んだ。
任務が終わったのでぐっすり眠りたいところだが、車内は子供連れが多くて、子供たちが騒いでいる。叫び声を上げたり、iPadでアニメを観たり、走り回ったりしている。前の座席をどんどんと蹴りつける子供もいるが、さすがにこれは親がたしなめる。中国人は、日本のようには子供を躾けない。村社会の日本は、村の掟を守らなければ生きてゆけないので、親や世間が集団行動のルールを厳しく教えるが、村社会のない中国は独力でサバイバルしなくてはいけないから、他人のことはあまりかまわない。自由といえば自由だ。ただ、さすがにうるさすぎると子供を怒鳴りつける人もいたが。託児所のような喧騒のなかで風景を眺めながらうつらうつらした。
六月に田植えの準備をしていた田んぼは、七月になるとすっかり緑の稲が膝くらいの高さまで伸びていた。緑のじゅうたんがきれいだ。武漢からしばらく走ると次々とトンネルを潜り抜け、トンネルの合間に川を渡ったりする。車内の電光掲示板に列車の速度が表示される。時速250キロほどで走っていた。
昼時になると車内販売が弁当を売りにくる。町中の弁当にくらべて値段が高いし、味もあまりおいしくないので買わない。昼食は漢口駅で買いこんだハンバーガーですませた。
途中の南京南駅で十分ほど停車した。腰を伸ばすためにホームへ降りると、ちょうど目の前に灰皿があった。たばこを吸って一服する。だが、奇妙なことにホームに流れるアナウンスは「ホームは禁煙です」と繰り返していた。高速鉄道の駅はどこもホームは禁煙だし、列車のなかももちもん禁煙なのだけど、ホームで一服する乗客が多いので、たまりかねて灰皿を置いたのだろう。
蘇州北駅では待避待ちで二十五分も停車して、何本かの列車に追い抜かされた。小腹が空いたのでなにか売っていないかと探したけれど、売店も売り子も見当たらない。この点、高速鉄道は不便だ。昔、普通の長距離列車に乗って旅をした時は、駅ごとに売店があったから、鶏の足の煮つけ、ちまき、ゆでトウモロコシ、ビールを買い食いするのが楽しみだった。高速鉄道は速くて便利だけど、この楽しみがない。ちょっと残念だ。
上海虹橋火車駅に近づくと、線路の本数が増える。八本もの高速鉄道専用線路が並走している。この「複々々々線」を見るたびに、中国の投資はすごいなあと感心してしまう。一気にどっと投資して仕上げてしまうのが中国流だ。あまりにも展開のスピードが速すぎて、脱線落下事故を起こしたりもしたけど。
六時間乗って、ようやく終着の上海虹橋火車駅に着いた。体はだるいけど、酔いはすっかりさめてくれた。スマホで今日の武漢・上海のフライト状況を調べてみると、一日往復十便運航しているうちの五便が欠航になっていた。天候不良のせいらしい。飛行機を予約していたら上海へ帰れなかったかもしれない。やはり高速鉄道にしておいてよかったと胸をなでおろした。