駝鳥
駝鳥を観ていると不思議な心持ちになる。
空を飛ぶはずだったのが、いつの間にか、走ることのほうが得意になってしまった。
「やりたい仕事」と「できる仕事」は違う。もちろん、「やりたい仕事」が「できる仕事」である人は幸福だろうけど、「やりたい仕事」に就いた人よりも、「やりたい仕事」をあきらめて今の仕事に就いた人やなんとなくその仕事に就いた人のほうが多いだろう。
「できる仕事」と「やらなければならない仕事」もまた違う。
仕事をしていれば、「できる仕事」以外の注文が次から次へと舞い込んでくる。とはいえ、仕事というものは、基本的にオーダーがあって初めてこなすことができるものだから、えり好みしてやらないわけにもいかない。拒否すれば、仕事そのものがなくなってしまう。困ったなと思いながらも、つまらない我欲は捨てて片づけるしかない。
もちろん、「やりたい仕事」をしていないからといって、それが不幸だというわけでもない。どんな仕事でもできるようになってくれば、その仕事の面白味がわかってくる。どんな仕事にも興味深いところはあるものだ。「できる仕事」が「やりたい仕事」というふうに変わっていく人も、なかにはいるかもしれない。
「やらなければならない仕事」から学ぶことも多い。いろんなことをこなしておけば、自分のなかに「引き出し」が多くなり、それだけ幅が広がる。苦手だと思いながらいやいやこなした仕事の経験がひょんなところで活きてきたりもする。
とはいえ、なんだかなあ、こんなはずだったのかなあという気分はぬぐえない。
中国大陸でただサバイバルをするためだけに目の前のことをせっせとこなしているうちに、駝鳥みたく飛ぶことよりも走ることのほうが上手になってしまった。そんな自分がリアルな姿であることには変わりないけど、そのリアルな自分が夢のなかの人物のような、自分の人生そのものが夢のなかでぷかぷか漂っているような、不思議な気がしないでもない。駝鳥が不仕合せだというわけではないし、いろんな人に助けてもらって、運よくここまで生き延びてきたわけなのだけれど。