上海で初めて過ごす春節
今日は中国の正月――春節だ。
昨日、中国の大晦日の日、仕事納めが終わった僕は朝、ぐっすり眠り、昼過ぎに奥さんの祖母の家へ行った。奥さんの祖母は御年九〇歳。腰も足もしゃんとしているし、とても元気だ。奥さんの祖母に会うのは初めて。おばあさんは、孫が結婚したというので、婿に会うのを楽しみにしていたらしい。おばあさんは日中戦争を経験した世代だから、日本嫌いだったらどうしようかと僕はすこし心配したけど、そんなことはまったくなかったので助かった。中国の習慣に従ってポチ袋に三百元だけ包んで渡すと、とても喜んでいた。
お年玉を用意する時、奥さんに相談すると三百元でいいという答えがかえってきた。すこし少ないのではないかと思って五百元くらい入れておこうかと奥さんに言ったら、親戚はみんなおばあさんに三百元渡すから、うちも三百元でいいという。うちだけ多く包んでしまうと、相場を破ってしまうことになって、あとで親戚ともめると。このあたりの感覚は日本も中国も変わらないようだ。
おばあさんの家を出た後、バスに乗って浦東の繁華街まで買い出しにでかけた。大晦日の上海は車がとても少ない。バスはすいすい走って、いつもの半分くらいの時間で繁華街へ着いた。繁華街も人が少ない。
地下街の日本食材を売っているスーパーへ入ったのだけど、そこの買い物客も少なかった。奥さんが刺身を食べたいというので、張り込んでサーモンの刺身とまぐろの赤身を少し買った。奥さんは祝い事の日になると刺身を食べたがる。オレンジ色の切り身に白い縞の入った脂がのったやつが好きなようだ。
晩御飯は御馳走がならんだ。
豚の角煮と筍の煮込み、田鰻とウズラ卵の煮込み、子持ちエビの蒸し焼き、エビ・グリーンピース炒め、豚の舌のスライス、蒸し鶏、イカと塩菜炒め、白身魚のトマト煮込み、それから赤飯――これは日本人は祝いの日に赤飯を食べるからとお義母さんが炊いてくれた。おいしい料理を食べながら、紅白歌合戦のような番組を観る。頃合いを見て、僕は奥さんとお義母さんにお年玉を渡した。二人ともお年玉を渡したその場でなかを見るのは失礼だからというので、紅いポチ袋をポケットにしまう。
奥さんはiPadを出して、日本へ嫁いだ真ん中のお姉さんの家へフェイスタイムをかける。真ん中のお姉さんと小学五年生の甥っ子が出てきた。九州男児と上海人のハーフだ。
「××君、はじめまして」
と僕が話しかけると、甥っ子君は「はじめまして」と恥ずかしそうに言ってもじもじする。お義母さんは孫の顔を見れるのがうれしくて上海語でいろいろと彼に話しかける。甥っ子君は上海語で祖母と話をしていた。
夜も深まった頃、僕は微信――中国のLINEのようなもの――で入ってきた新年の挨拶メールに「一路順風」とか「万事如意」などと縁起のいい言葉を書いて返事を出した。春節になる前に新春の挨拶をするのが中国の礼儀だ。
中国は大晦日の夜に花火をあげたり、爆竹を鳴らして祝う。夜中の十二時なるとあちらこちらで一斉に打ち上げ花火が上がった。爆竹の音もそこかしこから響く。きれいな眺めだった。僕は奥さんとふたりで窓辺に立ってずっと花火を眺めた。
「みんなわたしたちを祝ってくれているのよ」
と奥さんは、僕の肩に頭をもたせかけながら言う。
「しあわせになろうね」
と僕は奥さんの頭をなでた。
十二時半を回ったころから花火はぽつりぽつりになって、一時頃にはほとんどなくなった。
春節の今日は、朝寝をしてゆっくり起きた。奥さんの親戚が御飯を食べにきたらと誘ってきたそうだが、行くと親戚と一緒に麻雀をしなくてはいけないから、麻雀があまり好きではない奥さんは断った。親戚の家には別の日に改めて行くことになっている。遅い朝食と昼食を兼ねて昨夜の御馳走の残りを食べ、午後はアフタヌーンティーを入れてお茶を飲みながらおしゃべりをして過ごした。
奥さんは去年の春節はさびしく過ごしたという。お義母さんが風邪で寝込んでしまったので、ひとりでアフタヌーンティーを入れてぼんやり過ごしていたのだとか。ひとり午後茶の写真を微信に載せたところ、僕の以前の上司の奥さんがそれを見て「あなたまだ一人でいるの? さびしいでしょ。誰か紹介してあげるわよ」と声をかけ、それで僕たちのお見合いをセットしてくれたそうだ。人の縁は不思議なものだ。あの時、奥さんが午後茶の写真を載せなかったら、お見合いも、僕と出逢うこともなかったかもしれない。
夜、ふたたび近所で打ち上げ花火が上がり始めた。




