南沙諸島問題の危うい盛り上がり
南沙諸島の領有権を巡りフィリピンが国際調停機関へ提訴していた件の裁定がくだった。裁定は、中国の領有権を認めないというものだった。
中国政府は、すぐさま反論し、中国には南沙諸島の歴史的領有権があり国際裁定には従わない旨を表明した。
今、中国の人民たちは、寄るとさわるとこの話をする。
「中国政府は正しい」
「南沙諸島は我々中国のものだ」
「中国には中国の立場がある。国際機関の裁定は欺瞞だ」
「フィリピンをやっつけろ」
「アメリカと戦争をしてもいい」
というふうに、僕の周囲のおおかたは中国政府の立場を支持するというものだ。イケイケゴーゴーなノリである。おそらく、戦前、日本がアジアで覇権を拡張した時も、日本国内は同じような雰囲気だったのだろう。「なめられてたまるか。自国の覇権を拡大せよ。それが正しい道だ」という空気が蔓延している。
中国政府の強硬な態度には、二つの狙いがある。
一つは、東南アジア諸国に対して、東南アジアの覇王はアメリカではなく、中国であることを知らしめ、力ずくで東南アジアを従わせること。もう一つは――これがいちばん重要だが――南沙諸島の領有権を強硬に主張することで、人民をまとめることだ。フィリピン、ベトナムなどの東南アジア及び米国を敵とすることで、人民の団結を図るのである。この手法は、抗日運動を同じものだ。
だが、このような強硬な態度は、二つの「爆弾」を抱え込む。
一つは、東南アジアに亀裂を生むこと。力ずくで抑えられた国々はあるいは面従腹背するかもしれない。だが、機をうかがって、中国の覇権を剥奪しようとするだろう。この紛争は戦争の火種にしかならない。東南アジア地域は融和へは向かわない。
二つ目は、中国国内のナショナリズムを煽ることにより、その怒りの矛先がいつ中国共産党政府自体へ向かってもおかしくない事態になることだ。2012年に発生した反日運動の時もそうだったが、反日デモへ加わった大半は、今の社会の在り方や自分自身の生活に不満があり、その怒りの捌け口として日本を選んだだけのことだ。今後、この捌け口は東南アジア諸国及びアメリカへ向かう。南沙諸島をめぐる激しい中国国内デモが起きれば、それがいつ反中共デモへ転じてもおかしくはない。ナショナリズムにおいては、強硬な主張ほど正しいとされる。だが、外国を敵にしてナショナリズムに火をつければ、いずれ火傷するのは自分自身である。
人民たちの盛り上がりの一方、中国国内には、
「アメリカが悪いなどというが、大勢の中国人の金持ちがアメリカへ移住しているじゃないか」
という冷めた指摘もある。
一般の人民はナショナリズムの高揚に酔っているが、冷静な富裕層は中国政府を信頼せず、むしろアメリカを信頼しているというものだ。中国政府の悪意を見抜いた指摘だろう。
大方の人民にせよ、中国政府を信用してはいない。中国人には「政府ほど信用できないものはない」という考えがしみついている。が、ナショナリズムを煽られて冷静な判断力を失ってしまった。
近代化に立ち遅れた中国だったが、南沙諸島を実効支配するまでに国力をつけた。
それぞれの国には、それぞれの立場があり、固有の主張がある。中国に中国の主張があり、日本もアメリカもフィリピンも、それぞれの主張がある。欧米の価値観と権勢と利権を軸にした国際機関の裁定が100%正しいわけでもない。
しかし、歴史が教えるところによれば、このような覇道の行きつく先は破滅と混沌でしかない。それは、中国にしろ、日本にせよ、アメリカにせよ同じことだ。
アジア人同士で争ってなにになるのだろう。もしアジア人同士が戦争をして殺し合えば、ほくそ笑んで漁夫の利を得るのは誰なのだろう。このことを中国政府は考えているのだろうか?
繰り返して書くが、短絡的な覇道の行きつく先は、破滅と混沌でしかない。




