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ほどほどの自由の時代と完全な統制の時代


 ほどほどの自由の時代は「政治なんて関係ない」だとか「なんだかんだいっても普通の暮らしができるんだよ」などと言っていられる。天下泰平。暢気といえば暢気で、お気楽な時代だ。

 完全な統制の時代は、否が応でも政治に従わなくてはいけない時代。個人の自由は認められない。

 タイトルには書かなかったが、もう一つ、完全な自由の時代というものが想定できる。だが、これは人類全員が解脱したり、愛の名において解放されたりしなければ到来しない。当分はやってこないだろう。もしかしたら、今の人類が絶滅して、地球上に人類よりももっとすぐれた生命体が現れてからの話になるかもしれない。

 ほどほどの自由の時代は、個人が自由を享受しながら暮らせる時代だが、もちろん統制がないわけではない。統制がなければこの世の秩序が保てなくなってしまう。人は完全な自由に耐えられるほど強くはない。組織や家族をつくり、そのなかで誰かが管理という名の暴力を振るいながら秩序だてなければ、生活の営みそのものが立ち行かなくなる。ほどほどの自由の時代は、ほどほどの統制の時代とも言えるだろう。

 完全な統制の時代の究極は大戦の時代だ。第二次世界大戦の時の日本がそうだった。

 戦争が嫌だといっても兵隊にとられて戦地へ送られる。生産活動はすべて戦争のためのものとなり、物資は配給制になる。表現の自由も認められず、たとえば、二足す二は四だと事実を述べる自由もなくなる。権力を振るうものが二足す二は五だと強弁すれば、みなそれに従わざるを得なくなる。

 時代という名の列車は完全な統制の時代を走り続けている。



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